僕の感性

詩、映画、古書、薀蓄などを感性の赴くまま紹介します。

詩人 宮沢賢治の知恵

2009-07-10 23:17:15 | Weblog
詩人 宮沢賢治が郷里の岩手県花巻町の小学生だった頃のことです。
ある日のこと、同級の乾一と言う子が先生から罰を受けて、水いっぱいに入った茶碗をもたされて、廊下に立たされました。休み時間になると、みんなが集まってきて、ガヤガヤと冷やかしたり意地の悪いことを言います。乾一は自然に腕が下がって水をこぼしそうになるのを、歯を食いしばって我慢していました。

それを賢治は見ていられなくなってしまいました。賢治は言いました。
「いいから、その水を飲んでしまえよ」
「・・・・でも、先生がおこるもん」
「かまわんさ。さあ、飲んでしまうんだ」
「だめだよ。おれ、こわいよ」
乾一はそれだけの勇気がなくて半べそをかいていました。
賢治少年はいきなり茶碗に口をつけました。みんながハッとして見守る一瞬、その水を一息で飲み干してしまったと言います。

賢治少年の行為は自分のためにしたのではありません。子供らしいヒロイズムは感じますが、エゴイズムを見出す人は誰もいないでしょう。
老若男女を問わず、「知恵があって賢く、活力にあふれた人物」でなければ
これは出来ない事でしょう。

この賢治の行為を「身を殺して仁をなす」といいます。

つまらない一日

2009-07-10 22:49:06 | Weblog
今日は、良いことなかったなー
仕事の途中で車とぶつかりそうになるし、体中が痛くて、だるくて
こんな日もあるんだなーというぐらいブルーな日だった。

世の中の一般の人は、自分が尊崇するものこそ最高だと思い込んで、
それ以外のものを“価値の低いもの”と断定してしまう。
だからいつもトラブルの渦中に身をおく事になるそうだ。

運転中も譲り合いの気持ちがあれば、事故もぐっと減るであろう。

「道を行なうとは、一日また一日と減ずるところにあるので、減じてはさらに減じ、ついには無為に到達するのである」・・・老子のいう「無為」とは、荘子の説く「虚」に通じる。
それは良識という看板の影にひそむエゴイズムを、限りなくマイナスにする努力の果てに現出するものだそうだ。