私が愛した池田大作 「虚飾の王」との五〇年 価格:¥ 1,785(税込) 発売日:2009-12-22 |
第一章 「カリスマ」として より
墓場で「俺を呼んでいる」
池田氏の側につき従っていると、時おり神懸り的な言動に接することがある。
一九六七(昭和四二)年春、総本山・大石寺に参詣し、墓苑に参拝するのでついてこいということで、学会や党の幹部ら数人でお供したことがあった。牧口常三郎初代会長や、戸田城聖第二代会長の墓もあるところである。学会の中でも古参会員の墓が多い。夕暮れ時、日が沈んで暗くなりかかった時刻だったと記憶している。
「おい、何か聞こえないか」
と言い出した。しかしどれだけ耳を澄ましても何も聞こえない。我々は思わず顔を見合わせる。
「申し訳ありません。何も聞こえませんが」
だが池田氏は遠くを見るようにして、
「いや、たしかに聞こえる。俺を呼んでいる。あっちのほうだ」
少し先を指差して、「誰の墓だ?」と聞くのでお付きの人間が走って見てきた。
「××さんのお墓でした」
「そうか。そうだろう」
池田氏はいかにも納得いった、という顔でつぶやく。
「やはり彼か。古い同志だ。俺を呼んでいるんだ」
そうした機会に接するたび、我々は、
「ああ、やはり池田先生はすごい」
と感じ入ってしまうわけだ。
墓苑の控え室に帰ってくると、我々はさっそく反省会である。
「おい聞こえたか」
「いや何も聞こえなかった」
「まだまだ俺たちは信心が足りないのだ」
こうして氏のカリスマ性が、さらに高まる結果となる。墓という舞台設定、夕刻というシチュエーションが、そうした感慨を煽るのに一役買っている面もあるのかもしれない。
実は私は、けっこう醒めた人間なので、内心どうしても他の幹部たちほどには没入できない。
「ああ、またやっとるわい」
といった思いについ駆られてしまう。
~ 中略 ~
もっと、極めつきのエピソードがある。池田氏がこともあろうに日蓮大聖人の生まれ変わりだという一世一代の大演技をしたのだ。これは私自身が実際に見たわけではないが、その直後に聞いた話だ。当時、学会や公明党内部では「やっぱりそうか」「すごーい」といった調子で語られていた。
「昭和四十九年二月十六日のことである。この日、日蓮大聖人生誕の地、千葉・小湊に蓮生寺が建立された。午前中、池田は初めてこの付近にある遺跡をめぐり、大聖人が法難で受けた傷を洗ったとの言伝えのある井戸までくると、側近のまえで、『たしか、あの時もこのメンバーだったなあ』とのたまわった。そして十二時ちょうど、立宗宣言の午の刻と同じ時刻に、清澄時に登るのである。境内にある千年杉という老木のまえまでくると、やおら、『なつかしいなあ!』と声をあげた。側近たちはびっくり、『これはすごい。池田先生は日蓮大聖人の生れ変りに違いない』と吹聴して歩いた」(『崩壊する池田創価学会』継命新聞編著、日新報道)
世間の常識では信じられるはずもない話だし、「幻覚か」とか「稚気愛すべきこと」と失笑したくなる。「なんでそこまで」と呆れもする。だが、ご本人は一種の高揚か自己酩酊なのか、本気なのだ。
日蓮さんの生れ変り。これも有名な池田氏の誇大妄想ですね。
しかも「懐かしい」とさすった杉の木は、日蓮さんの時代にはまだなかったというオチまでついている優れものです。
ここでは池田氏の奇行よりも、少し周囲の反応に注目したいと思います。
上段の墓苑での幻聴ですが、何故その場で誰も「ああ、私も聞こえました」と言わないのか!
