中国に仕返し? 三田渡碑にスプレーで落書き
中国にたてつこうという風潮が韓国に出てきたのであれば、それは韓国にとって悲劇の種だろう。本来なら、過去は「歴史の一部」として冷静に見るべきものだが、朝鮮や中国のエートスでは、それは無理だ。まったく、「冷静」に逆行する「民族史学」を正史として普及定着させているものだから、そこからの脱却は今のところ不可能だと思う。よほど、政体が変革されない限り。
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史跡第101号に指定されている「三田渡碑」(ソウル市松坡区石村洞)にスプレーがかけられた。三田渡碑は丙子の乱(1636年に起きた清による第2回朝鮮侵略)の際、朝鮮が清に敗れた後、清の太宗の要求により彼をたたえる言葉を刻んだ石碑で、「大清皇帝功徳碑」と書かれている。この高さ3.95メートル、幅1.4メートルの石碑の前面と裏面に1メートルほどの大きさで「撤」「去」という文字が赤のスプレーで書かれているのが発見された。さもありなん。それでなくても「大清皇帝功徳碑」はきつい歴史だ。しかし、朝鮮の歴史はおおむね、そのようなものである。かつて朴大統領が何と言っていたか...
(中略)犯人はまだ捕まっていないが、松坡区庁関係者らは、最近の中国との「歴史摩擦」に激怒し、「中国に関する“恥辱的な歴史”は消すべき」という意味でスプレーをかけたものとみている。
中国にたてつこうという風潮が韓国に出てきたのであれば、それは韓国にとって悲劇の種だろう。本来なら、過去は「歴史の一部」として冷静に見るべきものだが、朝鮮や中国のエートスでは、それは無理だ。まったく、「冷静」に逆行する「民族史学」を正史として普及定着させているものだから、そこからの脱却は今のところ不可能だと思う。よほど、政体が変革されない限り。
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