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世界の覚書

道州制、易姓革命、外国人参政権には反対です。伝王仁墓に百済門を作るのは場違いであり、反対です。

ラストサムライの問題

2005年05月20日 | 文化・創作・メディア
今更だが、ラストサムライを見た。ん~、村の景色は美しいかもしれないが、山村や屋敷のデザインはでたらめだし、脚本もでたらめだ。戦国自衛隊に近いと言えば、当たっているかもしれないが、それよりひどい。どこの国の話でもない、不思議な惑星で演じられた、ちぐはぐで、頓珍漢で、必然性もない話になっている。目的不明で、ただ死ぬことを目的にしただけの、訳の分からない馬鹿げたストーリーだ。戦闘シーンは、黒澤明の劣化コピーかもしれない。

脚本家は日本人じゃないから、まあそんなもの、という事でもいいのだが、思ったのは、この殺し合いは異民族の戦いだということだ。まるでギリシャとペルシャの戦いだ。日本人同士の戦いでもなく、昨日までの仲間同士の戦いでもない。ハリウッドが日本の映画を撮るのだから、無理は当たり前じゃないか、と片付けてもいいのだが...

横浜の感じとか、東京の感じとか、なんとなく当時はこんな雰囲気だったかなあ、という再現感は結構出ていたように思われる(皇居?が建長寺のような階段の上にあるのは珍妙だが)。あの頃の雰囲気を、さすがハリウッドは力技でがんばって見せているなあ、という感心の声なら聞いたことがある。つまり、いくらフィクションとは言っても、映画にはイメージを植えつける効果はある事を忘れてはいけないのだ。

映画は、暗黙の内に、大衆にイメージやメッセージをもたらす。ハリウッドは、アメリカの国家戦略と調和的だというのは、有名な話。日本人には、日本人のための神話が必要だ。ラストサムライのように、エンターテインメントの力技で見せてしまう、そんな映画が必要な気はする。

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