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ショップ ダンケ

ドイツ雑貨「ショップ ダンケ」のオフィシャル・ブログ

朝の散歩2

2007-11-06 18:12:35 | 徒然草

Sanpo4 11月16日から始まる梅田スカイビルのクリスマスマーケット の準備にクタクタ。始まる前から、あごを出していて、どうする?と思いつつ、プライスシールをつけて、小分けしてパッキングしていく細かい作業に、肩こり。背中も丸くなる。

気分転換に、朝の散歩を延長して、生駒山に登ってみた。といっても、ケーブルカーなんだけど(笑)

生駒頂上遊園地は、家族連れが多いが、大阪まで見渡せる景色を見ながら、お茶するのは、定番ながら、すがすがしい。

帰りは、歩いて降りようという連れの発案に従ったが、これが大間違い。山というのは、降りるのは、やっかいなのを、すっかり忘れていた。ひざが笑うというのは、こういうことねと実感しながら、ずるずると降りてくる。

途中に、かわいいお地蔵さんに出会って、丸っこい表情になごんだのも、つかのま。そして、翌日から、ひどい筋肉痛に悩まされることに(泣)

山を歩くと、いつも思うのだが、けっこう一人で来ている男性が多い。団塊の世代かなと思う人が、慣れた様子で、さくさく歩いていく様子を見ると、自然と孤独を楽しむ術を心得ているのかなと思う。オバサンは、グループで賑やかに、山登りするのだけどね。


対話(Dialog)

2007-09-05 18:15:16 | 徒然草

本当の対話(Dialog)とは、言葉のキャッチボールをすること。
投げられたボールが、放物線を描いて、ミットの中に、収まったとき、
心は、震える。
パシッと響くその声に、耳を澄まそう。

微笑みを前に、自分でも思ってみなかった方向に、ボールを投げてしまうこともある。
でも、相手のミットから、ボールは、こぼれ落ちることはなく受け止められる。

優しく聞いてもらえた時、”安心”に包まれ、守られる。
思いやりを、口にするのに、何のてらいもない。

理論武装の鎧は、たやすく脱がされてしまう。
饒舌だったのに、胸が一杯になるから、ただ、沈黙を返すしかない。

二人は、その場に流れる空気を、共に吸い、感じるだけ。
そこには、貴重なコミニュケーションが成立している。


朝の散歩1

2007-07-12 00:53:49 | 徒然草

Sanpo3 子供の時から、宵っ張り。典型的な夜型人間で、夜の10時ごろから、目がらんらんというヒトなのだけれど、SOHOになって、出社時間というものがなくなると、益々それに拍車がかかってしまうのに、危機感を抱いて、一念発起。

「朝型人間になれる本」(美波紀子著 幻冬舎文庫)というのに、啓発されて、頑張って早起きしてみた。

そして、私がしたことは、朝に散歩すること。これが、目からウロコというほど、生活改善の助けになって、快調。朝というシーンが生活に登場してきたのだ。

ウォーキングなんかじゃない。ただ、プラプラ歩くだけ。万歩計もつけないし、ウォークマン(古いか?)で音楽を聞いたりもしない。もちろん、携帯もお財布も持っていかない。歩きやすい靴で、ラフな格好で出る。リュックサックには、汗をふくタオルと、コーヒーのポット。りんごを半分とかプラムを1個。小さなサンドイッチや、ケーキを一切れとか。それを、ちょこちょこ用意するのも楽しい。

私の住む生駒市は、人口13万5000人くらいの大阪のベッドタウン。大阪から見て東にある生駒山(642m)を越えれば、奈良県なのだ。古くからの閑静な住宅地である。

お気に入りの散歩コースになったのが、私のマンションから、歩いて半時間のところの往馬大社。大神神社や、石上神宮と同じように、山そのものが、ご神体である。神社で最も古い記述は、「総国風土記」の雄略天皇3年(458年)ということだから、来る平成21年に、1500年を迎えるという、びっくりするような歴史のある日本有数の古社なのである。本当に、「鎮守の森」というのにふさわしい、こんもりした森を備えている。七夕のお飾りが残っていた日の神社を、デジカメに撮ってみました。

