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【道徳教育】心のノートは「心理主義」と「操作主義」?

2006年11月11日 | 社会・教育
追記:CEBc:教育行政:心のノートが一番まとまっているようだ。
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『心のノート』という謎の出版物がある。文科省によって、全国の小中学校に配布された。小学校1・2年、3・4年、5・6年、中学生用の4種類ある。とりあえず全て市販されていて現在も入手可能である。指導書も2冊確認されている
  • 心のノート (小学校1・2年) 文渓堂 87p 平成17年度補訂版版 (2005/7) 4894234335
  • 心のノート 3・4年生 学習研究社 2003年3月 発行 370円 4054018343
  • 心のノート 小学校5・6年 暁教育図書 2002年7月 112P 380円 4252782805
  • 心のノート 中学生 暁教育図書 (2002/7) 128p 431円 4252782791
『心のノート』研究 ISBN:4826503768によれば、「河合隼雄によるユング心理学を応用した一種のマインド・コントロール」だそうである。つまり、「心理主義」とよぶべきポリシーで作られているらしい。また、「操作主義」にも立脚しているらしい。この2点は、「心のノート」のキーワードのようだ(一種の洗脳ともいう)。
『心のノート』の記述には、「私たちの心を育ててくれるふるさと」、「私たちの国の文化に親しもう」、「国を愛する心」(小学校三・四年生)と続く一連の流れがある
どの勢力が、どういう価値観で物事を進めているか、読めてきそうであるが、指導書に見る雰囲気では、作成に多くの人が関わった一大プロジェクトだったように見える。

#河合隼雄氏は文化庁長官をしていたが、教育改革のキーパーソンだったのだろうか。そんなことはないか。でもとにかく編集委員会座長だった。

『心のノート』に関しては、左翼系知識人が続々と批判本を出した。注目されていたのだ。だが、正体については、どうもよく分かっていないようだ。

「心のノート」は教科書でもなく副読本ですらないという位置づけらしいのだが、現実にカリキュラムに当てはめられているらしい(「心のノート」の使用場面)。事実上は、文部科学省押し付けの副読本という感じだ。検定も採用もへったくれもなく、全国一律で上から降ってくれば、事実上の国定教科書に近い構図と言わざるをえない。そういう既成事実というか、道筋を作る事に、文部科学省の思惑があると見てもいいだろう。#本来なら、指導要領での指導というルートがあるはずだが、「心のノート」はそれを逸脱しているように思える。

文部科学省のサイトを見てみる。
豊かな心の育成
 これからの社会を担っていく子どもたちに、学校・家庭・地域社会が一体となって、命の大切さや思いやる心、善悪の判断などの規範意識や公共心など、豊かな心の育成を図ることが求められています。
1.道徳教育の充実
 このような状況を踏まえ、文部科学省では、道徳教育の充実のため、「心のノート」の全小・中学生への配布、各学校や教育委員会の創意工夫を生かした「児童生徒の心に響く道徳教育推進事業」などの様々な施策を実施しています。
定義への言及
「心のノート」について
 文部科学省では、道徳の内容をわかりやすく表した「心のノート」を全国の小・中学校に配布しています。このノートは学校での授業のみならず、家庭での生活の中でも、子どもたちが自主的に自分の思いや願いなどを書き込めるようになっています。また、大切にしたいことについて親子で話し合う手がかりにもなることでしょう。ぜひ子どもたちと一緒に「心のノート」を見ながら、普段の生活を振り返ってみられたらどうでしょうか。
平成15年度 道徳教育推進状況調査の結果について
心のノート」の使用場面
 「心のノート」は、ほとんどの小・中学校で道徳の時間で用いられており、次いで特別活動で用いられている。4割前後の小学校では学校での生活場面や家庭でも用いられている。
教育課程部会(第20回(第3期第6回))議事録
委員 「心のノート」については,授業での活用だけではなく,家庭との連携にも効果が上がっていると思う。あまり使われていない地区があるという話も聞いているが,全国的にどのような使われ方をしているのか教えてほしい。
 道徳については,学校の中での取組みだけではなく,学校が地域や家庭と連携していくことが重要である。子どもたちだけ変えようとしても難しい。東京では道徳授業地区公開講座などをしているが,よい取組みをさらに継続し,深めていく必要があるのではないか。

