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博士の愛した数式 映画

2006-01-23 09:07:00 | 映画&ドラマにハマル!
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「博士の愛した数式」を、週末、見に行った。美しい日本映画が、1本送り出され、観客となった幸せをかみしめた1時間57分だった。公式サイトは、ココ 博士の愛した数式

小川洋子の原作小説を読んだとき、簡潔で、りりしい文体で紡がれる物語を、映像化するのは、予想がつかなかったところがある。主人公の博士同様、彼が愛した数式それ自体が重要な役割を担うからである。

数式が持っている完成美を、原作者は、言葉を尽くして表現しようとしたが、小泉堯史(たかし)監督は、それを、どう映像で、表現していくのか?

事故で、記憶を80分しか保持できない数学者に、円熟の寺尾聰を配し、彼の世話をするため派遣された家政婦の杏子に、深津絵里、息子のルートに、10歳の斎藤隆成と、小泉監督が、望みうる万全のキャスティング。

キャスティングの重要性については、クリエイターズステーションの小泉監督のインタビューに詳しい。監督の寺尾さんへの絶大な信頼があって、この映画は出発している。完成した映画は、博士を、寺尾聰以外に演じることは考えられないと誰もが思うものになった 小泉監督は、映像化の難関であった数式や数学の魅力を伝える難しさを、成長したルートが、数学の先生となり、黒板を使って、授業で学生に教えるという演出プランを思いついた。先生は、吉岡秀隆が演じた。カンペキだ(笑)この映画的手法は、見事に成功している。

ルート先生は、学生に、楽しげに、わかりやすく数学の説明をしながら、過去の自分たち母子と博士の物語の語り手になる。博士と母と3人で過ごしたかけがえのない時間の映像が、組み込まれ、その過去と現在の絡み、配分が、絶妙だった。

「時は流れず」と、ルート先生は、最後のほうで、黒板に書く。博士と過ごした過去の時間は、ルート先生自身には、現在に引き継がれ、永遠の時を刻んでいる。

博士の人物像が、秀逸である。記憶障害があり、数学のことしか頭にない浮世離れした人物。経済面では、義姉の援助に頼り、およそ「実生活」というものが営めない。

そのぶん競争や、見返りといったものから、無縁。あくせくした現実社会と遊離した存在であるからこそ、無垢でもある。そんな彼が、無条件に、子供をいたわり、可愛がり、慈しむ。

ルートの母親役に挑戦した深津絵里の清々しい演技が光った。数学の美しさを、博士に教えられ、きらきらした瞳で見返すところや、博士が、自分の記憶が80分しか持たず役立たずだと自嘲するとき、精一杯慰める演技も良かったが、息子のルートが、博士に頭をくしゃくしゃになでられて抱擁されるさまを、息をつめて見守る姿が、何より記憶に残った。今までにない新境地だと思う。

映画では、浅丘ルリ子が演じた義姉と博士が、原作以上に、はっきりと、ただならぬ関係であったことが示される。義姉が、妊娠した子供を中絶したことまで匂わせている。博士と家政婦とルート少年の3人の団欒を嫉妬し、家政婦を解雇、そして親子を受容するところまで、一連の義姉の過程を入れたことが、生々すぎると拒絶する派と、受け入れる派と評価が分かれるようだ。

カッチイは、能のシーンを挿入し、博士に、そのような痛ましい過去があり、その過去までは、博士の記憶が残っているという設定にしたのは、博士のキャラクターに、より深みと悲しみが出てよかったと思う。

映画で、3人が池の前で手をつないで、ぽつんと石が投げられ、水の輪が広がっていくのを見つめる後ろ姿が映し出される。輪は、ゼロで、○であり、完全である。それを、不完全であり、無関係の3人が、確かな絆で結び合って、見つめる。

最後は、博士の笑顔のストップモーションで終わる。寺尾聰の穏やかで、慈愛に満ちたイノセントな微笑みを、小泉監督は、撮れて、この映画は完成したという実感を持ったことだろう。人の表情ほど、雄弁に物語るものはない。

残念なことに、杏子やルートが、どれだけ博士を敬愛しても、その想いは、博士の記憶に残らない。それでも、あの博士の微笑みを見れば、無償の愛というものの本質を、私たちは、教えられるのだ。自分の愛が報われることを期待しない。ただ、その人が存在してくれることを「感謝」する。成長したルートが、海辺で博士に、頭(こうべ)をたれて一礼した姿は、それを体現していた。

