犬がわかるのは、過去と現在と、次の瞬間の未来だけなのだそうだ。
たとえば、ちゃんと、伏せをしたら、おやつがもらえるとか、リードを飼い主が、ちらつかせたら、散歩に連れていってもらえるとか、現在と結ぶついた直近の未来だけ。
人間のように、先がどうなるかなんて、不安を持ったり心配しないのだとしたら、ずいぶんお気楽でいいねとヴォルフィの笑顔見て思ったりする。
...「死」を理解することも難しいということだ。飼い主の死に遭遇して、それが、もう会えないということとは、結び付かないらしい。だから、忠犬ハチ公のような犬がいたりするのだろう。どうして、先生は、駅から降りてこないんだろう。ハチ公は、不思議で仕方がなかったに違いない
でも、先生が現れず、がっかりして、トボトボと帰って、一夜を明かして、また駅に現れる。ここが偉いところだ。長い時間のインターバルを覚えているのだ。明日という未来は、会えると信じて。
「待つ」という、今の私たちが、苦手なことをやってのけたハチ公は、やはり特別の犬だったのだろうか?
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