この日曜日に、友達と奈良公園は春日大社にお参りしてきました。
ここ数年の恒例行事です^^
関西以外にお住まいの方はあまりご存知でないかもしれませんが、奈良公園には鹿がいます。
広大な公園、春日大社の参道敷地一帯に放し飼いされており、運がよければナデナデすることもできます♪
鹿せんべいをあげたりすると、鹿に囲まれるという状態にもなれますw
4年連続でお参りしているのですが、何故か今年が一番人が多かったですね。
間近で見る鹿さんはとてもキュート。つぶらな瞳、プリケツ~(*゜ー゜*)
そしてやはり荘厳たる神社の森の中で佇む姿はとても凛々しくもあります。
春日大社では昨年一年を無事に過ごせた事への感謝を捧げ、今年一年もまたよろしくお願いしますと手を合わせてきました。
そしてお土産ではこれも毎年恒例の「白雪ふきん」というものを自分用、友達用に買ってきました!
奈良のお土産物として有名で、柔らかくてとても使いやすいんです。
そして使っていると丁度一年くらいで穴が空いてくるので、そうなると「あー、また正月に買ってこなきゃ」と思うわけですw
皆さんは初詣に行かれたでしょうか?
大きな神社も小さな神社も、お正月に行くと独特の空気があります。
それは目に見えぬもの、形にならぬものに対する、畏敬や尊崇の念です。
身を清め、頭を下げ、手を合わす。この一連の行為によって、知らず知らずのうちにでも神仏や自然に対する畏敬を心に沁みこませているのが日本人なのだと思います。
お正月に行くと特にそう感じるのは、人が多いからというだけではなく、参拝が終ればいわば「お祭り」ムードになるというそのギャップがあるからだと思います。
そういう空気がまた、たまらなく日本人っぽいなぁ、と思ったりします。いい文化ですよね。
また来年、気持ちよく春日大社にお参りできるよう良い一年を過ごしたいと思います。
皆さまにとっても、一年後に振り返ると「良い一年だったな」と思えるような充実した年になりますように!
帰宅後の生ぬるい状態というマイナス効果もあったかもしれません。
いま思うと女子部時代は皆、ピュアというか程度の差こそあれ組織に自分の人生を左右されていましたね。
クロさん、春日大社いいですね。小学校の修学旅行が奈良・京都だったので奈良公園も行きましたよ。
初詣って儀式でありながら、お祭りのような楽しさがありますよね。
新人の頃、仕事始めに初詣に行くことがあったのですが当時は嫌でw 後年は率先して留守番を買って出ていました。時は巻き戻せませんが出来ることから始めたいと思います。
神社仏閣だけでなく教会にも行ってみたいです。
教会といえば、かつて池田氏が海外で講演したのも教会でした(この講演もハリボテ疑惑満載ですがw)
幹部の、「海外では広い会場がないので教会を借りているのよ」との言葉も言い訳臭かったです。
破門直後から矛盾だらけの独自路線を加速させる一方、宗門に対しての執拗な攻撃はいかがなものかと思います。さすがに、不評の聖教四面罵倒座談会は影を潜めましたが創価新報では未だに謗法だの罰だのと相変わらずです。
この並外れたご都合主義と執念深さには呆れます。
これも池田氏のメンタリティでしょう。
表向きは平和主義者を装い自らは手を汚さず、裏で弟子に攻撃を指示する様は宗教家とは思えません。
そんな指導者に率いられているせいか組織も会員も反省がなく、他者を赦すということを知りません。
また、活動することが仏道修行と刷り込み勝負にばかり拘り自分を見つめることもしません。
ある時、喉の渇きにも似た焦燥感に常に苛まれている自分に気付きました。
疑問が不信に変わり覚醒に至った時、その感覚もなくなりました。
ノルマのような活動と祈りが叶わぬ自分への苛立ちが原因だったと思います。
人生を自分のペースで生きていなかったのですね。
こうしたことに気付けたのもクロさん、皆さんのお陰です。今年も一人でも多くの方が覚醒できますように、拙い体験ですがお話したいと思います。
遅ればせながら、本年もクロさん、皆さんにとってよい一年となりますように(^^)
初詣、一度も行ったことのない私には、プチ憧れです。
大晦日の夜から行って、おみくじひいて、普通の年越しをしてみたいと、今は思います。
そんな私、今年は新年勤行会に行きませんでした。
年末に新聞をやめたのが断固たる意思表示になったのか、入場券すら届かなかったという(笑)
あれこれと考えている時間がもったいなく、思い立ったのは資格取得です。元旦より、夏の試験に向けて勉強を始めました。
三人の子育てをしながらの勉強はハードですが、活動より楽です(笑)何よりも、全部自分の身になることが実感できて、なんだか嬉しいです。
末っ子が3歳になったら本格的に働くつもりで、合格目指して頑張ります。
一年の計は元旦にありということで、もう半月過ぎましたが、お世話になったクロさんに所信表明させていただきました(^o^)
ここ数日はものすごく寒いので、お体を大切にしてくださいね。
今年もブログの更新、楽しみにしています。
さて、
私もお正月に、家々の玄関にしめ縄が飾られた街並みを見るにつけ
「いいもんだなあ~」とつくづく思いました。
藁と真っ白な和紙の造形美。
渋い。渋すぎます。
改めて日本の美意識に感動します。
我が家の玄関にも初めてしめ縄を飾りました。
あ、先日地区婦人部長が来られた時に、連れのオババ幹部さんが門からこちらへ入って来なかったのは、まさかのしめ縄効果だったんでしょうか?!