委員 「心のノート」の位置づけが中途半端である。使っている学校もあれば,子どもに渡っているかも疑わしい学校もある。内容は良いので,もっと積極的に使ってもらえるようにすべきである。また,国が一律に作成するよりも,民間でさまざまなタイプをつくる方がよいと思う。
 道徳には,心のしなやかさを養う教育など従来の徳目中心の道徳とは違った要素が入ってきている。週1時間では時間が短いので,最近のさまざまな要素を盛り込んだ上で,総合的な学習の時間と連携して行うべきである。
(中略)

事務局 「心のノート」の使用状況についての調査によれば,道徳の時間においては小学校97パーセント,中学校93パーセントの学校が「心のノート」を使っている。また,特別活動や総合的な学習の時間,家庭や地域との関係の中で使うということもある。
 「心のノート」は,小学校低学年,小学校中学年,高学年,中学校の4冊制作されている。その中でそれぞれ内容項目があり,子どもたちにわかりやすく,具体的に理解してもらえる資料として作成している。
 地域との連携について,家庭や地域社会の理解と協力を得る方法を各学校でも工夫をしており,学級・学年保護者会,PTA総会等の諸会合で議題としたり,全校的な授業参観で道徳の授業を公開する取組みをしつつあるという現状である。

委員 「心のノート」はよくできている。また,私の県の場合は,県独自で資料をつくっている。
 ここではよいデータが出ているが,ある校長に聞くと,道徳については,ほぼ標準授業時数行っている学校から,年間数時間足らずしか行っていないところもあるとのことである。
 本当に生命についてどのように指導をしていくのか。このことについては,学習指導要領が悪いわけではなく,現場において,教材をどのように活用するか考えなければならない。例えば,生きたカニを食べるためには子どもたちの目の前で殺さざるを得ないという実体験から学ばせない限り,生命は大事だと言っても,本当に子どもの心の中に響いていくのか。
(中略)

委員 「心のノート」はとてもすばらしいと思うが,他の市町村長に聞くとほとんど知らない。私は文部科学省行政の基本的制度に問題はないと考えているが,その制度の運用の仕方に改善する余地があるのではないか。上意下達なので,首長たちは何も知らない。私の市では教材開発に力を入れており,教員たちでつくっているが,現場で議論をするプロセスがないといけない。特に道徳は,地域の首長も入れて議論をし,自分たちで教材をつくるというプロセスこそが大切である。
 教育改革の原点は,市町村や教育委員会が持っている学校管理権を使って,教材開発や少人数授業などを通じて現場の教育課程の編成や授業づくりを支援することだと思う。
 道徳について,総合的な学習の中にあるふるさと論こそが道徳のエネルギーになっていくと考える。豊かな心,確かな学力は,生きる力の両輪になるものだが,この生きる力は,内発的に判断する力であり,教えられるものではないが,そういう生きる力がふるさとの中にはあり,国を愛する感情もふるさとに対する愛情が元である。ふるさと論が心の問題の原点にあると思う。

委員 「心のノート」について意図はよいが,生徒たちはもっと感動のある知識を求めている。道徳は,概念そのものを教えても理解が難しく,歴史を担った人,新しい正義を社会に位置付けてきた人などの足跡を教えることで,感動のある知識として教えることができる。その際,偉人ではなく,無名であっても苦労を乗り越えた人や女性にについても取りあげるべきである。今の生徒たちは,道徳的な教訓を受けとめる力が弱いが,感心や感動する心がないわけでもないので,もっと具体的な人間が出てくる話がよいと思う。
 道徳は,歴史や公民などの観点とは違い,教科書の中では扱えない部分がある。もっと感動のある実話を道徳の教科書や教材の中に生かせばよいと思う。また,国語と道徳をセットにして,国語の中で感動のある実話を教えていくということも一つの方法になるのかもしれない。
 日本の学校は,一般的に教科以外の時間が多過ぎ,教科に割く時間数が少ない。ホームルームや道徳,学級活動などそれぞれ本当に意味があるように実施されているのならよいが,十分に実施されているか疑問がある。
(中略)