ノリが悪いったら。ここでボケを潰して拾っておかないといけない場面でしょうが。
で、「俺を呼んでいるんだ」と言われたなら「で?逝かない行かないんですか?w」ぐらいのことは言えないのか!関西人の一人もいなかったんでしょうか。
その後の反省会!
信心が足りないだと?ハッ、信心があれば墓で死者の声が聞こえるようになるのが創価の信心かw
そんな教義は初耳だぜw
そういや牧口氏や戸田氏のお墓参りは、池田氏はもとより他の幹部の方たちもしていないんですかね。してなさそうですけど。
そして日蓮さんの生れ変り説ですが。
「やっぱりそうか」って・・・。やっぱりって何ですか、やっぱりってww
マインド・コントロールの手法にですね、メッセージの送り手に有名人を起用するというのがあります。テレビCMなどが分かりやすい例ですね。
これは、メッセージの内容の確かさを曖昧なままで相手に説得の効果をもたらす、という結果が得られます。
池田氏がやたら日蓮さんの生れ変りを騙ったり、著名人物との対談(往復書簡)をしたりするのは、つまりそういうことではないでしょうか。
勿論それ以外のハッタリ効果もバツグンですし、何より池田氏の虚栄心の反映もありそうですが、常に冷静にそれらの意図を洞察する賢さが、池田氏の周囲の人間には圧倒的に足りない気がするのは決して大袈裟なことではないでしょう。
ボケだと思えばいいんですよ。で、ツッコミ入れてあげればいいだけなんです。
ある意味お笑いのカリスマとして違う可能性を花開かせていたかもしれませんよw
でも本当に、池田氏の奇行はコントや漫才の「ボケ」レベルの話です(しかも低レベル)。真に受けることこそ「ボケ潰し」。関西ではそういうの、嫌われてしまうって話ですよ。
先日 小グループの集まりが我が家でありました。
なんと言いましょうか。役職あるメンバーだけなのに毎月集まってやる意味あるの?(笑)
今回の担当幹部が言うには
今年含めて今後3年間は大きな選挙がないそうなんですよ。
それでこの3年間を【黄金の3年】と位置づけ、10人の本当の友人をつくりましょうって言う打ち出しらしいです。
10人の名前を書く用紙も渡されました。
これまで友人から「選挙と啓蒙の時しか連絡して来ない」と言われるのがオチだったので、これからはそんなことのないよう選挙に関係なく日頃から友好を深めましょう…なんて熱く語ってましたよ。
はあ?です(笑) 選挙が何よりも優先する団体じゃないですかね。
婦人部総会の開催月も財務納金も変更するくせに!
今更 何言ってんのか(笑)
きのうの聖教1面は韓国の扶余郡から名誉会長夫妻が特別顕彰牌を貰ったとの記事。
最近 韓国から貰うことが多いですねえ。 何せ名誉会長は「文化大恩の国」と絶賛してますからね。
記事を読んでいくと16年前に夫妻が「名誉郡民証」を貰ったとありました。
それがですね、夫妻が第1号と第2号を貰ったとか。 なんだかなぁです(笑)
おまけに今回の特別顕彰牌授与式は聖教新聞社でやったとか。
当事者の夫妻は欠席。 場所は信濃町ですよ。 それなのに出席できないのかしら?
火曜日の1面にはブラジルのブラジリア学院大学から「名誉博士号」を貰った記事。
決議書には「学術的な分野のみならず、あらゆる分野で重要な活躍をする、傑出した人物を顕彰するものである」と綴られているとか。
「ブラジルの首都にある名門…」と紹介してるんですが、今年やっと創立20周年だそうですけどね。
そうそうこの日の聖教9面の広告欄に思わず目がいきました。
だって大見出しで
【『聖教うまいもん市場 』OPEN!】とあったんですよ。
「聖教新聞社広告局が企画制作する、信濃町をはじめ全国のうまいもの処やお取り寄せのできるショップサイトがオープンしました!
