僕の感性

詩、映画、古書、薀蓄などを感性の赴くまま紹介します。

島根県 高津川

2009-07-12 21:08:03 | Weblog
島根県西部を流れる「高津川」は、国土交通省の2007年度の水質調査で、全国の一級河川の中で見事第1位に選ばれました。一級河川としては日本で唯一、支流を含めダムが一切ないという大変貴重な川です。また、この日本有数の清流で獲れる「鮎」は人気が高く、益田市周辺の名産品になっています。美味しいアユが釣れるだけでなく、雑魚をはじめたくさんの生き物が息づいています。
網、竹ざる、蠅帳などで水草をすくうと様々な雑魚やエビが姿を現すのです。

高津川

ミナミテナガエビ 美味!

イシドジョウ 美しい!

ドンコ ハゼ科 大食漢!

スナヤツメ (カワヤツメもいるらしい)

ヒメヌマエビ 尻尾の先に白いラインがあります。

ムギツク 他魚のいる場所に托卵する。

ウキゴリ ハゼ科の魚 第一背びれに黒い点がある。

ギギ セイハクともいう。ナマズ目ギギ科の魚 夜行性。

ゴギ イワナ属の魚 希少種

他に、カワムツ、ウナギ、モクズガニ、オヤニラミ、イトモロコなど多くの生きた宝石が棲息しています。

オオバコ

2009-07-12 17:46:20 | Weblog

オオバコです。車前草ともいいます。全国津々浦々、何処に行っても道ばたで見掛けるのが、オオバコです。
子どもの頃、オオバコの茎を交差させ、引っ張り合って切れたほうが負けという相撲のような遊びもしました。茎を歯で噛んで繊維質を丈夫にして戦ったりもしました。そういえば「相撲取り草」と呼んでいました。なつかし~
車前草の名が示すように、人や車が頻繁に通る路傍に多く、踏まれても踏まれても枯れずに生き残る、恐ろしく生命力の強い草なんです。
オオバコの葉や種子を煎じたものは、咳止め、利尿、頭痛、下痢止めに効き、葉を塩もみしたものは、おできの膿だしにも使われるなど、万能薬的存在です。

オオバコは俗にオンバコとも呼び、カエルッパやゲェロッパともいいます。
何でも死んだ蛙をこの葉で包むと生きかえるということからきたらしいが、これは一種のしゃれ言葉なのでしょう

山形名物  だし

2009-07-12 17:28:25 | Weblog


今日の昼食は、山形名物 「だし」でした。
胡瓜、茄子、紫蘇、葱を細かく刻み、調味料入り醤油を水で薄め、かけてよくかき混ぜます。今日はなかったので使わなかったのですが、茗荷、オクラ、納豆昆布などを加えたりもします。
熱いごはんにかけるのもよし、冷奴にのせるのもよし、ソーメンのタレに加えて食べるのも乙なものです。
冷蔵庫で冷やしてから食べると、なおヒンヤリ感があって美味しいです。

渇愛と慈悲

2009-07-12 11:24:33 | Weblog
瀬戸内寂聴さんによると、仏教では、愛を二つに分けて、ひとつは「渇愛」、もうひとつを「慈悲」と言うそうです。

以下寂聴さんが話した内容です。

 渇愛というのは、私たち普通の人間の煩悩による愛です。それは砂漠の真ん中で喉が渇いた人が、お水をちょうだい、もっとちょうだいと悶えるように、「もっと愛して、もっと愛して」と言って、いくら愛してくれても物足りない愛ですね。
 それは愛のかたちをとっているけれど、とどのつまりは他を愛しているのではなく自己愛です。他を愛している自分の欲望を愛しているのです。非常に激しく、苦しみます。

 そして、渇愛の対極にあるのが慈悲。慈悲はあげっ放しの愛で、自分が愛した分を返しておくれという渇愛と違って、報酬を求めない愛です。

 寒さに凍える人を見たら、自分が着ているものを脱いでも、あげずにいられない。
 自分が食べなければならない食料も、自分より飢えている人にあげずにいられない。
 自分よりかわいそうな人がいれば、慰めずにはいられない。一緒に手を取って泣かずにはいられない。
 そういう愛が湧いてくる。これが慈悲です。慈悲の「慈」は、慈しみの愛です。「悲」は悲しいと書きますけれども、これは悲しいのではなくて、もっと切実な、自分以外の不幸な人を見捨てることのできない愛。思いやりの愛です。その二つの愛を合わせて慈悲といいます。

_____________________________________

 寂聴さんの話の内容は、仏教に深く関わるものです。けれど私たち普通の人が実践しなければいけないのが慈悲の心を持つということです。
 臨済宗の開祖栄西のもとに、厳冬の夕暮れ、飢えと寒さにふるえる一人の男が訪ねました。
「私の女房と子どもは、もう何日も何も食べておりません。このままでは私ともども餓死してしまいます。どうか、お助けください。もう、精も根も尽き果ててしまいました」
 栄西は何とかしてあげたいと思いましたが、手元には金銭も食べ物もありませんでした。やむをえず、薬師如来の御像の光料(箔にする打ちのばした銅)を手渡して、金銭にかえて一時をしのぐように言いました。

 マザー・テレサは子どもの頃、道ばたで寒そうに震える男の人を見て、家に戻り、何枚もの衣服を持ってきて、その男の人に与えたといいます。

 このように、慈悲のこころ、惻隠の情を持ち、困っている人を何とかしなければという気持ちは無くしていけないものです。そして貧困や病気、戦争などがどうしたらなくなるだろうかという知恵を持つこともとても大事なことです。