僕の感性

詩、映画、古書、薀蓄などを感性の赴くまま紹介します。

啄木の誤算

2009-07-29 23:28:20 | Weblog


石川啄木は、短歌の添削をしていた時期がありました。全国から送られてくる短歌に赤字をいれ、指導をしていたのです。
啄木は平山良子という女性に目をつけます。
彼女から啄木に「短歌の指導をしてほしい」という手紙が来たのです。
24歳の独身ということで、啄木はときめきを覚えてしまいました。
「写真を下さるという事で、首を長くして待っています」
そんな浮かれた手紙を添えて返信しました。
返事を待ちわびていると、2週間後に良子から写真とともに手紙が届きます。
啄木は良子のことを一発で気に入り、こんな返事を書いています。
「私はあなたをこの上なく美しい人だと思います」
短歌の指導から目的が逸脱してきました。その後ふたりのやりとりは続き、啄木は平山良子にどんどん惹かれていきます。
啄木はどんな女性か知りたくなったので、短歌の指導仲間を使って探りを入れました。調査を終えた仲間が啄木に告げた真実はあまりにも衝撃的なものでした。
なんと平山良子は良太郎という男だったのです。
良太郎は女性の名前を語れば丁寧に見てもらえるだろうと踏んだのです。
啄木は、すべてがばれたことを知った良太郎から謝罪の手紙と羊羹を受け取ります。
啄木からすれば悔しいやら恥ずかしいやらで、なんともいえない胸中だったのでしょう。
そこで宛名に嫌味をこめて返信しました。
「平山良子殿」
因みに啄木が受け取った写真の人物は祇園でナンバーワンの芸者でした。美しいはずですよね。

人生は融通がきくもの

2009-07-29 23:18:06 | Weblog

我等が書斎の窓から覗いたり、頬杖ついて考へたりするものよりも人生といふものはもっと広い、もっと深い、もっと複雑でそしてもっと融通の利くものである。





 明治42年7月29日、石川啄木が『函館日日新聞』に掲載した「汗に濡れつヽ」の中の一文です。
 この頃の啄木は、家族と共に東京の本郷にある「喜之床」という床屋の二階を間借りしていました。その部屋で初めての東京の夏を、啄木ら家族は経験していました。
 二階から外を眺めると向かう三軒が見え、一軒は車屋、二軒は並んでどちらも氷屋でした。氷屋は夏の間だけ開業し、そうでない季節は一膳飯屋をやっていました。
 啄木は二階からつぶさに通行人の様子を眺めるのが好きで、ある時、一膳飯屋が氷屋に豹変したことに気が付き、次のように思ったのでした。
 「自家の便宜だけ考えたやり方で、徳義上からは非難してよさそうなのに、誰一人氷屋になったために餓死した者はいない。そうして氷屋には朝から晩まで客がある。」
 その様子から啄木は、私たちが複雑に、深刻に物事を考えるよりも、人生はもっと融通が利くものであると語っています。

やきそばのソース

2009-07-29 21:45:56 | Weblog
不景気なので、やきそばが売れているみたいですね~ Take2の東貴博は具なしの塩やきそばがビールにすごく合うと言っていました。

クイズ雑学王でなぜチルド麺のやきそばのソースを粉末にするのかという問題が出ていました。
解説
カップ焼きそばは乾燥した少量の具材で調理するため水分があまり出ないので、
液体ソースをかけても適度な水分量を保つことができます。しかし、チルド麺は生野菜などと一緒に炒めることが多く、
加熱により野菜から余分な水が出て水分を吸収した麺が柔らかくなりすぎるなど、本来の食感を損なうこともあります。
そのため、粉末ソースで余分な水を吸収して適度な水分を保つようにしているのです。



夏野菜いろいろ

2009-07-29 21:37:36 | Weblog
実家からトウモロコシやユウガオ、胡瓜、茄子、ピーマン、シシトウが送られてきました。
ユウガオのあんかけは私の大好物です。ユウガオを炒めて、水、和風だし、鳥ガラスープの素、コンソメを入れユウガオが半透明になるまで煮ます。醤油で味を整え、水溶き片栗粉でとろみをつけて完成です。

トロッとした舌触りが最高の料理ですよ。