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映画「夜叉ヶ池」坂東玉三郎&篠田正浩

2021-07-12 05:00:12 | 映画(日本 昭和49~63年)
映画「夜叉ヶ池」を観てきました。


映画「夜叉ヶ池」は1979年(昭和54年)の坂東玉三郎主演の篠田正浩監督作品である。泉鏡花の戯曲「夜叉ヶ池」を映画化したものだ。公開当時大学生だった自分も、坂東玉三郎が女形で一人二役を演じる面白そうな映画があるのは気づいていた。残念ながら当時観ていない。この映画の存在をすっかり脳裏から外していたのも、篠田正浩監督の他の有名作品と違い、名画座でもDVDで見たことがないからだ。今回90歳になった篠田監督が坂東玉三郎の同意を経て構成し直したらしい。日経新聞の記事で気づき公開早々観に行く。

これは凄い映画である。
今から42年前の技術としては最高の特撮技術を使って、山からの大洪水の映像を映す。


また、人気女形として世間の注目を浴びていた歌舞伎界の新しいスター坂東玉三郎を主演に起用して、美の極致ともいうべき姿を映し出す。映像のバックには冨田勲のシンセサイザーが鳴り響き、妖気じみたムードを醸しだす。坂東玉三郎が山の神である白雪姫を演じる場面の迫力は半端じゃない。本来これが戯曲であったというのがよくわかる。上映当時29歳の演技は実に素晴らしく、この迫力は大画面で感じとるべき作品である。
恐れ入った。


岐阜と福井の県境にある様々な伝説のある夜叉ヶ池を目指して植物学者で僧侶でもある山澤(山崎努)が旅をしていた。山のふもとの村落では、雨が降らずの日照り状態で村の人たちが困っていた。井戸でさえもカラカラだ。そんな村から山間部に入ると、泉が湧いているのに気づく。そこでは一人の女百合(坂東玉三郎 二役)が炊事をしているのを見て山澤は声をかけた。


百合は白髪の老人晃(加藤剛)と同居していた。晃の了解を経て、お腹が空いているという山澤は一軒家に寄らせてもらった。百合は旅の間で見聞きした面白い話を聞かせてくれと山澤に告げると、部屋の奥にいた晃は旅人の声に聞き覚えがあり驚く。間違いなく親友の山澤の声だったからである。

晃は世間から姿を隠した身であったので、目の前には出ず、やがて山澤は夜叉ヶ池に向かい山の中に姿を消した。ところが、突如大雨が降ってくる。これはたいへんと晃は慌てて山に探しに向かい、2人は再会するのだ。そして旧交を温める。長くは滞在できないと聞き、2人で夜叉ヶ池に向かうのである。

一方で、いったん大雨が降ってようやくホッとした村落の人々であったが、すぐに止んでしまう。これは困ったと、村では陣中見舞いに来ている代議士(金田龍之介)をはじめとして、夜叉ヶ池の龍神のために若い娘を生贄にしてしまおうとして、百合をその対象にしようとする話がもりあがってきたのであるが。。。

⒈坂東玉三郎の妖艶な姿
百合と白雪姫の一人二役である。戯曲では必ずしも一人二役ではないようだ。か細い声を出して、晃の妻を演じる坂東玉三郎は明治大正の写真に出てくる古風な美人という感じでそんなにビックリする程の存在ではない。妖気じみているわけでもない。ところが、雨がいったん降り、泉の中から水の妖怪のような男2人が出てきてから、神話的な要素が出てくる。そして、白雪姫が登場するのだ。


ここで完全に戯曲的要素が強まる。着物を着た坂東玉三郎演じる白雪姫の迫力が凄い。女形にしては高身長の玉三郎が打って変わって凄まじいオーラを発する。実質的に舞台劇を映画に映し出すというわけである。ましてや大画面でアップに映る玉三郎が醸し出す妖気は半端じゃない。この映画の見所はここだろう。