ぜひアクセスしてみて下さい」とありました。
宗教団体の機関紙を発行する新聞社が 『うまいもん市場』のサイトをオープンですか。 ここまでやるか?と つい笑ってしまいました。
お笑いの世界なら、ナイスボケの連発でカリスマ芸人でしょうけど・・・。
本人は演技なんでしょうか、それとも本気なんでしょうか。
どちらにしても異常な精神なのは間違いないです。
本人は恍惚となっていたんでしょ?
まったく気持ち悪い爺です。
ふと思い出したんですが、以前、「幹部のマスターベーションに付き合いきれん!」と言って組織から離れて行った部員さんがいました。
表現が下品でごめんなさいなんですが、分かりやすい表現だと思いました。
こんばんは~☆
今回は貴重なお話をありがとうございます。
>これまで友人から「選挙と啓蒙の時しか連絡して来ない」と言われるのがオチだったので、これからはそんなことのないよう選挙に関係なく日頃から友好を深めましょう…
もはや下心を隠そうともしていないとは、恐るべしww
日頃から友好を深め、選挙の時に確実にFとできるようにという意味でしょ。
だって普通の「本当の友達」は、作ろうとして作るものではありません。
友達は「なる」ものであり、いわば自然発生的な存在です。
この担当幹部さんの言ではつまり、友人とは票田であるという明確な下心が語られていますw
>きのうの聖教1面は韓国の扶余郡から名誉会長夫妻が特別顕彰牌を貰ったとの記事。
>最近 韓国から貰うことが多いですねえ。
あ、やはりそうですか。私も最近韓国からが多いなーと思っていたんです。
とはいえ私は毎日チェックできませんので、たまたま見た記事が韓国絡みの可能性も考えていたんですが。
池田夫妻が1号、2号という彼らのために作られたといっても過言ではない名誉称号は多いですね。
それを学会の人は大半が知らず、知ってもそれが素晴らしい名誉なことであると考えてしまう。
めでたいものです。
例の「桂冠詩人」だって池田氏が第一号であり、それを与える側の団体のパトロンが池田大作ってw
創価学会は裁判沙汰になった事件でも自作自演であったものがいくつかありますが、功罪両方を自分で作り出すってなかなかですよw
ま、自分で作り出している時点で「功」とは言えないのかもしれませんが。
ところで「聖教うまいもん市場」と検索してみたんですが、それらしいサイトがヒットしません・・・。
もうオープンしているんですよねぇ。
なんでだろ?アンチのアクセス禁止かなww
こんばんは!
いつもコメントありがとうございます。
池田氏の言動はギャグでしかないと思うのですが、何故誰も突っ込まないのですかね~。
池田氏自身ボケのつもりが真に受けられちゃって、内心引くに引けないという場面もあったんじゃないですかねw
気持ち悪い、笑えない、と感じるのは、まさに彼らが真剣にやっているからだと思います。
たとえばお笑いのコントでも、舞台上ではバカバカしいことを真剣に芸人さんたちは演じていますが、観客はそれを「演じている」と心底分かっているし、舞台を降りれば芸人さんたちがまともな感性を持っているということも知っているので安心して笑ってみていられるのだと思います。
昔、芸人コンビの「極楽とん〇」が殴り合いの漫才をしていたのですが、途中から力が入りすぎて(それが芸に見えなかった)暴力振るい合っているようにしか見えなくなっている時があったんですね。
途中から観客はボケに対する「ツッコミ」が暴力(真剣)にしか見えずドン引きしていました。
何が言いたいのかというと、ドン引きする観客の感性がまともであるということです。
池田氏の言動を真に受けたりせず、ちゃんと突っ込んであげるかドン引きするかをできない観客は、同様に奇行に走っていると思います。
>以前、「幹部のマスターベーションに付き合いきれん!」と言って組織から離れて行った部員さんがいました。
搾取する側とされる側を、ちゃんと意識できた部員さんだったんだろうと思います。
学会で役職持ちになることで自分が偉くなったように錯覚する学会員さんも多いと聞きます。
この幹部さんは、そういう人間性の伴わない幹部さんだったんでしょうね。この人も真剣にコントをやっちゃってる側の人だと思います。
【聖教うまいもん市場】検索したのにヒットしなかったんですか?
