ハイデルベルクは、私が11年を過ごした町。町並みは、来るたびに、少しずつ、あるいは、思いのほか変わる。私も、すでに住人でなくなって、久しい。
私の通った学部の校舎があるプレックを歩くと、思い出の断片がつながっていく。記憶の奥底にしまいこんで、自分でも忘れていたようなことが、連鎖的に浮かぶ。
あの時の友達の笑顔が、昨日のことのように思い出されるのに、私の友達は、もうハイデルベルクにはいない。ドイツ各地に散った。大学町であるので、学生にとっては、通過点になる町なのだ。
生活の基盤を、日本に置きながら、ドイツを見る。これが、私が選んだスタンスである。
インターネットを使って、ドイツから発信する人には、その速報性と詳細さにおいてかなわない。
ドイツを離れてしまった私に何ができるだろう。私が思うドイツを体現する小さな雑貨を、私は、どこまでキャッチできるだろうか?
独立してオフィス・ダンケを運営しながら、一歩進んでは、逡巡し迷う。自信満々に振舞う女性起業家には、はあああと羨望とため息が出る。これが、本当の私だ。
ダーリンは、やれやれと呆れながらも、根気強く、私を励ましてくれる。不安になると、人と比べてしまう。私の悪いクセだ。既成のサクセス・モデルに、翻弄されても仕方がないというのに。
イエズス教会は、大学広場の裏側、奥まったところに、ひっそり立つ。イエスキリストを抱いたマリア様の像が、柱のくぼみにある。この像を、苦しい気持ちで見上げたこともある。
そんな感傷に浸りながら、今日も、マリア様を見た。変わらず、ずっと今も、このマリア様像があることがありがたい気がした。普段、宗教心などから遠いところにいる私だが、ちょっと慰められる気分になる。日本でも、私が、仏像が好きなのは、人々の祈りの気持ちを、一身に受け止めていると感じるからだろう。
明日から、フランクフルトの見本市である。取引先とのアポイントも取っているのだし、行かなくちゃ。とりあえずは、動いてみよう。考えてから、動くより、動いてから、走る理由を、考えよう。後からのこじつけであってもいいじゃないの!