事務局 道徳の時間において指導に用いる教材としては,各種読み物資料や,都道府県や公共的な機関,民間の教材会社や道徳教育の研究団体,あるいは学校自身が自作をした資料などがある。その中で,例えば郷土や国家,あるいは世界的な発展に貢献した人物などの読み物を読んで,道徳的な内容について深めていくという授業が多く行われている。
 「心のノート」については,むしろ道徳の授業に限らず,特別活動なども含めていろいろな場面で,折に触れて活用するという形が多いと思う。
#まだまだ調べる必要がある。
↓こんなのも関係ありそうだ。

「心の東京革命推進協議会(青少年育成協会)」(会長:多湖輝)

青少年育成国民会議
青少年育成国民運動を進めるために、47すべての都道府県に青少年育成都道府県民会議が、全国の約7割の市区町村に青少年育成市区町村民会議が結成されています。
#まだまだ分からない。

操作主義について「人権の視点から操作主義を問う」から引用:
操作主義とは、直接的な命令や指示とは違い、相手の主体的な判断や意志を意図的な方法によって、(職員が)望む方向へ(老人を)誘導しようとしたり、なんらかの工作を行なうことによって相手(老人)を外部から変化させようとする仕方や方法のことを言います。
#なるほど、学校教育や道徳教育は、殆ど操作主義で出来ているようだ。操作主義は心の病のようだ>「第2回 操作主義という病」(ほぼ日刊イトイ新聞)

#操作主義は、簡単にひっくり返る。文科省が生徒を操作しようとしていると、生徒は簡単に文科省を操作しようとするのだ(直訴ともいう)。
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追記:【心のノート】ができたいきさつ。
2000年3月15日文教委員会で亀井郁夫が「道徳教育がされていないので、学級が崩壊する。道徳の冊子をつくるべきだ」と質問。ときの文部大臣の中曽根弘文は「副読本をつくる」と回答。さっそく22日に7億円の予算が付いた。昨年の日本会議総会で「日本会議が副読本をつくらせた」と議案書に書いていた。
日本会議が、という情報は複数存在したので、その通りなのだろう。左翼だか右翼だかジェンダーフリーだか、ワケワカなのである。

参考になるサイト>「心のノート ガラガラポン」より
京都市道徳教育振興市民会議」の小寺正一座長は、「日本道徳教育方法学会」の会長を務めている人物ですが、この学会の18名の理事のうち6名の理事は、『心のノート』の作成や編集に関与した道徳教育学者です(尾田幸雄氏、押谷由夫氏、柴原弘志氏、横山利弘氏、藤永芳純氏ら、02年時点)。つまり、小寺正一氏は、『心のノート』による道徳教育改革を推進している人物なのです。
(中略)
「京都市道徳教育振興市民会議」は、憲法理念に基づき、「精神的自由」を擁護しようとする人々の存在を、「過激な反応」等と決め付けながら、一方的に排除しようとしているのです。そして、河合隼雄講演会において、異議申し立てを行った参加者数名を市の職員が暴力的に排除する事態・事件までおこしているのです(04年6月13日)。これは、「お互いの生き方や価値観の違いを認め合う」モラルに完全に反した、たいへん「不道徳」な行為なのではないでしょうか。
結局、「京都市道徳教育振興市民会議」の初代座長の河合氏や小寺正一現座長には、子ども達を「良心の自由」の担い手=「精神的自由」の担い手に育てようとする意志や考えが全くない、と言わざるをえないのです。
日本道徳教育方法学会は、大阪教育大学に事務局がある。大阪、京都、奈良といい、なにか関西に根城があるのだろうか。

京都市教育委員会学校指導課:「しなやかな道徳教育を!」

#道徳的指導、徳目を見ていくと、これは99%まで宗教である。

どうやら京都学派、今西進化論あるいは和辻哲郎にもつながっているようだ。てことは、○○○○○○は擬似科学か?

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