映画とライフデザイン

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映画「旅の重さ」 高橋洋子

2014-12-21 07:24:10 | 映画(日本 昭和35年~49年)
映画「旅の重さ」は1972年(昭和47年)公開の青春ロードムービーだ。


16歳の少女が家出をして四国遍路の旅に出る。少女がママに宛てた手紙を読みながらその感情を示すナレーターを入れながら、途中で出くわす未知の世界を映像で表わす。オーディションで選ばれた高橋洋子が主演、オーディション2位が秋吉久美子で本名の小野寺久美子名で出演している。まだ思春期真っ盛りだった自分にはまぶしい映画だった。当時高橋洋子がもう少し大人に見えた気がしたが、今回見るとその初々しい表情に驚く。


「ママ、びっくりしないで、泣かないで、落着いてね。そう、わたしは旅に出たの。ただの家出じやないの、旅に出たのよ」
四国に住む十六歳の少女(高橋洋子)が、貧しい絵かきで男出入りの多い母(岸田今日子)と女ふたりの家庭や、学校生活が憂うつになり、家を飛び出した。

四国遍路の白装束で四国をぐるりと廻って太平洋へ向う。宇和島で痴漢に出会い、奇妙なことに痴漢にご飯をおごってもらう。足摺岬の近くで、旅芸人・松田国太郎(三國連太郎)一座と出会い、一座に加えてもらった。少女は一座の政子(横山リエ)と仲良くなり、二人でパンツひとつになり海に飛び込んだりして遊ぶ。一座には他に、色男役の吉蔵(園田健二)、竜次(砂塚秀夫)、光子(中川加奈)がいて、彼らの内輪もめにもつきあった。やがて、少女は、政子に別れを告げると、政子が不意に少女の乳房を愛撫しだした。初めて経験するレスビアン。政子は、少女の一人旅の心細さを思って慰さめてやるのだった。

やがて一座に別れを告げ、ふたたび少女は旅をつづける。数日後、風邪をこじらせ道端に倒れてしまった。四十すぎの魚の行商人・木村(高橋悦史)に助けられた。調子が悪いままいったん行商人の家を出るが、すぐ木村に戻される。木村の家に厄介になり、少女の心には木村に対して、恋心のような思いが芽生えてきた。ある日から数日、木村の姿が消えてしまったのであるが。。。

テーマソングが吉田拓郎の「今日までそして明日から」である。四国の海辺を走る列車の風景とあわせてこの曲が流れる。思わずジーンとくる。デビューしたての高橋洋子がヌード姿を披露したことでも有名な作品で、当時の自分から見ると彼女が大人に見えた気がする。動きがまったく危うくてこんな子に四国遍路なんてできるわけないだろうと思いながら、映画を見ていく。


そして、旅芸人一座に出会う。お客からの投げ銭で生計を立てているような連中が内輪もめしたり、一座の男女で近親相姦のように交わっている姿に出くわす。16歳の女の子にとっては、こういう大人の世界はドッキリすることばかりだが、1人の女性が親しくしてくれる。
でも旅立たねばならない。こういう場にいると、男に誘われるのである。当然その男とできている他の女がいる。嫉妬を浴びるのだ。でも金なし一人旅はきつい。ぶっ倒れて老婆に自分のリュックを取られそうになる。そんな時一人の中年男性に助けられるのだ。男は子供のような少女に男女の関係を迫る気がしない。次第に助ける中で芽生える感情が恋に代わっていくという少女の成長物語だ。

今年四国に行ったけど、映画の中の段々畑風景や海辺の風景は大きくは変わらない。ただ、40年前の四国の都市部は現在と比較するとかなりの田舎だという印象をもつ。




1.吉田拓郎
ちょうど自分がラジオの深夜放送を聴き始めたころである。夜起きていることになれなくて、聴いているうちに眠くなっている。11時を過ぎると起きているのはむずかしい。自分はアメリカのヒットチャート曲に関心をもったが、当時字余りのフォークがはやり始めてきたところだった。「赤い鳥」なんかはヒットチャートをにぎやかにしていたが、フォークソングというと髭の生えた歌手が歌う反戦歌というイメージが強かった。


その中でこの曲が妙に印象に残った「私は今日まで生きてみました。」で始まるこのメロディは今でも好きだ。ラジオの深夜放送では圧倒的な支持を受けていた。「今日までそして明日から」は一部の若者に受けただけだったが、次の「結婚しようよ」は大ヒットした。そして続く「旅の宿」がヒットチャート一位をとる。人気は頂点を極めた。でも執拗にテレビに出ない。当時の若者にはその生き方がカッコよく見えた。当時はロック好きもギター片手に拓郎だけでなく、泉谷とか古井戸の歌を歌ったものだ。

深夜放送では文化放送の落合恵子、土居まさるが印象深い。若き日のみのもんたも「カムトゥゲザー」という番組をもっていた。その番組は9時台だったので眠らないで聴けた。オールナイトニッポンの時間まで起きていられるのは、高校生になる寸前かもしれない。

2.三國連太郎
ここでの三國連太郎の顔を見て驚いた。息子の佐藤浩市そっくりなのである。この2人が似ているなんてことあまり思ってことない。


息子に似ている。逆じゃないの?といわれそうだが、我々が知っている佐藤浩市の顔と同じ表情をする場面があり驚く。旅芸人一座というのが、社会から低い位置に見られていたという話は恥ずかしながら最近知った。「伊豆の踊子」でも踊り子の所属する一座が受ける扱いはよくない。ここでも本能むき出しで所属する役者たちが葛藤をつづける。でも他に生きる道がないから離れずに芸をやるしかない。そんな構図が垣間見れる。昭和40年代くらいまでは、旅芸人一座というのは今よりも数多く地方巡業していたんだろう。

3.横山リエ
最近「遠雷」を見直した時も出演していた。妖艶な魅力をもつスナックの女性役で、人妻なのに永島敏行とジョニー大倉演ずる農家の青年を誘惑する。そこでも軽い濡れ場があったが、ここではオープンエアの中、高橋洋子と一緒に裸で海に泳ぐ。開放的なシーンだ。一人で心細い主人公の心のよりどころだ。その役が実にうまい。

でもまだ当時23歳なのだ。横山リエは大人のさばけた女性や悪役がうまい素敵な女性だったとおもう。良いキャスティングだ。

ここでの高橋洋子は化粧もほとんどなく素顔をさらす。初々しい感じがいい。それでも高橋悦史と徐々に接近していく場面では大胆な絡みも出てくる。この当時はまだヌードになること自体、ピンク映画やにっかつポルノ以外ではあまりなかった時期である。まだ20歳になっていない彼女にとっては大冒険だったのであろう。そんな彼女に好感をもつ。

(参考作品)
旅の重さ
ういういしい高橋洋子をみる

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