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映画とライフデザイン

大好きな映画の感想、おいしい食べ物、本の話、素敵な街で感じたことなどつれづれなるままに歩きます。

映画「ションヤンの酒家」 タオ・ホン

2014-11-25 20:13:53 | 映画(中国映画)
映画「ションヤンの酒家」は2002年製作2004年日本公開の中国映画だ。


経済成長が進む重慶の町で、主人公が経営する酒家が地上げの波にのまれていく姿を描いている。公開された時に見た。持田香織に似た美形の中国人女優タオ・ホンが印象的であった。彼女を映しだす構図はライティングのセンスもよく美しい。

10年以上前、大陸の中国映画はちょっとドンくさい映画が多かった。その中では比較的なじめた方だった。ストーリーの核は覚えていたが、ディテイルはすっかり忘れていた。こうしてみると主人公が持つ当時の中国人らしからぬ色気に魅了される。

都市開発の波が打ち寄せる中国・重慶の街中で、かろうじて現状を保ち続ける昔ながらの屋台街。その一軒を構えるバツイチの女性ションヤン(タオ・ホン)の酒家は、名物“鴨の首”を売りに毎夜のごとく繁盛していた。


店では明るいションヤンだが、家族のことで色々な悩みを抱えていた。母は彼女の幼い頃に亡くなり、父は京劇女優と恋仲になった末に家を出た。さらに兄夫婦は家庭崩壊の危機にあり、母代わりとなって育てた弟は薬物中毒で更生施設に入っている。そんなションヤンは、いつしか常連客の男と惹かれ合っていく(作品情報より)

1.重慶の町
この映画のいいところは、重慶の町の全容をじっくり映し出し、出演者たちを上手に溶け込ませているところだ。中華民国時代は、日本軍の南京占領で蒋介石が首都を重慶に移していた。名作映画「慕情」で主人公のジェニファージョーンズ演じるスーイン医師の故郷が重慶で帰郷するシーンがあった記憶がある。


主人公の酒家のまわりは、昭和でいえば20年代から30年代にかけての風貌の屋台が連なる飲み屋街だ。外に出しているテーブルで食べ物をつまみながら一杯やる。その猥雑な感じがいい。
立ち並ぶ高層ビルを借景にした裏路地の風景に風情があり、長江の上をロープウェイが悠々と走るシーンも趣がある。


重慶市自体はこの映画が撮影された2002年のあとで急激に伸びた。改革前の重慶を映す貴重な映像だ。共産党の大幹部薄 熙来氏が大連から異動して、彼の改革が成功したのだ。しかし、権力闘争に負けて失脚。今や無期懲役で上層部が失脚する以外彼の生きる道はない。

2.地上げ屋と土地取引
毎日のように、飲みに来る1人の男がいる。風貌はいかにも大陸男性のどんくさい風貌でかっこよくはないが、さすがに主人公も情が移っていく。父も兄弟いずれもいい加減で、主人公のみがしっかりしている設定だ。気が滅入っている中で常連の男に惹かれるのも無理はない。しかも、彼は主人公と同じバツイチだ。


こうして2人は会うようになるが、この常連客が自分の酒家がある屋台街を立ち退かそうとしている地上げ屋だというのがわかる。ここからが映画のミソなので詳しく触れないが、不動産取引のためにじんわり接触するやり方は日本も中国も同じだ。

この主人公は父親の建物を贈与してもらっている。日本だと親子間の所有権移転はとてつもない贈与税を支払うのですが、中国はどうなっているのか?この贈与のせいで兄嫁と取っ組み合いの大ゲンカするシーンがご愛嬌だ。

3.女性店員と福原愛
主人公の酒家で働く女の子アメイがいる。けなげな子だけど、思い余って手を切ってしまう。その女の子はのちに幸せになるのであるが、この子が卓球の福原愛に瓜二つでビックリ。彼女が中国でも人気があるという話を聞いたことがある。この映画をみて妙に納得
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映画「無言歌」

2013-01-06 19:36:38 | 映画(中国映画)
映画「無言歌」は2011年の中国映画だ。
国家当局ではまだタブーとなっている出来事ゆえ、中国国内では上映禁止処分になった作品だ。

