映画とライフデザイン

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男はつらいよ 望郷篇 長山藍子

2012-05-07 06:01:37 | 映画(日本 昭和35年~49年)
映画「男はつらいよ 望郷篇」は昭和45年の第5作目である。


今回のマドンナはテレビ版で妹さくらを演じていた長山藍子である。いつものような寅さんの振られ話で、舞台は北海道札幌小樽と千葉県浦安である。

柴又の団子屋のオヤジことおいちゃん(森川信)が危篤という話を聞いて、戻ってきた寅さん(渥美清)がだまされていたことに気づく。あわて者の寅は葬儀屋から寺の段取りまで来る前に準備したのであった。腹を立てた寅は、旧知のテキヤの親分が危篤だという知らせもあり、北海道へ向かう。
テキヤの親分は余命短い容態だった。小さい頃に別れた息子に会って、詫びたいという望みを聞いて寅と連れ合い(秋野太作)は息子(松山省二)に会いに行く。息子は国鉄の機関士だった。今さら彼は会いたくないという。小さい頃に一人で父親に会いに行ったら、従業員をなぐっていた。それをみて嫌になったというのだ。結局親分は亡くなった。寅はやくざ稼業の末の哀しさを感じる。
柴又に戻った寅は堅気になりまじめに働かねばならないと言いだして、職を探そうとする。タコ社長のとこに意気揚々と勤めようとするが、うまくいかない。ふてくされて江戸川の小船に乗っていたら、気がつくと浦安に向かっていた。
浦安では豆腐屋で働くことになった。そこでは気のいいおかみさんが取り仕切っていて、美しい娘(長山藍子)がいた。今度は長続きしそうな感じではあったが。。。。

昭和45年といえば、大阪万博の年である。日本中が万博の話でもちきりであった。その年、山田洋次監督は「家族」というキネマ旬報ベスト1の名作をとっている。九州から北海道まで縦断するロードムービーである。大阪万博へ寄る場面もあった。この作品に出演したメンバーを見てみると、今回の「男はつらいよ 望郷篇」とほとんど一致している。なんと渥美清まで出ている。この2つの作品はセットで見てみると別の発見がある。2つの映画に共通する役者が今と違ったイメージを醸し出す。

倍賞千恵子がきれいだ。この当時29歳。小さい頃倍賞千恵子には吉永小百合とともにまだ歌手としてのイメージを持っていた。そんなイメージを思い出した。アパート住まいで亭主との子供もまだ乳飲み子の設定、当然吉岡君はまだまだ出てこない。映画「家族」でも赤ちゃんがいる設定であったが、「家族」よりもアカぬけて見える。


おいちゃん役は森川信だ。自分にとっては、実写版「サザエさん」の波平のイメージが強い。サザエさんが江利チエミでフナが清川虹子だった。どちらかというと元来の喜劇役者の匂いが強くて、笑いを誘うのがうまい。下条よりも渥美清との相性がいい感じがする。早くに亡くなったのは残念

マドンナが長山藍子だ。彼女がスターダムにあがったのはNHK連続テレビ小説「旅路」だったと思う。その前の「おはなはん」はうっすら覚えている感じだ。「旅路」は小学校低学年だったが鮮明に覚えている。祖父祖母が小樽出身だったので、この番組は毎日欠かさず見ていた。視聴率の高い番組が多い歴代のNHK連続テレビ小説の中でも「おしん」に次ぐ平均視聴率だという。脇役だったが、この作品で知名度が上がった長山藍子は一連のTBS石井ふく子プロデューサーの作品で人気絶頂となった。「肝っ玉母さん」も「ダンプ母ちゃん」も小学生のころよく見ていた。その直後だけに彼女としてはいい時期だったはずだ。
黒澤映画の常連井川比呂志は「家族」で倍賞千恵子の夫役だ。しかも彼はテレビ版ではさくらの夫の博役だ。芸達者の彼ではあるが、ここでは地味な役だ。

北海道で恩人の息子が石炭を入れながら運転するのは蒸気機関車である。いわゆるD51型「デコイチ」だ。当時はまだ北海道を走っていた。その雄姿を見せるだけでも貴重な映像だ。
また、千葉県浦安が舞台になっている。ディズニーランドで一躍全国区的知名度になったこの町も、ディズニーランドができる13年前であるこのころは単なる漁業の町であった。D51以上に貴重な映像だと思う。小さい漁船がたくさん停泊している姿は凄い映像だ。そんな中寅さんはいつものように縦横無尽に動き回る。渥美清もまだまだ元気だ。

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