渡辺哲也(一級建築士・絵画作家)「多彩画の世界」また日常のささいな事などを綴っています

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「半世紀、経ちました」

2024年04月01日 06時40分53秒 | その他いろいろ

「半世紀、経ちました」

この仕事に就いて昨日2024/3/31をもって50年経った。
記録として記事を残しておく事に。



絵画に関心のある方もたくさんいらっしゃると思いますので、こんな記事も!

同時にこの筆「金盛堂ゴシック面相筆」に出会ってからも半世紀、ずっとこのシリーズを使い続けてきたので紹介を。





この筆には思い出もある。
1974年、入社早々時に他支店の先輩が当松山支店に来られた。
私が使っている筆を見て「筆を買いにいってあげるからついておいで」と言ってくれ経理から2万円を借り出し画材店へ。
恐らくその先輩が愛用しているシリーズを選んでくれたのだろう。
それがこの金盛堂ゴシック面相筆だ。
数本揃えただけで借り出し2万円が無くなり、びっくりした事を覚えている。
(この先輩とは後も大変お世話になる事になる)

この筆が使いやすいのは、やはり一本で「面相筆」にでもなれば「平筆」にもなる事だ。
良い筆を使うイコール良い作品が描けるではない、が、ただ早く描けるのは間違いない。
仕事ではとても大事な事だ。
建築画の場合は溝引きを使い線を何本も描く事が多い。
一例として、その太さの線を引く場合の面相筆の太さの二回りほど大きな号を平筆にした状態でその穂先の角で描いていた。
これによりかなりな細さの線が引けるのは勿論の事、面相筆で一度に連続数本しか引けない場合でも号数が大きい筆だと絵の具もたっぷり含むので数十本引く事が可能となる。
また筆タッチの描き分けも筆を変える事が少なくてすみ結局は時短にもつながる。

私には恩師としている方が二人いる。

一人はこの設計事務所に入るきっかけを作ってくれた「恩師A」、直属の上司だった時期が永く、設計と建築画を教わった。
その恩師は松山支店から大阪支店へ呼ばれ、その後に私も大阪へ引っ張ってくれた、それは今では良かったと思っている。

もう一人は前述の筆を買いにいってくれた「恩師B」。
私がまだ松山支店にいる時の25歳くらいの時、既に退職されてて設計事務所を経営していた。
設計が忙しく建築画が描けないとの事で、よくアルバイトで描かせてもらい教えてもらった。

勿論アルバイトは禁止だったが、暗黙の了解的なところがあった。
この事務所は社員数150名程の会社で、実は今はもう存在していないので問題は無いかな?

「恩師B」の事務所へは土曜日午後から家を出て(当時半ドンだった)国鉄予讃線で一時間余りほどで到着。
その日はいつも夕方から夜中まで飲み歩き、日曜日午前中は仕事にならず、午後からやっと描き始め月曜の夜明け前に完成というパターンだった。
朝一便で家に帰りシャワーを浴びて、普通に会社へ出勤というハードな事をしていた。

設計事務所と言えば残業が付き物のように言われていたが、この会社も例外ではなかった。
残業をしない日は殆どなかった。
当時、製図台のランプにぶら下げていたカレンダーに徹夜した日に○印を付けていた事があったが、年間合計25個あった事も覚えている。
二週間に一度の徹夜ペースだ、それにアルバイトが入る訳だが、よくもまぁこんな生活をしていたなぁと思う。

他社からのアルバイトもしていたが、その時に暗黙の了解的なエピソードも幾つかあった。

建築画は完成予想図としても使うが、もう一つは営業戦略である。
ある商業ビル設計の営業で営業担当者と技術は当時の支店長が事業主のところへ行った。
既に他社が建築画を描いて営業にきていたとの事、実はこれを描いたのは私だったのだ。
支店長は直ぐに気が付いたのであろう、「綺麗な絵を描いていたので、うちはちょっとイメージを変えて夜景にしてはどうかな」と。
同じタッチの絵が二つ並ばないようへの配慮だったと思った。
(因みにこの案件は受注できた)

またこの頃の地方新聞は中間見開き部分に建物竣工記事として建築画がよく使われていた。
ある日、見開き左右に会社で描いたものとアルバイトで描いたものが並んだのである。
これはどう見ても同じ人のタッチだろうと解ってしまうが、だれも触れずにいてくれた。
そんなこんなでアルバイト収入が給料より上回る月もあったが、それよりも嬉しかったのは短期間で技術向上に繋がった事だ。

その後大阪へ転勤、忙しくてなかなか家へ帰れない事が続く時期があった。
帰るのは着替えと風呂に入る為だけである。
当然無精髭となる訳だが。
会社の業務規程には頭髪の異常な刈り方や髪形などの禁止項目があり、勿論この中には髭なども当てはまると思われていた。
その時期をきっかけに髭をはやしたが何も咎められなく、会社で第一号の前例を作ってしまった。
かなり自由にさせて貰った事には感謝している。
この会社、20年程前に消滅してしまったのがちょっと残念だ。

そして17年間この会社にお世話になり、1991年に一級建築士事務所-渡辺建築事務所を設立し現在へ至る。
三重県名張市は何の縁もゆかりも無いところだったが、単純に大阪近辺では土地が買えなかった事だ。
大阪へは何とか通勤圏と言う事で、ここで家を建てる事に。
もうこの地に来てからが一番長くなった。

それでは、設計で面白いエピソードがあったり興味深かった物件などを幾つか(今までのSNS投稿記事より)。

■梅田Mビルより








■天王寺動物園より








■大阪府S市営住宅及び公社分譲住宅より





■京都府N市中学校より




■手描き設計図面、自邸より







それでは絵画作家活動より。

■2010年
 (株)銀座リコー プリンティングイノベーションセンターにて 企画展
    『多才な彩画展』を開催





■2012年
  銀座 伊東屋 9Fギャラリーにて 企画展
   渡辺哲也 『MATERIAL ARTS-素彩画展』 を開催











■2012年 
  愛媛県西予市立美術館 ギャラリーしろかわ にて 企画展
   『お久しぶりです 渡辺哲也 素彩画展』 を開催






■2012年
  14周年『「文化人・芸能人の多才な美術展 2012』 に 作品をを出展






■2012年 
  読売テレビ(ytv) 大阪ほんわかテレビ「知られざるパイオニア」に出演










■2013年
  小田急百貨店 藤沢店 6階ギャラリーにて 企画展
   渡辺哲也 『素彩画展』 を開催







■2014年1月6日
  フジテレビ 「 笑っていいとも!」
   世界に広めよう!THEなぜフェッショナル に 出演
















■2018年
  著書「水彩からはじめる、新しい風景画の世界」(日本文芸社)発売





■2019年
  著書「水彩からはじめる、新しい風景画の世界」の台湾翻訳版
  「畫得像拍照!水彩畫・素彩畫 複合媒材與技法」(台湾出版社:三悅文化)発売

■2022年
  24周年『「文化人・芸能人の多才な美術展 2022』 に 作品をを出展






■2023年
  25周年『「文化人・芸能人の多才な美術展 2023』 に 作品をを出展




■2023年
 『 渡辺哲也 展 』アートギャラリー東急プラザ銀座にて企画展を開催









コメント (4)
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