映画とライフデザイン

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海と毒薬  奥田瑛二

2011-11-13 08:52:26 | 映画(日本 昭和49~63年)
「海と毒薬」は熊井啓監督による86年のキネマ旬報ベスト1となった名作だ。

実際の史実に基づき遠藤周作が小説にした。大学病院で患者が人体実験の材料にされるという話だ。それ自体はよく聞く様な話だが、健康な人間が実験材料にしてしまうとただじゃすまない。あとは「白い巨塔」同様大学医局内の勢力争いと徒弟制度的な上下関係も描いている。原作を熊井啓監督が映画化を表明してからスポンサーがつくまでかなりの時間がかかったといういわくつきの作品だ。

昭和20年5月敗戦寸前の九州のある都市が舞台だ。米軍機による空襲が繰り返されていた。帝大医学部インターン二人奥田瑛二と渡辺謙は医学部の権力闘争の中でさまよっていた。しかも、どうせ死ぬ患者なら実験材料にという教授、助教授の非情な思惑を見せられ続けていた。
当時医学部長の椅子を、奥田たちが所属する第一外科の教授こと田村高広と第二外科の教授こと神山繁が争っていた。教授田村は結核で入院している前医学部長のめいのオペを早めることにした。成功した時の影響力が強いのだ。ところが、田村教授は助教授こと成田三喜男、看護婦長岸田今日子とともに着手したオペに失敗した。手術台に横たわる夫人の遺体を前に茫然とする医局メンバーだ。第一外科のメンバーたちは失敗と見せかけない工作に着手するが。。。。

このあと米軍の捕虜をめぐって人体実験をするシーンが出てくる。全身麻酔をした捕虜の心臓や肺を傷つけて人間の身体がどこまで耐えられるかなんて話はえげつない。そもそもB29が地上の砲撃で墜落するなんてことがあるとは思っていなかった。しかも、米軍機を操縦するメンバーが捕虜になるなんて初めて聞いた。法治国家とは言えない戦前の日本に国際法の概念なんてあるとは思えない。敵の捕虜は徹底的に虐待することしか考えていなかったのではないか。でも映画「戦場にかける橋」では日米の将校同士共感を持つシーンが出てくる。この映画はもはや敗色濃厚となったころの話だ。すべてが狂っていたのであろう。

熊井啓監督のつくる白黒映像は独特のドキュメンタリータッチだ。「謀殺下山事件」の映画も似たようなタッチだった。奥田瑛二は不倫ドラマでちょうど人気が出始めたころである。そこにまだ若手俳優だった渡辺謙がからむ。両者ともまだまだといった演技だ。逆に田村高広や成田三喜男のうまさが冴えるし、岸田今日子はまさに適役だ。

そういう名役者が取り組む手術シーンで実際の手術場面を映す。これがリアルだ。ストーリーに合った形で身体の中がえぐられる。どうやって撮影されたのであろう。

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