もうかれこれ8年ほど前のことですが、こんな事がありました。
当時、私は東京でルームシェアをしており、2ヶ月ほど一緒に暮らしたAさんという人がいました。
その時は、すでに私は星椎水精先生の浄霊(先祖供養)を始めており、著書「super浄霊」やコラムを毎日読みながら日々勉強していました。
ある時、「Super浄霊3」が本棚から消えていることに気がつき、探したのですが見当たらず、「無くしてしまったのだろうか?」と思っていました。
それから少しして、そのAさんが盲腸で緊急入院することになり、私に下着などの着替えを病院まで届けて欲しいという連絡が来ました。
Aさんの部屋のクローゼットから服を取り出し用意していたら、なんと奥から失くしたと思っていた「super浄霊3」が出て来たのでした。
つまりAさんは、一言言ってくれればよかったのに、私に断りなく勝手に本を持って行って読んでいたのでした。
私は別に、これに関しては怒っているわけではありません。
それよりも3冊目まで読んでいたにもかかわらず、星椎水精先生の浄霊に関しての質問もなく、また宇宙クラブへの問い合わせもなかったことに驚いているのです。
今になって考えると、あの時(私の本をこっそり読んでいた時)がAさんが先祖霊に気づく大事なターニングポイントだったのではないかと思うのです。
しかしながら、本だけ読んで終わってしまったということは、そのチャンスを活かしきれなかったということになります。
これは、とても勿体無いことですよね!
インターネットを例に挙げると、後で見たいときのために「お気に入り」や「ブックマーク」という、お気に入りのページを保存しておく機能があります。
私も経験があるのですが、本当に頻繁に見るもの以外は意外と見ることはなく、いつの間にか忘れ去られて見返すこともなくなってしまいます。
同様に星椎水精先生のサイトも、辿りついておきながら興味本位で見ているだけでは、そのうちに自然と縁が離れていくようになっていると思うのです。
実際に目の前にチャンスが訪れているのに、その大事さに気づかず、ただ興味だけで終わっている人が非常に多いのではないか、と残念に思いました。
最近、この千載一遇のチャンスを逃している人を私は何人も目にしてきました。
とても勿体無いなと思う反面、チャンスは一度しかないのだという厳しさも感じました。
「後で」とか「いつか」は、おそらく訪れないと思います。
きっと自分が死んだ後、事の重大さに気づくのかもしれませんが、その時はもうどうしようもありません。
「時すでに遅し」です。
そうならないように、たった一度のチャンスを私達は活かして行かなければなりません。
星椎水精先生のホームページ:先祖供養
携帯版はこちら
見届け役:姫路さんのブログ:こちら
クリックしてね !!
当時、私は東京でルームシェアをしており、2ヶ月ほど一緒に暮らしたAさんという人がいました。
その時は、すでに私は星椎水精先生の浄霊(先祖供養)を始めており、著書「super浄霊」やコラムを毎日読みながら日々勉強していました。
ある時、「Super浄霊3」が本棚から消えていることに気がつき、探したのですが見当たらず、「無くしてしまったのだろうか?」と思っていました。
それから少しして、そのAさんが盲腸で緊急入院することになり、私に下着などの着替えを病院まで届けて欲しいという連絡が来ました。
Aさんの部屋のクローゼットから服を取り出し用意していたら、なんと奥から失くしたと思っていた「super浄霊3」が出て来たのでした。
つまりAさんは、一言言ってくれればよかったのに、私に断りなく勝手に本を持って行って読んでいたのでした。
私は別に、これに関しては怒っているわけではありません。
それよりも3冊目まで読んでいたにもかかわらず、星椎水精先生の浄霊に関しての質問もなく、また宇宙クラブへの問い合わせもなかったことに驚いているのです。
今になって考えると、あの時(私の本をこっそり読んでいた時)がAさんが先祖霊に気づく大事なターニングポイントだったのではないかと思うのです。
しかしながら、本だけ読んで終わってしまったということは、そのチャンスを活かしきれなかったということになります。
これは、とても勿体無いことですよね!
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私も経験があるのですが、本当に頻繁に見るもの以外は意外と見ることはなく、いつの間にか忘れ去られて見返すこともなくなってしまいます。
同様に星椎水精先生のサイトも、辿りついておきながら興味本位で見ているだけでは、そのうちに自然と縁が離れていくようになっていると思うのです。
実際に目の前にチャンスが訪れているのに、その大事さに気づかず、ただ興味だけで終わっている人が非常に多いのではないか、と残念に思いました。
最近、この千載一遇のチャンスを逃している人を私は何人も目にしてきました。
とても勿体無いなと思う反面、チャンスは一度しかないのだという厳しさも感じました。
「後で」とか「いつか」は、おそらく訪れないと思います。
きっと自分が死んだ後、事の重大さに気づくのかもしれませんが、その時はもうどうしようもありません。
「時すでに遅し」です。
そうならないように、たった一度のチャンスを私達は活かして行かなければなりません。
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