
日経新聞「私の履歴書:加山雄三」も大詰めにかかってきた。ブログでも「エレキの若大将」と「赤ひげ」の2回紹介した。今日の連載はかの有名な「仮面ライダー事件」だ。
昭和61年の紅白歌合戦はリアルで見ていた。司会の加山雄三が少年隊の「仮面舞踏会」を紹介するときに、「仮面ライダー」と言ってしまったのだ。見ている方は「え!」という感じであった。しかし、言い訳もせずにそのまま進んだ。あれはあれでよかったのだと思う。今よりも紅白歌合戦の視聴率は高かったときであるし、NHKの権威も高かったから、いろいろといわれたかもしれない。でも笑えた。
若大将シリーズ全盛の後、叔父の経営する茅ヶ崎のホテルが倒産して、役員に入っていた加山にも借金の請求が容赦なくくる。逃げるようにアメリカに行く。そして女優の松本めぐみと結婚する。結婚式の場面はフジテレビ「スター千一夜」で見た覚えがある。そして、若大将シリーズが中断され、仕事がなくなっていく。スキー場で事故を起こして大怪我をする。たいへんだったと思う。キャバレー周りしかなかったという話もあった。こういうときよくがんばったと思う。
「私の履歴書」にはいろんなパターンがある。小さいときから若いときに極貧だった話は数多くあった。その場合一度浮かび上がるとそのままいってしまうことが多い。加山雄三の場合、リッチな少年時代を経て、大学をでて気がついたら大スターになる。30前半までは順調だった。そのあとのかなりきつい転落である。そこを救ったのが、池袋の深夜映画での「若大将ブーム」だという。映画館の中で加山ソングが流れると大拍手と喝采が起きる光景は話を聞いているだけで興奮する。いい仕事をやっていると誰かそれを思い出してくれる人がいるという訳だ。ただ単に流されていただけでなかった人にはツキも向いてくる。
人生を三角関数のカーブや波動に例える人がいた。加山雄三は大きなマイナスをつくったからこそ、70過ぎてもがんばっていられるのだと思う。マイナスが大きすぎると失脚する。しかし、それまでのプラスが大きかった分、その余韻が残っていた。マイナスをつくっていなかったもっときつい何かが起きたかもしれない。積分の面積計算で考えると、それまで莫大な量の面積をつくっていたのが、ある反動で面積がゼロに近くなってしまう。そこからの再出発である。阿佐田哲也の「9勝6敗説」もこれに近い。
加山さんにはこれからも熱い歌を歌ってほしい。
昭和61年の紅白歌合戦はリアルで見ていた。司会の加山雄三が少年隊の「仮面舞踏会」を紹介するときに、「仮面ライダー」と言ってしまったのだ。見ている方は「え!」という感じであった。しかし、言い訳もせずにそのまま進んだ。あれはあれでよかったのだと思う。今よりも紅白歌合戦の視聴率は高かったときであるし、NHKの権威も高かったから、いろいろといわれたかもしれない。でも笑えた。
若大将シリーズ全盛の後、叔父の経営する茅ヶ崎のホテルが倒産して、役員に入っていた加山にも借金の請求が容赦なくくる。逃げるようにアメリカに行く。そして女優の松本めぐみと結婚する。結婚式の場面はフジテレビ「スター千一夜」で見た覚えがある。そして、若大将シリーズが中断され、仕事がなくなっていく。スキー場で事故を起こして大怪我をする。たいへんだったと思う。キャバレー周りしかなかったという話もあった。こういうときよくがんばったと思う。
「私の履歴書」にはいろんなパターンがある。小さいときから若いときに極貧だった話は数多くあった。その場合一度浮かび上がるとそのままいってしまうことが多い。加山雄三の場合、リッチな少年時代を経て、大学をでて気がついたら大スターになる。30前半までは順調だった。そのあとのかなりきつい転落である。そこを救ったのが、池袋の深夜映画での「若大将ブーム」だという。映画館の中で加山ソングが流れると大拍手と喝采が起きる光景は話を聞いているだけで興奮する。いい仕事をやっていると誰かそれを思い出してくれる人がいるという訳だ。ただ単に流されていただけでなかった人にはツキも向いてくる。
人生を三角関数のカーブや波動に例える人がいた。加山雄三は大きなマイナスをつくったからこそ、70過ぎてもがんばっていられるのだと思う。マイナスが大きすぎると失脚する。しかし、それまでのプラスが大きかった分、その余韻が残っていた。マイナスをつくっていなかったもっときつい何かが起きたかもしれない。積分の面積計算で考えると、それまで莫大な量の面積をつくっていたのが、ある反動で面積がゼロに近くなってしまう。そこからの再出発である。阿佐田哲也の「9勝6敗説」もこれに近い。
加山さんにはこれからも熱い歌を歌ってほしい。