美しい日本の自然を映しこんで、小泉監督は、ぶれない確固たる信念をもって、この映画を作り上げた。日本映画ならではと思ってしまう詩情と、慎ましい端正さに満ちている。

この映画のよさを、しみじみ堪能できる自分であって嬉しい。


映画のはしご

2005-12-07 00:00:00 | 映画&ドラマにハマル!
休日に、Webで知り合った吉岡ファンと、映画のはしごとをした。佐々部監督の新作だから見ておかなくちゃとということで、午前中、「カーテンコール」ランチも食べずに、梅田の街を移動、午後から、山崎貴監督の「Always三丁目の夕日」

くしくも、2つの作品は、昭和という時代を舞台にしている。
佐々部監督は、ふるさと下関にかかる映画は、全部見たという映画小僧だった自称されるが、昭和30年代に活躍した幕間芸人にスポットを当てた子の映画を見ると、監督が、どれだけ映画を愛しているのかがわかる。

親とぎごちない関係のタウン誌の記者・香織が、ふとしたことから、幕間芸人の「安川修平」を探すことになる。

この安川修平に、藤井隆くん。このアマチュアっぽい芸人さんの一番の売りは、笑顔かな。子供をはさんで、奥さんの手作りのお弁当を、劇場のベンチで食べるささやかな幸せのシーンが、いいんだよね。このシーンは、最後に印象的に使われる。

しかし、映画の衰退期とともに、彼は、居場所を失い、奥さんが亡くなったあとは、娘を捨てて、姿をくらましてしまう。「安川修平」が、在日であったということが、途中明かされるが、この設定が、若い人のなかには、唐突に映る人もいるかもしれないが、朝鮮半島に近い下関で育った40代の佐々部監督には、在日という登場人物が出てくるのは、不自然ではないのろう。

現代っ子の香織が、学生時代に、内心、自分も好きな相手に、好きだと告白されたが、その人が在日と知って、断ってしまった。「こわくなってしまったの、ごめんね」と再会した時に言うシーンをはさんで、この問題を映画のバックグランドにしている。

地味なささやかなお話なんだけど、しっとりと家族の物語を、描くところは、やっぱり佐々部監督らしいなと思いました。

さて「Always三丁目の夕日」は、私は、4回目で、われながらスゴイと思ってるのだけど、友達は、二桁らしい!もう、どのシーンが出てくるのか覚えちゃったね。

茶川先生が、淳之介に対して、「お前と俺とは、赤の他人なんだからな」というセリフをいう場面が、3回あるのだけど、全部ニュアンスが違うのよね。茶川先生は、そんなにイヤなやつじゃない。世間に認められないから、すねて、愛に不器用なだけ。そんな人が、淳之介を抱きしめるから、感動しちゃいます!吉岡くんは、今年は、アカデミー男優に違いない!


Always3丁目の夕日1

2005-11-10 00:00:00 | 映画&ドラマにハマル!
もう、久々の日記というのに、ドイツのことでなくって、ごめんなさい。

やっぱり吉岡さんなんですよ(笑)「Always3丁目の夕日」の映画が、封切られて、評判は上々のようで、にんまり。

「ジョブナイル」「リターナー」の山崎貴監督が、昭和33年代の東京の下町を再現!ということで、何よりこの映画は、注目された。前記2作のように、未来の話で、想像上のことだったら、ファンタジーで逃げられるけれど、ちょっとだけ昔で、その時代に生きた人たちが、観客としてくるのだから、作る側としては、試練だったでしょうね。あんな風でなかったという観客のチェックに耐えうるものを作らなくちゃいけない。山崎貴監督だって、昭和39年生まれだから、当時を知っているわけじゃない。

出来上がったものは、見事に私たちを、昭和33年にタイムスリップさせてくれる仕上がりとなった。私は、だいたいCGやVFXといったものに疎い門外漢なんで、こういう技術が、どれだけ難しいものかということは、さっぱり、わからないのだけれど、画面から、冷たさや人工的な香りを感じなかった。それより、横丁から、魚の焼くにおいや、修理工場の油くささが、漂ってくるよう。

生き生きと、夕日町の個性豊かな住人が、生活しているのに出会えた。原作が、漫画だから、エピソードの積み重ねなんだけど、うまくつなげて、人情話にしたと思う。最近、山崎監督の「リターナー」を見たのだけど、ありえないドンパチの中をくぐりぬけていく金城武に、違和感を感じたものだ。「3丁目の夕日」では、じっくり、俳優の演技を撮ったのが、よかったよね。

泣けるし、笑える。多分、この映画に一番、熱くなれるのが団塊の世代以前の人たちだと思うが、この映画を見て「あの時代はね、お父さんは、こんなことしていたんだよ。」とか、家族で会話がはずむと何より嬉しいと監督は、コメントしていたけれど、映像を見て、それぞれの人の記憶が呼びおこして、語りたくなるようにしちゃうなんて、映像作家の勝利だよね。


四日間の奇蹟6

2005-06-06 00:00:00 | 映画&ドラマにハマル!