キネマ旬報2011年のベスト4に入っている。なかなか見るチャンスがなかった。ようやくdvd化された。毛沢東主席主導の「大躍進政策」後の飢饉の時期に右派の思想家が政治犯の収容所に入れられた。その面々の日常を描く。一般市民でさえも飢えをしのぐのが精いっぱいだったと言われる。そんな時期収容所環境がいいわけがない。飢えに苦しむ囚人たちの話だ。
長まわし中心でその収容生活を描くが、変化に乏しく、あまり楽しい映画ではなかった。

1960年の時代設定だ。共産主義の思想対立が続いている中、革命思想に反発する右派の思想家たちがいた。チベットにかかるゴビ砂漠のあたりで、視界に入る場所は一面の荒野という場所に、政治犯の収容所がある。その中では満足な食料も与えれず、苦役に励んでいた。
目的となる農園作りは一向に進まない。収容所の看守たちも、健康状態が皆悪くなることに困っていた。その中に2人の囚人がいた。一人は非常に健康状態が悪く、もう先がないと悟っていた。しかし、もうすぐたつと自分の妻が訪ねてくる可能性がある。亡くなっても自分の死体はそのままにしないで早めに埋葬するよう頼んでいた。そして彼は死にいたる。そんな時上海から一人の女性が訪ねてくるのであるが。。。。

戦後しばらくは戦前の否定として、左翼思想が日本を覆った時期がある。日本は台湾に移った蒋介石総統への恩義もあり、中華民国を承認していた。テレビ放送も中国本土を「中共」と表示していた覚えがある。中国本土の情報は香港経由でわずかに入るだけで、今とは想像もつかないくらい何も情報がなかった。日本の知識人と言われる人たちは共産党およびマルクス経済学、計画経済を崇拝し、資本主義より素晴らしいシステムがあると信じ切っていた。計画経済によって、共産諸国は大きく発展していると想像していたわけである。
ところが、実態はまったくそうではなかった。ソビエトの計画にならい、毛沢東主導で「大躍進」計画が実施された。ところが、技術的な基盤がないために、全くうまくいかなかった。農村は飢饉の状態で数千万人の死者が出たと言われる。1959年あたりにはその実態を政府当局も把握して、若干の軌道修正が図られていたわけであるが、右寄りと言われる政治犯はチベットのゴビ砂漠の近くの収容所にいたわけである。

時代背景はそんなところであろう。
収容所の中は最悪の食糧事情である。一般の人たちに行きわたらないのに食糧が来るわけがない。次から次へと人が死んでいく。別に拷問で死ぬわけではない。つらい話だ。そこへ一人の妻がやってくる。そして自らの夫の死を知り、このへき地で嘆き悲しむという設定だ。
映画自体は凡長な感じで、囚人たちは大変だとは思うが、別に胸にジーンとくるわけでない。

この映画では改めて、共産主義を選択した国の破滅への道をうまく象徴している気がする。
逆の立場で考える。アメリカは戦後マッカーシズムで共産主義者が粛清された時期があった。映画界からも著名な監督や脚本家が追放された。しかし、彼らはこのような収容所に入ったわけではない。
共産主義者として告発を受けた人々を実質的に救ったのは市場経済である。政府から放り出されても、市場で職を見つけることができた。もしも雇用主が政府しかなかったら、告発された人々は路頭に迷うしかなかった。あるいはこの映画のような監禁を受けたであろう。彼らは中小企業、小売業、農業などで職を得た。しかも匿名ながら映画界で生き延びた人物もいる。市場の中で恩赦を受けている。
市場原理主義とののしり、市場経済に疑問を投げかける人にはこういう悲しい事実があることを、このあとの文化大革命に関する映画とあわせて見せつける必要がある。
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上海家族

2009-10-28 21:32:05 | 映画(中国映画)
原題は「shanghai woman」である。上海のある母子の物語。女性監督らしい視点で上海の家族を映し出す。

夫婦と15歳の娘のある家族。旦那が女をつくって2年、別れられずにいることが耐えられずに、小学校の教員である妻は娘と一緒に家を出る。主人公の実家に帰るが、その母は出もどりの娘をあまり歓迎していない。また、弟夫婦もいて窮屈であった。彼女は妻に死なれた李さんという男性と知り合い、子連れ同士で結婚する。性格のよい李さんに引かれたからだが、結婚してみるとけちな男性であることがわかる。。。。。

何てことない話だ。ただ、現代の中国の一般家庭生活のホームドラマは少ないので、興味深く見れた。一般の上海人たちがどういうところで生活して、どういうことを考えているのかがよくわかる。タッチは女性監督らしい仕上げ方だ。男たちがみんなだらしないいやな男に仕上げすぎたのはちょっとやりすぎの気もした。
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あの子を探して  チャンイーモウ

