展望デッキから階段を降りて、松江古墳群へと向かう。
緑が茂るこの季節でも、遊歩道は整備されているので歩きやすい。
そんな緑の丘の一角に、何やらカモフラージュされている物が有る。
遊歩道は、対に置かれたベンチの先で左右に分岐していた。正面の柵の向こうに
見える盛り上がった部分が古墳のようで、7号古墳と書かれた小さな立札が有る。
煌めきの丘にあった松江古墳群の説明図によると、どうやら無数の古墳が縦に連なって
形成されているらしい。とりあえず分岐は、左側の19・18号古墳の方へと進む事にする。
先程、展望デッキから見えていたカモフラージュは、この18号古墳の上に作られた
屋根でした。ちなみに18号の前にある19号古墳は、柵で囲まれているだけの狭い
スペースで、立札が無かったらただの草地と見過ごしてしまう程の物だった。
18号古墳は発掘された時のように剥き出しの姿のまま展示されている。そのため
雨による風化を防ぐべく屋根が設置されたようだ。中には2つの石棺も残っていた。
複数の石を用いた組合せ式石棺のようだが、なんだか石が薄めな感じに見える。
四国へ行った時に丈六寺で見た同型の石棺の方が、しっかりしていた印象かな。
18号古墳から先にも転々と古墳群が続いています。とは言え、他にこの18号の様な
状態の物は無く、立札が有るおかげでソコが古墳なのだと認識できる物ばかりですが。
古墳群の間を道なりに進むとT字路にあたり、そこを左に下ると明神池、右に上ると先程の
7号古墳右側の道へ続きます。イメージ的にSIRENのSDKで頭脳屍人を倒すステージっぽい?
こうして、1~6号古墳はいったい何処にあるのか?という疑問と共に今回の調査に幕を閉じました。
駿河湾を見降ろすこの丘全体が、1つの大きな墓だったわけだ。まだまだ伊豆には未知の場所が多い。
FILE:1へ戻る
緑が茂るこの季節でも、遊歩道は整備されているので歩きやすい。
そんな緑の丘の一角に、何やらカモフラージュされている物が有る。
遊歩道は、対に置かれたベンチの先で左右に分岐していた。正面の柵の向こうに
見える盛り上がった部分が古墳のようで、7号古墳と書かれた小さな立札が有る。
煌めきの丘にあった松江古墳群の説明図によると、どうやら無数の古墳が縦に連なって
形成されているらしい。とりあえず分岐は、左側の19・18号古墳の方へと進む事にする。
先程、展望デッキから見えていたカモフラージュは、この18号古墳の上に作られた
屋根でした。ちなみに18号の前にある19号古墳は、柵で囲まれているだけの狭い
スペースで、立札が無かったらただの草地と見過ごしてしまう程の物だった。
18号古墳は発掘された時のように剥き出しの姿のまま展示されている。そのため
雨による風化を防ぐべく屋根が設置されたようだ。中には2つの石棺も残っていた。
複数の石を用いた組合せ式石棺のようだが、なんだか石が薄めな感じに見える。
四国へ行った時に丈六寺で見た同型の石棺の方が、しっかりしていた印象かな。
18号古墳から先にも転々と古墳群が続いています。とは言え、他にこの18号の様な
状態の物は無く、立札が有るおかげでソコが古墳なのだと認識できる物ばかりですが。
古墳群の間を道なりに進むとT字路にあたり、そこを左に下ると明神池、右に上ると先程の
7号古墳右側の道へ続きます。イメージ的にSIRENのSDKで頭脳屍人を倒すステージっぽい?
こうして、1~6号古墳はいったい何処にあるのか?という疑問と共に今回の調査に幕を閉じました。
駿河湾を見降ろすこの丘全体が、1つの大きな墓だったわけだ。まだまだ伊豆には未知の場所が多い。
FILE:1へ戻る