あと、加羽沢 美濃の映画音楽は、本当に、映像の邪魔にならず、俳優の気持ちに寄り添うような音楽で、耳に心地よい。主題歌の平原綾香の「Etenally」も、歌詞もよかったし、いつもより高い中音で歌われるサビが、何ともドラマチックだ。

それと、この「四日間の奇蹟」の舞台となった山口県の角島というところは、本当に、ユートピアのような美しい島で、ここだからこの奇蹟が起きたことが、信じられる。最後のエンドロールで、この島をゆっくりカメラが追っていき、全景を映して行ったのは、印象的。教会のセットが、まだ残っているというが、観光客が詰めかけるだろうな。

作品自体は、俳優のリアルな演技を積み重ねた演出で、ファンタジーでありながら、絵空事でない重みを感じさせ、『世界の中心で、愛をさけぶ』や『いま、会いにゆきます』といった既成のラブファンタジーとは一線を画す作品になっていると思う。

死を目前に、今まで生前に交流のあった人に、感謝するというちょっと気恥ずかしい、でもそうしたいと誰しも思う生き方の理想を、正攻法で、丁寧に作り上げている。今流行の派手な超大作とは、真逆のささやかな物語であるが、そこが、佐々部監督の真骨頂である。

助監督を長くつとめた佐々部監督は、40代になって、破竹の勢いで作品を撮っている。去年アカデミー賞作品賞を獲得した「半落ち」のあとの本作で、6月4日の封切り以降、これからどのような評価を得るのだろうか。見守っていきたいと思う。


四日間の奇蹟5

2005-06-05 00:00:00 | 映画&ドラマにハマル!

千織が、14歳という中途半端な年齢であることが、このファンタジーな物語を成立させている重要な要素だと、映画を見終えて思う。

吉岡秀隆が敬輔を演じることを念頭に入れて、映画をスタートさせたという佐々部監督だが、吉岡秀隆だと元々持っている居ずまいとか存在感で、原作の前半の過去の説明をしなくても、リアリティを示せるからだとビジュアル・ストーリーや、クランクアップのインタビューで発言している。

彼の清潔感のある立ち居振舞いが土台にないと、千織と並んだときに、妙な色気が出てきてしまうということらしい。

妙齢の千織では、敬輔が引き取るという関係が成立せず、愛憎する感情を持ちながら、彼女のピアノの才能を育てるという設定にはならない。

そして14歳の千織に、真理子が入ることで、敬輔に、恋愛感情や、無償の愛を注ぐ父性を含めた豊かな人間性が引き出される。

敬輔を演じた吉岡秀隆は、映画パンフレットで、「敬輔と千織は、結婚するのかもしれないな」と言うのだが、うーん、そこまでいくんだと思ったが、そうだろうなと納得した。しかし、それで、二人に子供が生まれるのか?とまで考えるのは、またまたリアリティに捉えられ過ぎるというものだろう。

ただ、真理子が、実際あれほど子供を切望し、敬輔と真理子の真中に千織がいて、3人が家族のように手をつなぐショットが出てくるところを見ていると、母性は、子供を欲しいと思うものだと説得させられる気もする。子供をもてなかった女性には、少しツライところである。

愛し合うカップルに子供が生まれ、家族になり、それが、社会の最小の単位になるというのが、理想だから当然か。

しかし家族が欲しかったのに、それが得られなかった真理子だからこそ、よりその母性の強さを、客観的に認め、賛美したのかもしれない。

真理子を演じた石田ゆり子が、快活でありながら、ふんわりした優しい雰囲気も漂わせ、とてもよかった。原作の饒舌すぎる真理子よりも、独特の透明感があって魅力的だと思った。去年の「解夏」よりずっといい。彼女の代表作になるんじゃないかな。

アカデミー賞の新人賞は、尾高杏奈ちゃんでキマリかなと思う(笑)

吉岡秀隆の「受け」に徹した静かな演技は、見る眼のないひとには、地味に映るかもしれないが、玄人には高く評価されるだろう。特に、俳優には嫉妬されるのではないだろうか。