2009-01-27 18:42:21 | 映画(中国映画)
素人を使わせるとうまいチャンイーモウ監督の傑作

中国僻地の小学校の先生が母親の看病のため一ヶ月学校を離れるので、村長が代用教員として主人公の13歳の女のこを連れてくる。村には金もなく、報酬の50元も後払い。
ほとんど何も教えられない彼女は生徒たちをうまく扱えず、28人の生徒たちは教室の中を走り回る。
村を先生が離れるときに、生徒が一人もいなくならなければ10元払うよという約束だったため、主人公は生徒の離脱に神経を払う。
しかし、足の速い女の子が一人町に連れて行かれることになる。必死に阻止しようとするが、女の子は町に行く。
その後一番の腕白坊主が家の借金の埋め合わせに町に働きに行かされる。
彼が町に行ったのを知った先生は、彼を連れ戻そうと試みるが、町に向かうバス代すらない。
生徒たちにも手伝ってもらってレンガ運びで15元稼ぐが、バス代は片道20.5元これでは往復の運賃に足りない。
バスの無銭乗車で向かうが、結局ばれて降ろされて歩くことに、途中で運良くトラクターが来て町にいく。
しかし、町に着いて彼の行き先に向かうと、彼は途中で脱走したことがわかる。
何もわからない町の中で必死に彼女は探そうとするが。。。。

チャンイーモウ監督「初恋のきた路」でも僻地の学校が舞台であった。
あの時は、村に来た新任教師をチャンツィイー扮する村の娘が恋する話であった。
チャンイーモウの生い立ちは教職と何か関連があったのであろうか?
それにしても日本では考えられない13歳の代用教員である。
明治の日本でもここまでの代用教員はいなかったであろう。

中国には都会と農村に強烈な格差があると聞いているが
大きく経済発展を遂げた現在でもこれに近いこともあるのであろうか?
いまだに義務教育の途中で生活のために学校を辞めざるを得ない子供たちが
いっぱいいるらしい。大変だ。

主人公は中国人のいやらしさもあるが、農村育ちのたくましさがある。
非常にけなげだ。テレビ局の前で教え子を探してもらうためにずっと待ち続けるシーンは素敵だ。

チャンイーモウらしい色彩の美しさはこの映画では出てこない。
でも現在の日本には考えられないような素敵で素朴なな人と人とのふれあいがある。
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王妃の紋章  チャンイーモウ

2009-01-20 06:16:59 | 映画(中国映画)
ド派手な衣装と宮廷内の装飾が際立つ作品である。
チャンイーモウの作品で言えば、「HERO」や北京オリンピック開会式のにおいがする。

中国の唐の時代が終わり、後唐時代の宮廷内でのいざこざを描いている。
コンリー扮する皇后と血のつながらない皇太子とが不倫の関係にあるのに気づいたチョウユンファ皇帝が、トリカブトの入った薬を飲ませて命をとろうとする。
皇太子には二人の異母弟がいるが、いずれも皇位を狙っている。また、皇太子は宮廷内にいる待女と関係を持ち始める。彼女は医者の娘だが、医者の妻は昔武将時代の皇帝と関係を持った女性である。
関係がこんがらなり、みな憎しみあうように争いあうハッピーエンドとは無縁のストーリー展開
日本も父子、兄弟間での勢力争いがあった時代もあったというが、中国の場合は極端に多い。皇帝が支配する時代は、皇帝と一部の官僚を除いては虫けらのように人の命が扱われていたのではないであろうか?
訪ねてきた客人をもてなすために、自分の子供の蒸し焼きを出すなんて話が普通にあるような国だから価値観が日本と違うのは仕方ない。現代香港映画でもなんてこんなに残酷なの?という表現がずいぶんと散見される。

コンリーは気の強い女性をやらせると天下一品
「SAYURI」で主人公の先輩芸者をやったときも、憎たらしい女を演じていた。
「さらばわが愛覇王別姫」での主人公の友人の妻役も適役で、娼婦上がりの俳優の妻を好演した。「マイアミガイス」もマフィアの女帝であり、刑事と良い仲になり女ぽいところを見せるが、根本に流れるのは強い女
好きになれないが、なんだかんだでコンリーの作品見てしまう。

後味がよくないので、日本での公開遅れたのかな?
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映画「単騎千里を走る」高倉健とチャンイーモア

