真実と幻想と創価学会

創価学会について色々書いています。ほぼ毎週日曜更新。

最後の日曜日。

2017-05-07 22:17:06 | ブログ

早いものですねー。もうゴールデンウィークが終わりに近づいています。いや、もう実質終わったといってもいい時間(22時過ぎ)ですね。

始まる前から承知していたので、もう当然のこととして受け止めてはいますが・・・、もう二度と朝に起きたくないという願望は恐れにすらなってきていますw

皆さまはこのゴールデンウィーク、如何お過ごしでしたでしょうか。

私は例年の予定通り衣替えをし、猫らを一斉シャンプーしました。衣替えはともかく、猫のシャンプーは大仕事なのです。4匹いますからね。

それで思ったのが、今年はまだ少し涼しいですね。

例年ですと洗面所を閉め切って(逃亡防止)ドライヤーで乾かすのですが、人間は汗だくでした。今年はせいぜい汗ばむ程度。さて、夏本番はどうなるのでしょうか。暑いのが苦手な私としては冷夏希望です(農作物などに被害が出ない程度で)。

今回も本テーマの記事はお休みで、雑記という感じでお送りします。

とあるブログで読んだのですがね。

人は隔離された「場」を「全て」だと認識するようになっているそうで。

テレビ番組の中や飲み会などの実際のコミュニティー、ネットでも、その中で「同じ意見ばかり」だと人はそれを「全て」だと認識してしまうことになるそうです。

あぁ、これどこかの宗教でも全く同じことやってるやん・・・、とw

その中で、仮に個人的には違う意見を持っていたとしても、とても言い出しにくいですよね。特に日本人は。そして10人の集まりで5人が内心はそう思っていても口を噤んで頷いていれば、10人全員同じ意見になっているんですよね。違う意見を持っている5人はそれぞれが「自分だけが違う意見か・・・」と心の中で思っている。

実際は過半数の意見ですらないのに。

学会で言えば、個人的な意見は専ら封殺される風潮ですよね。我見とか?愚直の信心とかで?疑いを持つことからまず徹底的に滅殺されます。

一応二代目の戸田会長は、疑いを持つこと自体は奨励していました。「疑って疑って疑い抜いた後に残るものが信心だ」と。

あの元職員の男性トリオがいますが、彼ら自体のやり方や思想はまあ置いといたとして、学会全体として見た時に反対意見や学会の意に沿わない人間は排除する、という鉄のような姿勢を証明していますね。

閉鎖された創価学会という「場」の中で「意見を同じ」にするというのは、求心力の低下が著しい現状では重大な運営方針の一つなのでしょうね。

最近では元職員トリオさんたち、数年後に謎の事故死や不審死を遂げやしないかと少し気に掛かります。いや、単なる個人的な懸念ですけれどね。

懸念が現実とならないためには今のように自分達のことを発信し続けるといいと思います。熱烈な支持者もいるようですから、頑張れますよね。近くにいたら絶対にやめて欲しいですけれど完全に他人事なのでw

今のままでは彼ら自身が本当の支持を集めることは不可能に近いと思いますが、それでも学会でこれから大きな動きがあれば彼らの主張が注目を集めることはあるかもしれません。

元職員という立場を活かして、これからも学会本部や運営に関する暴露を続けていってもらえたらと思います。

さて、明日のことを考えると憂鬱で仕方のない日曜日。せめて早く寝ることにいたします。ではまた来週!


6 コメント

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Unknown (けいこ)
2017-05-08 00:26:43
この3人組もかなり、しばりがあった様ですね。彼らの組織内組織に入れば、旅行会や他の集まりもあると。途中で裏切り組織内組織を離れれば、徹底的に潰す等読みました。潰すと言うのは、信仰者として穏やかじゃないですね。

学会への意見書を手紙にしたため、上層部に渡そうとしたとか、ブログにあります。ダラダラ長い文書を度々渡され、忙しい時は業務の支障にもなると、判断され除籍や解雇の理由か。うち1人は「母親に学会除籍のお前が死ぬ事を祈念してる。」等言われたと、これも身内で物騒な話ですね。ウチは私以外、学会員はいないけどさすがに親子でこんな会話にならなかったなぁ。信者として除籍で本部職員解雇、また復職をかけての戦い?。学会側も部員や職員を脅し、再び変な組織を作りそこに入らせたり、横断幕を駅前に貼る人物を、復職させると思えませんがね。1年半後には復職を勝ち取る等、現実離れした話に正気かと度々思います。
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Unknown (まる)
2017-05-08 19:52:12
クロさん、皆さん、ご無沙汰しております。お元気でしょうか。
私は家族サービスの連休でした。お金もあっという間に飛んでいき…(>_<)また今日からバリバリ働きます!

