昨日、柳川のムツゴローランド近くの有明海沿岸で第20回有明海花火フェスタがあった。写真仲間のWさんから電話があり、場所や撮影ポイントについてレクチャー、去年のブログ記事など紹介した。
(去年の写真。ペンタックスK3、18-200mmタムロン)
西鉄電車で行くつもりが同じ仲間のTさんから誘いの電話があって、太宰府のyさんと3人で出かけることにしたとか。不思議と、じゃあ私もナビゲーター役で行きましょうかと・・とは言わなかった。まあ暑い中でかけても大した写真はとれないと思っていたのか、2時間近くかけて行く元気がなかったのか、写真への意欲減かわからないが・・・。
今朝の西日本新聞で去年のラストのナイアガラの滝が1Kmだったのが今年は20回目の節目で2Kmにのびた写真がでていた。すこし残念な気もしましたがねまた来年行きましょう。
ということでフェスタに行かない代わりに表題の本を読んだという次第。戦没者慰霊祭の毎年の空虚なアベ首相の挨拶や昭和天皇の侍従長だった人の回顧録で天皇の戦争責任についての苦悩の様子をしるにつけ20世紀の日本近代史、戦争の背景がどんなものだったのか、市の図書館で、半藤一利さんの「あの戦争と日本人」というのを借りてきて読んだ。なるほどそうだったんだ、と目からうろこというか、そんな本であったのでちょっと紹介してみたい。
1、明治維新から150年の節目とか言われるが幕末から明治維新をどうとらえるか
実は議会抜きで戦争ができる統帥権は薩長新政府が明治11年頃にすでに作っていたらしい。山形有朋が西南戦争の時に熊本城での指揮権発動体験からいちいち議会承認をとっていたら間に合わないというわけ。明治20年に明治憲法として軍は天皇直属軍とし、議会決定なしで軍が行動を起こせるようにしていた。第二次大戦の軍の独走の背景は明治に作られていたというわけである。
2、歴史から学ぶ場合、基本姿勢として歴史の事実認識に絶対はない、かならず相反する事実が存在するはず。時の政権が不都合な事実を隠ぺいする可能性があるということを知っておくべき。安倍内閣の公文書廃棄問題、モリカケ問題などうたがわしいね。政治家と官僚が結託すればすきなようにできてしまうではないか。
3、小国日本が大国ロシアに勝ったが日露戦争に勝ったことをどう位置づけるか
ロシアの中国、朝鮮への南進危機、海軍からの要請など4度の御前会議をへて日露開戦、203高地の乃木希典神話など生んだが、203高地占領前に大砲による旅順攻撃でロシア艦隊が大破していたとか。バルチック艦隊絶滅も実は紙一重で撃退、以後の陸軍の戦いも死者累々で、かろうじてアメリカの仲裁で終戦にもちこめ、実に運が良かった戦いであったらしい。これは驚き。
ところが戦後の ポーツマス条約で日本は賠償金もとれず、朝鮮統治権、満州の租借権、南樺太など割譲のみ。その弱腰に日本国内大反発、小村寿太郎がおそわれたらしい。国内は世界5大強国ロシアを破ったということで大騒ぎ。幸運にめぐまれ、ぎりぎりのところで勝てた戦争の実態伝わらず、ここかしこで失態を犯していた軍幹部がなんと一律貴族に昇格したなど、史実は摩訶不思議。
4、日露戦争後、日本人はおかしくなってしまった
明治10年以前の日本人の質実剛健の気風が薄れ、神国ニッポン、気合で勝てる風潮。出世欲、金銭欲、軍人の堕落など進展。列強の植民地になっていたアジア各国に独立の機運をもたらし、勇気づけ、彼らは日本を学ぼうとした。
日本はなんと小国の謙虚さを忘れてしまい列強の一翼をになう帝国主義国家を目指し始める。日本が朝鮮を支配し、中国人やベトナム人を日本から追い出したころ、夏目漱石は小説、「三四郎」の中でこのままじゃ日本は滅びるねと予言していたとはおもしろい
5、魔法の杖の統帥権
司馬遼太郎はこれを魔法の杖と称して司法立法行政の三権を超越した超法規的、明治憲法をも意に介さない権力としてこれを軍が独占、日本をつぶしたとS51年に「国のかたち」として論評したようだ。企業組織に於いても人事権と金を握る人間が組織を牛耳る。人格が問われるゆえんだね
明治22年には長州出身の山形有朋により軍事優先国家の道が選択されてしまう。山形は自ら参謀本部長になることによって、天皇直属の作戦総本部として、各大臣をあごで使えるようにしてしまった。明治14年には軍人勅諭ができており、山形、伊藤博文という長州仲間が日本を好きなように作り替えた。憲法制定前に参謀本部長の単独上奏権が認められてしまった。
さらに軍部大臣現役武官制で軍から大臣を推薦しない限り内閣すら編成することができなくしてしまい、完全に軍の専横体制ができてしまった。しかし不思議ですね、幕末から明治維新が西国の薩長土肥の武士中心に行われたことが。東国の武士はどうしていた?
6、四文字熟語による人間の洗脳
日本人は4文字熟語によって洗脳されてきた。尊王攘夷、大政奉還、版籍奉還、富国強兵、国民皆兵、臥薪嘗胆などなど。神州日本はどこからでてきたか。昭和10年岡田内閣が国体明徴を発表。要するに日本国は神世の昔から天皇がすべてを統治する国家であることを明言した。
昭和15年ごろから八紘一宇(はっこういちう)、世界を一つにするのはわが日本国であり、天皇は天の神様から日本国をさずけてもらってその徳にこたえ善政をおこない下の者たちは正しいことを養う心をひろめねばならないと・・。昭和史における日本の大国主義の考え方の根っこに神話の時代からの八紘一宇があったわけだ。
田中知学という宗教家が大正時代、日蓮宗の団体をつくり、万世一系の皇室は道義の保護者として世界を統一すべき存在として生まれたと主張。のち日本軍の参謀となる石原莞爾や雨にも負けず・・の宮沢賢治は熱心な信者であったとか。
・・・・・1867年、江戸城の無血開城、江戸幕府崩壊、このままでは日本は列強諸国に飲み込まれてしまうという恐怖感から薩長を軸とした明治新政府により急速に富国強兵が進められた。そしてあの列強の一角、大国ロシアを1904年に打ち負かしてしまった。皮肉にもこの勝利による軍と国民の慢心が1945年の太平洋戦争無条件降伏につながってゆくスタートであったことをよく理解すべきだね。明治維新150年というよりこの20世紀の前半50年にこそ歴史からしっかり学ぶ必要があることを実感しました・・・ではまた明日!・・・・・・