結界を張る意味もあるそうですし・・・(°▽°)
バリ活時代はしめ縄や門松を「忌まわしい」とさえ思って(思わされて)直視することも躊躇われました。
おせちは食い意地から、ばっちり作って食べてましたけど、
お屠蘇はなんだか法謗チックだと敬遠したり。
私は一体どこの国の人のつもりだったのか。
四季折々にこんなに美しいもの・美しい習慣に溢れる国に生まれながら、いちいちそれを否定したり、選別したり。
心の奥の奥で感じていた違和感は、結局そこらへんだったのかもしれません。
「私は日本人らしく生きたい」と。
検索してみたら、しめ縄ひとつにも深い深い意味があるんですね。
これからこんなことも、ひとつひとつ取り戻して日本人らしく生きていきたいと思います。
創価学会は今頃、趣もへったくれもない『新春ナントカ会』など次々にやってるんでしょうね。
都知事選挙も、久々の『法戦』で燃えに燃えて非常識の限りをやらかすんでしょうか。
創価は遠くなりにけり、です(^^)v
缶入り汁粉、予想通りでしたか~!
自販機にあれが並んでいても、違うの買ってしまうのは正解だったわけですなw
奈良公園は一口に「公園」と言っても、かなり広く色々な施設や神社仏閣があって一日費やして回るくらいのところですよね。
さらに大人になってから行くと、美味しいもの食べてお土産物を見て回ってと、相当な時間と体力を要しますw
それが楽しいんですけどね。
私も初詣は、祖父の家が転居してからはずっと行っていなかったのです。
家族で参る習慣がそもそもなく、個人的に行くほど興味もなかったんですよね。
別に学会信仰の母親から神社を嫌うような教育はされなかったんですけど。
けれど学会のことを調べるようになると自然と他の宗教や神道のことも見知りするようになり、ああやっぱり神社はいいな~と日本人の血が騒ぎ出したというか^^;
それからは厄払いや御守り、正月の飾りつけの意味など、興味が出てきてできる範囲で取り入れています。
実家を出てからは毎年注連縄を飾っていて、年神様をお迎えするんだと思うと新年の楽しさも倍増します。
>さすがに、不評の聖教四面罵倒座談会は影を潜めましたが創価新報では未だに謗法だの罰だのと相変わらずです。
聖教新聞では温厚路線になっていますか。
あれは確かに不愉快ですが、ある意味見ものでもあったのでちょっと残念でもあります。
創価新報は健在だということなので(というかそれ以外ない気がする創価新報w)、独自路線を突っ走ってもらいたいと思います。
聖教も新報も言えることですが、あの外部を攻撃する様を見て思うことは、その口汚さや下品さも然ることながら、自分たちが絶対に正しいという立場に立っての物言いに違和感を覚えました。
そりゃ一応宗教なのですから、自分たちが絶対に正しいとするのは当たり前かもしれませんが、ああいう形で現させられるとその独善性に眉を顰めざるを得ません。
仰る通り、池田氏の思想が反映されたものであると思います。
かつてはご自分で赤ペン添削までしていたそうですし、逆に言うと名誉会長の意に反した機関紙など作成するわけはないのですから。
何かにつけ「組織に問題もあるけれど先生は素晴らしい」みたいな台詞が聞こえますが、一事が万事です。
学会員一人ひとりのことを考えて分かっていると言いながらw
その素晴らしい先生の意向が反映されたモノが、今の学会の姿であるということです。
>ある時、喉の渇きにも似た焦燥感に常に苛まれている自分に気付きました。
常に何かに追われている感覚だったのでしょうね。
追われるのってとても疲れます。しかも学会活動は終わりが見えないので、心休まるヒマもなかったことでしょう。
今、こうして客観的にご自身のことを語ることができるようになって本当に良かったですね。
