映画とライフデザイン

大好きな映画の感想、おいしい食べ物、本の話、素敵な街で感じたことなどつれづれなるままに歩きます。

私の履歴書  水木しげる

2010-10-27 07:20:45 | 偉人、私の履歴書
水木しげるさんが文化功労者を受賞した。
テレビのインタビューでは冗談だと思うけど「もっと上の賞はないのかな?」と言っていた。
こういうキャラだからそれで良しとされるのであろう。

ひとつ前のブログで日経新聞「私の履歴書」に関する話題を取り上げた。
もう30年以上もこの連載読んでいるし、単行本になっている昔の「私の履歴書」も読んだ。
その上で個人のベストをあげると水木しげるさんの「私の履歴書」だ。
ちなみに今は「水木サンの幸福論」に載っている。

実におもしろかった!!
連載のとき朝が来るのが楽しみであった。

子供のころから出来が悪く、勉強は全く駄目。でも絵を描くのが好きだった。
小学校卒では芸大を受けられないので、受験資格を得るため大阪府立の園芸学校を受験することにした。
定員50人で受験者51人一人しか落ちないので当然大丈夫だと思ったら失敗
当然受かると思って発表も見に行かなかった。念のために父親が行くと名前がない。
いろいろ聞くと面接で失敗したようだ。でも父親は怒らなかった。

文章を読んでいると、父親と母親から受けたやさしい気持ちがにじみ出ている。
私の履歴書にでている写真がいい。
父親や母親と一緒に水木さんが写っている姿を見ると親からの愛情を感じ何とも言えない気分になる。
片腕なくして帰ったバカ息子をみて、文面に書いてある以上に、ご両親はつらかったろうなあ。

この履歴書の最大のピークは戦場の場面だ。
このシーンは日経私の履歴書上、日本シリーズで江夏と対決した西本監督の気持ちを語るシーンと両壁と個人的には思っている。

ラバウルの戦場に船で向かった。到着したのが最後の船であった。要はそのあとの船はすべて撃沈されたのであった。落第二等兵は戦場でも劣等ぶりを発揮する。そんな朝敵の襲撃を受ける。とっさに逃げる時から味方を発見するまでのシーンは実に劇的だ。戦場を逃げていく場面は文章なのにいかにも絵画的で読んでいる自分が同じような恐怖を感じた気がする。

この後も片腕を失う話や原住民と友達になるシーンも印象的だ。

運よく片腕で日本に戻ってからの闇屋稼業、紙芝居や貸し本漫画家として苦労話もおもしろい。
そんな中を運をつかむ。そして現在の水木しげるがある。


今の水木さんにはまだまだ運の風が吹いている。
でもこれって若いころの苦労があったからだと思う。

おめでとうございます。
これからもがんばってください。そして文化勲章がもらえるまで生きてください。
コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 私の履歴書 大倉敬一 | トップ | ショートカッツ ロバートア... »
最新の画像もっと見る

コメントを投稿

ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。

偉人、私の履歴書」カテゴリの最新記事