失われたウン十年を取り戻す、なんて大層なものではありませんが、連休中にちょっと足を延ばして成田山新勝寺と鹿島神宮へ御詣りしてきました。
特に鹿島神宮、空気が違いますね~。諏訪大社に御詣りしたときも感じましたが、厳かで、でもどこか懐かしいような、なんともいえない空気でした。日本人で良かったなぁとしみじみ。

で、初めて御朱印を頂戴してきました。これがまたいいですね。目の前で書いてくださることもそうですが、流れるような筆文字の美しさに感動しました。
なんたって参詣に関しては子どもより無知なので、ちょっと検索してみたらば、日蓮宗では御首題といって、あの題目を書いてくれるんですね。
その題目の筆に魅せられ日蓮宗のお寺をあちこち巡っていて、ここも日蓮じゃん、と大石寺に凸した猛者がいましたが、「関係者以外お断り」で御詣りすら叶わなかったそうな…
まあ、正宗からしたら不敬極まりないんでしょうね。題目のコレクションみたいで。
日蓮宗のお寺でも御朱印にはあまりいい顔をしないところがあるようなので、正宗や学会に限らず、日蓮の思想そのものが他を認めない部分があるのでしょうね。

学会も全国に会館や墓園があるんだからスタンプラリーでもやればいいのにと思いましたが、どれもほぼ同じ造りなんで、つまらんですなw
そもそも誰の得にもならないww

夏にはお伊勢さんに行こうと思ってます。
バリ活の頃になぜか行ったことがあるんですが、今行けば違った気持ちで御詣りできると思います。あの時の非礼をお詫びしたい…(--;)

自分のことばかりズラズラ書いてしまい申し訳ありません。この、日本人に戻れた喜びwを誰かと分かち合いたかったんですが、周りでは誰とも共有できないのでつい書いてしまいました。

クロさんも猫ちゃんたちと楽しいひとときとなったようで良かったですね。シャンプー大変そう…汗だくにもなりますね。
私も「今日から仕事かぁ」と重い腰をあげました。連休の終わりに近付くと職場の夢を見てばかりで、無駄に働いた気分でした。しかも夢なんで何もかも上手くいかないというww

今年度も、体に気を付けて頑張りましょうね!
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Unknown (アズラ)
2017-05-12 10:23:26
やっと連休が終わり、子供が学校に行き始め、ホッとしている母です…。
入院したり、退院後の副作用があったりで、ドタバタしておりましたが、かなり回復しました。コメント頂きまして、ありがとうございました。

私のように、生まれながらにして創価の中で育ってしまうと、それが普通だと思っちゃうんですよね。特に子供なんて、自分のテリトリーが狭いですし。
そして、中学…高校と、段々テリトリーが広がると、あれ?こんな世界があったんだ、とか思うようになる。
私の場合、あの大学に行きましたが、最初の夏休みで、色々な人と交流して、あれれ?と思う度合いが強まっていきました。

自分も偉そうに言えませんが、なかなか新しい場所に行く勇気が持てなかったり。
特に高齢者の方はそうですよね。昔からの土地に住み、不便さや健康不安があっても、ここに残る!となって。高齢婦人部が、お花畑から抜け出せないのも分かる気がします。
新たな場は、失う物もあるけれど、得るものもあるし、以前より良くなる部分もあったり…なんですけどね。
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けいこさんへ (クロ)
2017-05-14 22:02:38
元職員3名の彼らのブログには度々「上層部に手紙」を出したという人たちが登場します。彼らやその親族以外で、全く別件でそういう手紙(意見書)を出すという話です。
私は学会に身を置いたことがないので知らないだけだったのかもしれませんが、学会ではこの「手紙を出す」という行為は普通のことなのですね。
家庭訪問でも手紙を置いていかれることがありましたが、どうも全般的に手紙が主流なのかなと、最近になってようやく気付いてきました。
あれですかね。手紙だと相手が読んだかどうかの確認が取れない(出された側に都合が良い)からなのでしょうか。それとも学会内での慣習のようなものなのでしょうかね。