私はいつも携帯でクロさんのblogを読んでるんですが、うまいもん市場も携帯で検索したら出ましたよ。
ただ、普通は1番に出てくるはずでしょうに、だいぶ探してから出てきました(笑)
再度 うまいもん市場の広告欄を見てみました。
『聖教うまいもん市場』にアクセスしてみて下さいとあるだけで、アドレスさえ書いてありませんね。
一瞬、アドレスを見つけたのでこれか…とよく見たら
なぁんだ「掲載希望店、大募集! 広告のお申し込み・お問い合わせ」をするアドレスでした(笑)
ちなみに携帯で出たサイトは seikyo-ichiba.jp/ です。
『信濃町』のお店紹介を見ましたが、な~るほど これを見て信濃町詣でをする学会員がお店を訪れると益々商売繁盛して学会さまさまだろうなぁと思いました。
新しく出来た大誓堂を見学したり勤行会に参加するために全国から大勢学会員が訪れるでしょうからね。
そうそう本部を訪れて手土産贈呈したり広布基金をすると、信濃町界隈の指定店で使えるという券(500円分)を貰ってました。
私が行ったのは昔々のことなので、現在もまだ貰える?それとも廃止した?
まあどうでもいいことですね(笑)
再度「聖教うまいもん市場」で検索するもヒットせず・・・。
お教え下さったURLを貼り付けてみると、ちゃんとサイトは存在しましたw
ありがとうございます。
で、見てみましたがちょっとショボイですねw
これ、聖教新聞に掲載希望店募集のお知らせを貼っているあたり、載っているのは学会員さん経営店なのかな。
見る人も学会員さんたちでしょうから、お仲間の店で安心♪ていうトコロなんでしょう。
これからはこのサイトでクーポンなどの特典をもらえるようにするのかもしれませんね。
どうでもいいっちゃあそうなんですが、発想が凄まじい宗教ですわw
「神通力で全てを見通し。」
「コクウエの儀式で東の空より菩薩が現れ。」
「日蓮大聖人は神通力で遠く離れた人の元に現れた(瞬間移動)。」
「声聞(テレパスらしい)縁覚(遠視[近眼の逆じゃないですよ]らしい)は菩薩仏界に至らない」
等々
池田大作は見えたり聞こえたりするんじゃないですかね?
昨今は多いですよね。毒電波に侵されちゃってゲーム感覚で他人の領域に入り込んじゃって喜んじゃってる出来損ない。心理戦で相手を抑える一挙一動小技を身に付けてマインドコントロールで嫌がらせしたところで陰で嫌われて呪われるだけじゃんね。とか、とても単純な原理に気が付かないんでしょうかね?かなり不思議です。
あら?そういえば御書には「声聞縁覚は菩薩仏界に至らない」と名言されていた気がしますが?
う゛~ん゛?
池田大作も日蓮大聖人も菩薩仏界に至らない方々なのかしら?
はて?瞬間移動まで出来ればテレパスも遠視も要らないから日蓮大聖人は菩薩仏界の方なんですかね?
と、すると?生まれ変わりと言うからには「幻」ではなく、当人が目の前に現れて消えなきゃならないわけで…???