⒉豪華な出演者
山崎努が最後までストーリーを引っ張る。大学教授兼僧侶という役柄だ。「天国と地獄」をはじめとした黒澤映画の名脇役で存在感を示した後で、この映画に近いキャリアでは1977年の「八つ墓村」の殺人鬼の印象で世間を震撼させた後だ。

加藤剛演じる萩原晃は夜叉ヶ池に魅せられ来て百合の魅力にどっぷりハマって山に残っている設定である。さまざまな場所で色んな職業の人の面白い話を聞くのが好きということで言えば、柳田國男のような民俗学者ということなのであろうか?大岡越前シリーズはもちろん「砂の器」や「忍ぶ川」といったいった名作も撮り終えて乗っている頃だ。


こういった主戦級に加えて、脇役も揃っている。ファンタジーの世界では水の妖怪を常田富士男と井川比呂志という名脇役が演じ、三木のり平もでてくる。腹黒い代議士役は金田龍之介でまさに適役だ。これだけのメンバーを集めたというのも篠田正浩監督作品ということもあるけど、上り調子の坂東玉三郎主演というのも強い吸引力となった気がする。

⒊冨田勲のシンセサイザー
クレジットはなかったが、バックに流れる音楽が冨田勲のシンセサイザーだというのはすぐ察した。映像にマッチしている。音楽がうるさすぎて興醒めする映画は多い。ここではそうは感じない。坂東玉三郎演じる百合の存在がこの世のものとは思えないからだ。しばらくはオリジナルだと思っていたが、ムソルグスキー「展覧会の絵」の有名なフレーズも入っているのに気づく。

自分が初めて冨田勲のレコードを購入したのは「展覧会の絵」が最初だ。ELPことエマーソン、レイク&パーマーの「展覧会の絵」は針ですり減るほどレコードを聴いていたので、馴染みがあったからだ。ピークはホルストの「惑星」だったかもしれない。

⒊龍神の怒りで氾濫する池と特撮
そもそも夜叉ヶ池って泉鏡花の小説に出てくる架空の池だと思っていた。映画を見ながら、どこでロケしたのかなと思っていたくらいだ。まあ幻想的でいくつかの神話ができるのもよくわかる。龍神のご機嫌を取るために、1日に3回鐘を鳴らすわけだ。でも、怒りが表面化する。そこからの大洪水の場面は迫力ある。時節柄不謹慎な話だが、ごく最近に熱海の大惨事をTVで見ていたけど、それを予測していたみたいな映像だ。


溢れるような激しい水の流れは途中でアレ!イグアスの滝だとわかる。ウォンカーウェイ監督の「ブエノスアイレス」にもイグアスの滝が何回も映し出されるが、豪快な滝である。自分がよく知っている画家が、ここにスケッチしに行ったけど、まあ中心部からかなり遠いところらしい。今でも遠いくらいだから、40年以上前なら日本からの直通便は当然ないし、行くだけで難儀したんじゃないかな。

篠田正浩監督はインタビューでこう語る。
南米・イグアスの滝に宮大工を呼び、鐘楼を建てた。大船撮影所の特撮では50トンの水流でミニチュアのセットを押し流した。イグアスの滝は神の手で造られた景色だという。その霊力を日本の歌舞伎の女形なら表現できる。男女の境がなくなる。超現実の世界だ。性を超越した女、性を超越した男というものが歌舞伎劇にはでてくる。

洪水に飲み込まれ、北陸は大水源池に変わる。それをゴジラなんかを作った日本の特撮の技術でやる。近代文明が造った東京や大阪をゴジラが壊すように。僕は42年前に天災と人災、2つのダブルパンチを受けた光景を見ていた。同じ事をやっていた。俺こんな傑作作ったかな?

「夜叉ヶ池」の普遍的なメッセージを伝え、僕の映画を支えてくれた人たちに報いたいと思った。(篠田正浩インタビュー 日本経済新聞 7月5日記事引用)

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