ショップ ダンケ

ドイツ雑貨「ショップ ダンケ」のオフィシャル・ブログ

ドイツの都市と生活文化

2008-04-26 12:20:15 | カッチイな本棚

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現在、段階的に、「ショップ ダンケ」をリニューアルを行っているのだが、何より、大切なのは、コンセプトメイキングであるというマーケッティング会社の示唆もあり、必死に考えている。

それにあたり、うちにあるドイツ関連の本も、読み直している。私は、専門書でないドイツ文化の本、ドイツのガイドブックを集めるのが趣味で、コレクターなのである(笑)

ショップダンケは、ドイツ雑貨を扱うが、守備範囲を広げて、オーストリアのものも扱うことになった。中でも、「ウィーン」に焦点を当てている。

ずっと以前に読んだときは、読み飛ばしていた「ドイツの都市と生活文化」のウィーンの部分に、ビンビン来ている。

小塩 節先生は、ドイツ文学の権威だ。(現在、フェリス女学院理事長 中央大学名誉教授 たくさんドイツ関係の著書あり)

1994年の発刊だけれど、古びることはない光を放っている。

・・・日本人観光客が、オーストリアで落としていく金額は、年間百五十億を、越しており、これからは、さらに激増するであろう。・・・

・・・オーストリアと日本との関係は、きわめて高度に文化的であり、ゆるがぬ友好関係が、百二十年来、いや、三百五十年来確固としてある。

これは友人の極端に乏しい日本としては、大事に守り育てていかなくてはならぬ貴重な間柄なのだ。

続けて、オーストリアの人口や、約七百五十万人。そのうち、ウィーンの人口は、百六十万人だ、かつての巨大なオーストリア・ハンガリー帝国の栄光は消え、オーストリアの現在の国土面積は、八万千平方キロ、つまりちょうど北海道と、ほぼ同じくらいでしかない。想像もつかないほど小さな国だ。そして、GNP(国民総生産)は、日本の二十分の一でしかない。

ところが、国民の一人一人の実質的生活水準は、日本よりずっと高い。

と絶賛が続く。

この旧制松本高校卒業の文学者は、北杜夫同様、ドイツ・オーストリアに対して、無邪気なといって、失礼ですが、大変好意的な見方をされる。

興味深い指摘もある。以下引用

・・・世界的に見てもウィーンの位置と意味は大きい。何と言ってもいま旧東欧とそのまた東が大揺れに揺れている。

毎日予測もつかぬことが怒っている。その旧東欧へのかけ橋がウィーンである。

一種の「戦場」がベルリンだとすると、ウィーンは情報と流通の拠点なのである。

・・・日本人にとってウィーンの魅力は、豊かな文学や音楽伝統もそうだが、なによりも市民たちの生活に結晶している生活文化の豊かさ、しみじみとしたうるおい、内なる自己との調和、これなのである。

小塩先生は 「生活文化」というのは、英語でいう「ベター・クオリティ・オヴ・ライフ」よりも、もっと深いもののことである。としている。

さらに、「生活文化」 この語を積極的に用いたのは、第二次世界大戦前の哲学者、三木清であると紹介している。

オドロキである。三木清は、ハイデルベルク大学で、哲学を学んだ。

私は、ハイデルベルク大学の「日本学部」に顔を出していたが、そういえば、教授が教室の入り口に、三木清の入学証明書を、飾っていたなあと思い出した。

・・・世を挙げて戦争に転げおちていった時代である。戦争と経済が、すべてに優先していた。
そのまっただなかで、三木清は、「生活文化とは、まず生活への、主体的で積極的な態度」であると説き起こし、「文化への意志」を持とうと訴えた。

以上、小塩節先生の著書からの引用

私の亡くなった父などは、「たのしむ」「遊ぶ」ということは、「ぜいたく」であるからと、自ら戒めていたところがある。

今、70-80代の人は、余暇は、怠惰であり、日本人の勤勉性を失わせる亡国の論であるという風潮を、受け入れていたように思う。

余暇とは、「余ったヒマ」でなく、「余裕(ゆとり)の時」なのだ。

「余裕のないところから、何も生まれない」ということを、かみしめたい。

職場のような外側から管理される場と時間から解放されて、「個人」の場と時間を、重視するバランスのとれた「生活」が、豊かな人間を生み出すというコンセンサスが、ドイツにはある。

日本でも、それは気付かれながら、日本の労働市場のただなかにいる人たちは、余暇を持ち、生活を楽しみ、人生を、丸ごと享受することが難しい。日本の男性は、会社人間で、働くことが、ホント好きだからね(笑)

「明朗で、健康で、また能率的な生活は、美しい」

そして、「われわれは、知力と英知を傾けて、人生を愛し、生活文化の厚みをつくっていこうではないか」と、三木清は、締めくくっているのだそう。(三木清の何という本だろう。一度、原典をぜひ読みたいものだ。)

第二次世界大戦直前の提言なんだよね!

それから、戦後、60年以上が過ぎた。

私たちの生活は、厚みと深みとゆとりのある「生活文化」を、実現しているだろうか?

社会において、情報のスピードが加速した結果、格差は開き、新たな生きづらさを、生み出している気がしてならない。

ウィーンには、「生活文化」の質の高さとよさがあり、それが魅力だと言われる小塩氏の主張には、同意する。

ウィーンでクラダ社を訪問したとき、「ウィーンは、ちょっと保守的で、スノビッシュね」と息子のローマンに言ったら、笑顔で、「ウィーンは、それを、守っていかなければならない伝統があるのだ」と言われた。

まっとうな生き方をしている錫職人の彼らが、それを支えている。ウィーンには、市民社会の成熟がある。

蛇足ながら、ウィーンの魅力は、年配の女性が、魅力的で、しかも大事にされていること(笑)

まもなく、今年も、ウィーンのクラダ社の錫製品を持って、「ショップ ダンケ」は、ゴールデンウィークで開催される「ラ・フォルネ・ジュルネ・オ・ジャポン 熱狂の日 音楽祭2008」に出店する。

今年のテーマは、「シューベルトとウィーン」である。展示ホール2で、「シューベルト市場」がある。音楽に浸り、こちらにも、お運びください。


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