う゛~ん゛。
まさしくカルトだわ。
ちなみに、聞こえようが見えようが、人間社会での生活を邪魔されなければどうでも良いような気がします。けど、カルトな方々や権力や私利私欲に強欲な方々は、実害の見える現実での違法行為よりも、そうしたカルトに走り人心掌握を図りのさばりたいんでしょうね。きっと。
う゛~ん゛。確かに選挙や宗教なら喉から手が出るぐらい涎が出る手法かも。
細菌研究と同じでこんなしょうもないもんが流行ったってしゃーないやろ。とか思うんですけどね。
カルトこわいわぁ。
またまとめてのお返事となりますが、御了承ください。
それとこのブログほへのコメントは承認制となっております。
詳しくは「はじめに」という記事にその旨を書いておりますので、左のカテゴリの欄から飛んでお読みください。
神通力云々はカルトというよりオカルトですね。
池田氏が本当に超能力的な力を持っているのかは本人にしか分からぬことではありますが、それを演じて周りに信じ込ませるあまり、本人さえ自分にはそういう特別な力があるのだと思い込んでしまっているような程度だと思います。
あれです。今で言う中二病w
周りの幹部のいくらかは、分かっていながらもその方が都合が良いので乗せられているフリをしていたのではないかと思いますがね。
ひろこさんが仰るように、問題は真偽はともかくその「現象」でもって他人の人生に乗り込んでくるその振る舞いにあります。
「私たちの先生はこんなに凄いんだから」などというのは他人にとって何の理由にもなりませんからね。
バリ活さんたちは自分たちにしか通用しないルールを一般常識のように振りかざすのが好きですよね。
そもそも前提条件が違うのだということを分かっていないし、分かりたくないのだと思います。
だから「内部」「外部」という言葉が存在し、独自ルールが通用しない外部をきっぱりと区切ってまるで劣った別世界の憐れな住人のように扱うわけです。
それがレッテル貼りですね。学会員同士に甘いのも、人間ではなくレッテルしか見ていないことの証です。
同じ人間として、理解し合おうという(己の言い分に従わせようとはするけど)気がないんでしょうね。
そんなことしたら組織の瓦解に繋がりますからw
ホンネとタテマエがあるのはどこも一緒ですが、ここまでタテマエが身を抉るほど乖離した組織も珍しいのではと思います。
活動家の親がいる家庭での会場提供は、これもアンチブログではよく愚痴の的になる話題ですね。
こういったお話を聞くにつけ、うちは両親が揃って創価でなくて救われていたと思います。
父親が学会嫌いでしたので、会場になるようなことはまずなく、また人が集まれるような広い家に住んでいたことも少ないですからね~。
この会場提供の問題は聖教新聞でも度々「提供者に感謝するように」「マナー良く」などと注意喚起されていることから、実際にはそれがなっていないということが窺えます。
しかし自治体の集会所などは決して利用しません。
ひろこさんのお話した婦人部長さんが仰ったように、全て「信心」で捉えるようにMCされているからでしょうね。
そうやって会員同士を密に繋げるということがMCの強化になっていることですしね。
議員さんの口利き、やっぱりみんな分かっていますよね。
少し前に少女が殺害された事件で犯人の男性が学会員であり、学会公明党の口利きで生活保護を受けていたと周囲に吹聴していたことが週刊誌に書かれ、学会にも取材のお問い合わせがあったようですが「そんな事実はありません」と呆れたようにあしらわられたそうな。
いや、学会がそう言わざるを得ないのは当然ですけどね。
しかしネット上では、それを真に受けていらっしゃる方々もいるようなので。
ここでそれは「タテマエ」だよー!と小さく発信しているわけですw
公明党だけでないのも分かっています。共産党も公明と同じく活発な問題になっているようですね。
いつの時代も反発しながらとってもそっくりさん。
見返りが必要なのは、そうやってズルをして利益を得ようとした人間の自業自得のような気もします。自己責任というやつですね。
学会が嫌らしいのは、党の票拡大だけでなく入信拡大やその権力を振りかざしての勢力拡大と、2倍にも3倍にも政党の力を利用しているところにあります。
創価と公明党の関係が、いつまでこのまま野放しにされているのやら。
これは有権者である国民の無関心が招いた、社会に対する罪ではないかとすら思います。