サラリーマンが、出社するくらいの時間に、神社に散歩してみて驚いた。お参りに来るヒトがいるんだよねえ。初老の人が多いが、パンパンと、拍手を打って、頭(こうべ)を垂れる。私も、同じようにする。

そして、境内でコーヒータイム。背の高い針葉樹から、マイナスイオンが放たれているのは、本当だと思うほど、朝の木漏れ日は、すがすがしい。

そこで、半時間くらい、何をするでもなく過ごす。これが、いいんだなあ。静かな時間、そよぐ風に、揺れる緑を、ぼんやり眺める。森林浴ね。そして、うちに戻る頃には、中学校の校舎を通ると、カランコロンと、始業のベルが、青空に響く。

朝の時間を、味わうということは、本当に、今までの生活のなかでなかった。一日を早く始めると、その日の時間が有意義に使える。それには、とにかく早くその日のうちに、ベッドに入らなくては。

雨の日に、散歩できなくなるのが、残念だと思うところまで、来ているのだが、この美しい習慣は、いつまで続くでありましょうか?


私の父

2007-01-27 22:11:37 | 徒然草

思いやりのある人、ジェントルマンだった。

晩年、目が悪くなったことが、受け入れがたいようだった。
77年、役にたってきた目だったから。
いくつも病気を抱えていたけれど、直前まで、うちで穏やかに過ごせた。
父の世話をしてくれた兄家族に、感謝。

末っ子の私は、叱られた記憶がない。
普段は、仕事一途で、子供の頃、遊んでもらったりしたわけでないけれど、その背中に守られてきた。

幼い頃、新しい洋服を買ってもらったとき、必ず着て、父に見せに行った。
「おお、かわいいよ。似合っているよ」と誉めてもらうのは、他の誰に誉めてもらうより格別だった。

娘時代は、友達と遊んで夜遅く帰ってくる私を、しょっちゅう駅まで迎えにきてくれた。
さすがに続くと、不機嫌そうで、車のなかで小さくなっていたものだ。

勝手に、就職先を決め、そして辞め、添乗員のようなヤクザな仕事に就いても、黙って見守っていてくれた。あの時も、毎回、空港に送ってもらったっけ。

音楽など縁のない人だったのに、母に引きずられて、しぶしぶ尺八を習った。母のお琴と父の尺八の合奏がうちの中に、響いてくるのを、聞くのが好きだった。

夏が来る前に、家族に看取られ、苦しむ時間も短く、母の元へ旅立った。
病院からの帰り、咲き誇る紫陽花を見たとき、母が迎えに来たのだと思った。
紫陽花は、母がこよなく愛した花だった。

私は、貴方の娘に生まれたから、幸せ。
私が好きになる男性は、いつもどこか、貴方に似ている。
お父さん、ありがとう。

Mein Vater

Ich bin glueckglich, weil ich als deine Tochter geboren bin.

Die Maenner, die ich liebe, sind immer etwas dir aehnlich.

Vati, Ich bin ganz dankbar fuer dich.


Time Difference (時差)

2006-08-22 01:01:04 | 徒然草

日常生活で、何気なく、時計を見る。
私は、その時、習慣的に、ドイツ時間を、計算している。

夏時間なら、7時間、冬時間なら、8時間、
日本時間は、進んでいる。

ドイツと日本の間の横たわっている6000kmの距離が、
私たちの間のTime Difference (時差)となっている。

午後、仕事の合間に、あなたが、目覚める時間だと気がついたりする。
あなたは、眠りにつく前に、私にモーニングコールをする。
その日の出来事を話し合って、寄り添うつかのまの時間。

会えない時間の孤独は、お互いに、一人でかみしめるしかない。
あなたのことを想い、私は、あなたと私自身を、支える。

あと、数時間で、関空に向かう。
機上の人となって、6000kmを、縮めていく。
フランクフルト空港で、あなたの笑顔に、迎えられるとき、
私たちのTime Difference (時差)は、ゼロ。