今回は、母校の山岳部史上、唯一人の外国人部員として活動なさった、趙成泰学兄にお話を伺いました。(文責:朴燦鎬)
―고(コ)향(ヒャン)はどちらですか。
趙 金(キム)泉(チョン)に近い慶尚北道金(クム)陵(ヌン)で、1936年、名古屋生まれです。
―先輩は英文科でしたね。
趙 弁論部で鳴らした高校時代から、英語を学んで海外に行きたい、外国の山に登りたいという願望がありました。イギリス隊がエベレストに登頂した頃で、憧れたね。
―山岳部に入った動機は?
趙 オールジャパンに選ばれると、海外遠征隊に選ばれるチャンスがある。オールワセダからは、毎年2,3人が必ず入っていたので、まずオールワセダを目指そうと。
―入部して感じたことは?
趙 あんなに厳しいとは思わなかった。軍隊式トレーニングで、120人いた同期生のうち、残ったのは12人。
―初めての登山はどんなでしたか。
趙 谷川岳で新人合宿があって、徹底的にしごかれたな。でも、馬力と返事でやり抜いた。できないことでも、「ハイッ」と元気に返事してね。合宿は年7回ありました。
―最も感動したことは?
趙 2年、3年のときに冬山アタック隊に選ばれて、剣岳、穂高岳で合宿したこと。ワセダ山岳部の、一番強かった頃だね。
―私は中学時代に同級生4人を誘って、平湯から乗鞍岳に登りました。二、三百�の山にも登ったことがないのに、三千�の山をピクニック感覚の軽装で。登っても、登っても頂上が見えず、焦りました。みんなの手前、弱音は吐けないし。豪雨で遭難でもしていたら、同級生の親からどんなに恨まれただろうかと、今でもぞっとします。
趙 そういうこともあるね。でも、若さと馬力を感じるな。
―先輩は、唯一人の外国人部員だったそうですね。
趙 一緒に入った台湾、中国、英国の人たちは一ヶ月も持たず、残ったのは私一人だけ。「島山」を名乗っていたが、隠していません。合宿にキムチを最初に持ちこんだとき、「臭い」と文句を言われたけど、最初に無くなったのはキムチだったよ。
―登山中、韓国の登山隊と出くわすこともあるとか。
趙 OBになってから、馬山山岳会の高校の先生2人と出会い、いろいろ面倒を見てあげて感謝されたね。また1995年頃だったか、エベレストのベースキャンプで韓国登山隊と出会ったときは感動したな。11人の隊員のうち、8人が登頂したという。これは凄い。
―特に印象深いことは?
趙 1958年、穂高合宿で8人を雪崩で失いました。毎年、上高地で黙祷を捧げてきましたが、50周忌の今年が一応のけじめです。1960年の富士山冬山合宿でも、4人の仲間を失っています。
―山岳部OBの結束は固いといわれますが、分かるような気がします。今後の予定は?
趙 来年2月中旬から3週間、久しぶりにヨーロッパ、アルプスでスキーをします。
―それは何とも豪勢な。若々しくて何よりです。今日は有難うございました。
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