映画とライフデザイン

大好きな映画の感想、おいしい食べ物、本の話、素敵な街で感じたことなどつれづれなるままに歩きます。

母べい  吉永小百合

2010-10-03 17:39:52 | 映画(日本 2000年以降主演女性)
「母べい」は黒澤明作品のスクリプター(記録係)であった野上照代の自伝的小説『父へのレクイエム』を、山田洋次監督が吉永小百合を主演に迎えて映画化したヒューマン・ドラマである。突然夫が治安維持法で投獄される苦境の中、気高き信念を失わず、残された2人の娘を守るため懸命に戦中戦後を生きた一人の女性の姿を描く。

昭和15年の東京。主人公「母べい」こと吉永小百合は、文筆家で大学のドイツ文学の教員だった夫こと坂東三津五郎と2人の娘と共に暮らしていたが、家賃の支払いも滞り生活に窮していた。その上、戦時中の言論統制で夫の著述物の出版もなかなかされなかった。そんなとき、夫の著述が治安維持法に抵触すると、特高に逮捕されてしまった。不安と悲しみを募らせる母と娘たちだった。夫のかつての教え子こと浅野忠信や夫の妹檀れい、型破りな叔父こと鶴べいらが一家のもとに駆けつけ、吉永と娘たちを優しく親身に支えていくが。。。。



比較的思想の要素が強くなる作品である。戦前行き過ぎた言論統制があったのは、事実であるが、ちょっと批判表現がきつい気がする。大げさだと思う。脚本に左翼思想の偏りが強いので、喜劇的リズムが若干あるにもかかわらず、物足りない作品となった。
ここ数作、時代劇を撮ったりして思想の色合いが薄らぎ、傑作を連発した山田洋次監督作品だが、これはちょっといただけない。この直後の「おとうと」で思想がフラットになっているので良いけれど。。

個人的に見どころと思ったのは、おぼれている浅野忠信を吉永小百合が泳いで助けに行く場面だ。彼女は65にもなろうとするが、相変わらず水泳で鍛えているらしい。実際に泳ぐところを目にすると、一種の妖怪のようにも見えてくる。美貌衰えず本当に驚異だ。
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シェーン  アラン・ラッド

2010-10-03 10:03:25 | 映画(洋画 69年以前)
「シェーン」は映画ファンなら誰でも知っている作品。ラストで少年が「シェーン」と呼ぶシーンはあまりにも有名である。最近ジョージ・スチーヴンス監督の「陽のあたる場所」を観て無性にシェーンを観てみたくなった。今観ると、子供の演技がわざとらしいなあと感じるのと何でこんなに殴り合いのけんかをするのかが奇怪である。

ワイオミングの高原地帯、父母息子家族3人のスターレット一家に1人の流れ物のガンマンことアランラッドがやってきた。男はそこで水をもらい、家族の好意で泊めてもらうことになった。男は名をシェーンと名乗った。
一家はかねてから利害の反するライカーの一味に悩まされていた。そこで冬まで働いてくれないかとシェーンに頼み、スターレット一家に厄介となる。しかし、開拓移民と牧畜業者の間で騒動が飛び火し、シェーンは、彼らの間に割って入っていくことになる。ライカーは腕利きのガンマンを雇ったようだが。。。。



有名な主題の音楽は美しいが、バックの音楽がうるさすぎである。1950年代あたりの映画ではそう思うことが多々ある。
演歌でよく盗作騒動があり、そのたびごとにそもそも演歌の節回しはみな同じようなものだからとおさまることがよくある。西部劇のストーリーも同じようなものである。先日イーストウッドの「ペイルライダー」を観たが、意地の悪い人だったら、「シェーン」の盗作と言うであろう。西部劇のネタには限界があるかもしれない。



そんな中見せ場をいくつか作る。酒場での乱闘シーン、アランラッドの早打ち、そして有名なラストシーンとそこに至るまでのアランラッドのきざなセリフなど、好きな人は何度も繰り返し観ているだろう。なんとシェーンの死亡説まであるそうな!?確かに左腕がぶらんとしているのは気になる。でもビートルズの「アビーロード」のジャケットにおける死亡説と大差はないだろう。
映画っていろんな解釈ができるんだろうと思う。
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