これからも多くの物事に触れ、人生を豊かに楽しんでください。
それは決められたレールの上しか進めず前しか見えない学会では味わうことのできない、人に与えられた当たり前の幸福ですから。
初詣、一度もないのですか。
一度だけ友達の誘いで除夜の鐘を叩きに行ってお寺で年越しを迎えたことがあります。
なかなか楽しいイベントですよ。
機会がありましたら、是非やってみて下さい。
>年末に新聞をやめたのが断固たる意思表示になったのか、入場券すら届かなかったという(笑)
>あれこれと考えている時間がもったいなく、思い立ったのは資格取得です。
おお~!これは縁起のいい話じゃありませんかw
こうして距離を取り、もっともっと疎遠になって行ければいいですね。
そして資格取得!すごい!
まるさんの人生が動き出しているのを感じますね。すごく前向きで、聞いているこちらもパワーをもらえます。
しかし子育てしながらの試験勉強が活動より楽って・・・どんだけ~!!
知識や技術は裏切りませんから、これからまるさんの大きな武器になってくれることでしょう。
寒さに負けず、試験勉強頑張ってくださいね!
今年もどうぞ、よろしくお願いいたします^^
鹿は可愛いですよ~♪
小鹿もいて、広場を走っていました。その姿を眺めるだけで癒されました^^
お正月飾りには色々ありますが、確かに渋いですね。決して華美でなく、色の対比が美しいですよね。
あとしめ縄は匂いがいいですよね!藁の匂いがこれまた渋いですが、日本的で落ち着きます。
大掃除で玄関ドアをピカピカにしてしめ縄を飾ると、年神様をお迎えして新年に心機一転という感じがします。
>あ、先日地区婦人部長が来られた時に、連れのオババ幹部さんが門からこちらへ入って来なかったのは、まさかのしめ縄効果だったんでしょうか?!
きっとそうですww
しめ縄のご利益はバッチリですね!
お屠蘇は今年の春日大社で振舞われていたものを頂きました。
普段一切アルコールを口にしない私にとっては、飲んだ瞬間むせそうになりましたがw
正月飾りや初詣、おせちやお屠蘇など、ちゃんと意味があってそれらを意識するのも大事ですが、あまり深く考えずに楽しいイベントの一環として自然に取り入れたられたらと思います。
当たり前として自然にやることが、日本人らしくていいかな~なんて思ったりしてます。
これも日本という国が世界最古の歴史を持つ国であり、自然を敬う中で培われてきた伝統の為せるわざなのでしょう。
フツーに日本で生まれて生きていればフツーのことな年中行事を、学会は歪めてしまって「当たり前」ではなくそうとしています。
今はあまり地域ごとの祭事にはうるさくないようですが、それでも「本当はいけないんだけど・・・」みたいな空気がありますからね。
伝統文化を蔑ろにする辺りさすが新興宗教ですが、それを信じてしまっている日本の学会員さんたちは本当に勿体無いことだと思います。
>都知事選挙も、久々の『法戦』で燃えに燃えて非常識の限りをやらかすんでしょうか。
公明党の支持者、決まりましたね~。ナイわ~ww
なんか奥さんが学会関係者(役員幹部とか?)噂もありますけど、そんなのを置いておいてもナイわ~ww
勝ち馬に乗るみたいなことも言われていますけど、うーん。東京って変な候補者が当選したりもするから、分からないですね。
そりゃ宗教法人格の認可は東京都ですから、勝ち馬に乗っておかないとって気持ちは大きいでしょうけれど。
落馬すりゃいいのに~wいや、都政のことも考えてマジで。
でも学会は都政のことは二の次、三の次で、一体なんの団体なのか。
一部の利益享受者以外、日本社会や誰に取っても迷惑な存在であることだけは確かですけどね。