創価学会は元々敵対者や「魔」「仏敵」とされた人に対しては何をしてもいい、むしろ徹底的に叩け、と指導している組織です。
元職員3名にしてみれば「我こそが正義」。でも学会にしてみれば「学会こそ正義」。
人の世で争いが絶えないのはそれぞれの正義がぶつかるからです。
けれどその中身をよくよく見てみれば自分の利益を通す手段(横暴や暴力)のために「正義」の旗を掲げている、というだけのことも見受けられます。
それはそうとして、学会の内紛においてこのような「正義」云々を論ずる意味があるわけではありませんがね。
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まるさんへ (クロ)
2017-05-14 22:20:44
お久しぶりです。コメントありがとうございます!

充実したゴールデンウィークをお過ごしだったようで、何よりです。
神社はやはり境内に緑が多く見られるからでしょうか。厳かでいて包まれるようなぬくもりを感じますよね。とても気持ちのいい空気が流れているのが分かります。
日蓮宗の御首題というのは初めて知りました。そういうのがあるんですねー。
そしてちょっと排他的なのがらしいと言えばらしいですね。

学会の会館や墓苑のスタンプラリーww
ダメですよ、そんな学会が儲けそうなアイデアを披露しては!この夏から始まっちゃったらまるさんのせいですよw
もれなくそれはノルマになってしまいますからね。
スタンプはないでしょうけれど、学会の大誓堂とか?あの辺は学会員さん的にはパワースポットみたいな扱いになりつつあるんじゃないんですか?
おみやげ物も充実しているようですし、お参り・・・訪問?(適切な単語が分からない)するのが学会員さんのステータスの一つみたいになっている気がします。

今年の春のシャンプー大会は猫らも人間も怪我をすることなく、割とスムーズに終えることができました。
怪我をする覚悟で毎回臨むのですよ。昔、三男のシロにゃんは風呂場のドアに飛び掛って爪を剥がすという・・・。私は毎回助けを求めるように体にしがみつかれ、引っかき傷を負うという・・・。
そんな感じで毎回ヒヤヒヤものなんですが、今年は無事に乗り切りましたw
しかし猫らはもう8歳、9歳なので相当の数のシャンプーを経験しているはずなのですが、何故に慣れてくれないのか。
ドライヤーに猫パンチをかますのも毎回のことですw

連休が終わって1週間ですが、もうはるか昔のことのような感覚です。
ああ、あっという間に梅雨になってお盆休みが来てそして冬になる、ということですね。
まるさんにも、これからも色々な新しい経験が待っていることと思います。またよろしければお話くださいね!
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アズラさんへ (クロ)
2017-05-14 22:40:02
その後お体の調子はどうですか?
焦りは禁物です。ゆっくりじっくり本調子に戻して下さいね。

学会家庭に限らずですが「家」というのも、「隔離された場で同じ意見ばかり」という状況になりがちですね。学会家庭では「同じ意見」率が高いわけですが。
私は両親が毎日酔っ払って夫婦喧嘩をするのですが、それはどこの家庭でも当たり前のことだと中学生頃まで思っていましたねー。
夫婦喧嘩をあまりしない親がいるとか酔っ払わない親がいるとか、テレビの中の話だと思っていました。
けれどやはり中学生・高校生となってくると世間一般というものがどういうものか分かってきて・・・というはアズラさんと同じですね。
子供の頃はどうしても自身の家庭、親が「世界の全て」になってしまいます。
親自身がしっかりとしているとそのことを理解して子供に外に目を向けることを教えることもできますが、親自身が「隔離された世界」から抜け出せていない場合も多々あります。
アズラさんが仰るように、自ら「隔離された世界」に閉じこもっている人もいるでしょうし。
悪いことばかりではないというのは頭では分かっているのでしょうが、難しい部分ですね。
意外なことですが、人間にとって「変化」そのものがストレスでそれが「良い変化」であっても最初はストレスを感じるそうなのです。
幸せな結婚だったり、前より良い会社に転職だったり、広い家に引越しだったり、そういった自分自身も嬉しく思っていた変化だととしても、環境が変わるということに対しては負荷を感じざるを得ないということだそうで。
なら尚更、何があるか分からない変化に対して臆病になることは当然かもしれませんね。
世界が広がってみれば前にいた自分の位置も分かりますが、今いる場所からは外の世界は見えないのですから。
創価学会はその想像力を奪っているので、尚更違う世界のことは考えられないのかもしれません。
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