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こちらが今回の衆議院北海道5区補欠選挙の最終結果です。
無所属で立候補してよくもここ迄戦ったと池田真紀氏を褒めてあげてください?? pic.twitter.com/sgosEj5WKa
『中央公論』誌の1943年10月号に掲載された「國體(国体)と言論体制」という座談会を読むと、戦中の日本における「言論界」の風潮をうかがい知ることができる。当時の日本でも、言論が不自由だという「声」は一定数存在したことを示唆している。 pic.twitter.com/HoO60KUHwB
(続き)情報局文芸課長の井上司朗という人の発言。「今日ほど、正しく志を述べる言論にとって自由な時代はないと思います。国家の躍進、民族の発展ということに、建設的な役割を果たす言論ならば、これはいくらでも出来ると思うのです」「それから、言論家はやはり一つの大きな使命感をもたなければ
(続き)ならないと思います」「国家の運命と直接に結びついた、高邁なる精神に目覚めていることが、言論家のもっとも大事なところではなかろうかと考えます」「言論家、思想家というものは、国民の指導者には相違ありませんが、まず自分自身が国体に pic.twitter.com/Sv5EzHFpen
(続き)随順する、国体にまつらう謙虚なる気持ち、これが指導の根本だろうと思います」「結局、新聞や雑誌の経営者でも編集者でも、皇道思想戦の戦士であるという自覚を、はっきりと持つことが根本ですね」「編集者、執筆者のすべてを引っくるめて、行くべき道ははっきりしていると思うのです。国体を
(続き)体認し、皇国の理想を明確に把握し、皇国世界観に基づく新しい世界を建設するという使命感に立つこと以外に進むべき道はないと思います」要約すると、言論人は政府が指し示す「世界観」に従い、皇道思想戦の戦士として戦うのが唯一の道で、その面では今ほど言論が自由な時代はない、という話。
(続き)この対談で、大日本言論報国会前常務理事の津久井龍雄という人は「我々の言論は、自由主義時代が最も不自由だった。現在の方がむしろ非常に自由だ」と述べている。日本という国が膨大な死者を出して敗戦を受け入れたのは、この1年10か月後。 pic.twitter.com/pYt7rc6Ykg