2008-12-30 07:17:12 | 映画(中国映画)
「単騎千里を走る」実に泣ける映画であった。

こんなにいい映画だと思わなかった。題名からして、シルクロードあたりで高倉健が馬で走り回るイメージを持っていた自分の教養のなさを恥じる思いだった。

スタートは日本で、10年離れて北国の漁村にいる父高倉健の元に息子の嫁さんの寺島しのぶ から電話が入り、息子の病気が悪化しているのであってほしいとのこと。東京へ出て息子のところへ行くが息子はわだかまりがあり会わない。
戻る高倉へ嫁の寺島からビデオが届く、それは中国の田舎を取材している息子の姿である。その中で息子が中国の仮面劇「単騎千里を走る」を来年撮りに行くといっているシーンがある。高倉は息子の代わりに中国雲南省に撮りに行く。
雲南省の麗江にその俳優を訪ねに行くが、俳優は軽い罪で刑務所に入れられていることを知る。代わりでいいでないかと言われるが、どうしてもその俳優で撮ったものを息子に見せたいと言い張る。外国人が刑務所内を撮影することはありえないといわれるが事情を話して、無理やりお願いする。
ところが、いざ演じる場面になっても彼は演じない。泣き出してしまう。自分のつくった子供に会いたいという気持ちが強くてできないというのだ。高倉健は俳優の子供に会いに、雲南省の田舎にいくが。。。。

チャンイーモアの作品では「初恋のきた道」などを思わせる中国の田舎の原風景が舞台である。当然チャンイーモアらしい画像の美しさはあるが、被写体は素朴な風景である。交通も通っていない雲南省の田舎石頭村での撮影はなかなかのものである。町の中で高倉健が村中の人たちと宴会というべきか、いっせいに食事する場面があるが、このシーンが好きだ。村中が家族という感じでいい。

やくざ映画を卒業して、陰のある男を演じていたころの高倉健のイメージがチャンイーモアのイメージなのであろうか?「冬の華」、「駅」といった名作が思い浮かぶ。高倉健は冬景色が実に似合う俳優である。それは中国で出さないで日本の風景で出す。

メイキングはあまり見ないが、この作品は見てしまった。
出演者はほとんどが素人だそうだ。北京オリンピックはよりすぐりの美人ばかりがチャンイーモアの被写体だったが、この映画ではみんないわゆる大陸の人的どんくささが強い。それが本当の姿を見せていていいのだと思う。
チャンイーモア監督にとって高倉健はまさに敬愛する存在だったとのこと。高倉健の良さが本当にわかっているのが映画を見ていてよくわかる。

もっと評価されてもいい傑作だ。しかも本当に泣ける。
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ラストコーション  アンリー

2008-12-08 21:19:01 | 映画(中国映画)
映画復活した。
アンリー監督の作品で復活した。「恋人たちの食卓」、「グリーンデスティニー」いずれも大好きである。恋人たちの食卓の中華料理は食欲をそそるすばらしい画像だし、グリーンデスティニーのチャンツイィーの格闘の場面はすさまじい。いずれも映像センスが自分にあっている。

それでもラストコーション見てぶったまげた。あまりの性描写に驚きです。


戦前日本軍による上海占領の映画は数多い。ただいずれも平和でインターナショナルな上海を日本軍が破壊的に占領する過程の映画が多い。スピルバーグの「太陽の帝国」もそうだし、最近では、真田広之とレイフファインズの「上海の伯爵夫人」がいい例だ。
トニーレオン扮する日本寄り秘密諜報部員の親分を暗殺しようと企てる国民党側演劇集団がある。そこには美女タンウェイが所属する。トニーレオンに近づき、究極の肉体的かかわりの中で彼女が本来の指令を果たすべきかの戸惑いを描いている。


しばらくは淡々と流れるが、二人が結びつくあたりからドキドキしてくる。
トニーレオンは香港映画の中では、ここまで激しいところは見せていない。マギーチャン共演の「花様年華」ではラブシーンらしきものすら見せない。むしろ「2046」の方がそういう場面も出てくるが、比べ物にならない。
美女タンの乳首の立ち方からしてかなり本気で演じているようだし、どう見てもホンマ物のようである。普通の型だけでなくあっと驚くような接触の仕方だ。すさまじい!

画像の美しさは我々の期待を裏切らない。
本気度抜群でこれはすさまじい作品だ。
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