と~ま君の部屋

楽しい老後を送りたいとやっています。所詮人生回り道。修士(人間学、仏教学)。ぼけ防止・脳のリハビリでやってるブログです。

「オカミさん」といふ「カミ」

2015年02月03日 08時52分14秒 | 大学院博士ごっこ2012年から2015年

カミはカミでも、***ドノのことである

 

 

いきなり「オカミさん」のことを書く。つまり古女房ドノのことである。あるいは、女房族一般のことである。そんな簡単にオンナのことがわかってたまるかという方もおられるに違いない。オンナのことを知るためにどっだけ、苦労してきたかという御仁もおられるだろうから。無駄な時間と、無駄なカネを費やして。そりゃそうだ。ましてや、アタシャ、相手は誰でもいいから、甘い恋を語ってきたというような体験もない。だいいち、スキンヘッドである。誰も相手にしてくれない。もしかしたら、古女房ドノだって、私がいつまでも生涯学習を気取って銭と時間の無駄をしているから、もう徹底的に呆れているかもしれない。だからこっちもダメである。相手にされていない。

いや、そんなことではない。

「オカミさん」のことである。これは「カミ」のことである。「カミ」に「オ」をつけたのだ。尊称である。わははははっはは。

ま、冗談はともかく、なんのことを書きたいのかというと、こういうことである。

つまりカミはカミでも、神のことである。特定宗教に関心はないと書いてきたから、そういう勧誘とかのことではない。ご安心を。

宗教一般のことである。一神教の神は存在するかしないかという問題を、今朝起きる前に布団の中でふと思ったのである。仏教は、一神教でいうところの唯一神というのはいない。じゃ、なぜ神の存在が問題になるか。ましてや、神のためには戦争も辞さない民族が世界にはいる。そういうことである。

神がいるかいないかという問題の前に、じゃぁ、神の規定はどうなってんの?とふと疑問に思ったからである。前提である。前提がしっかりしていないと、なんでもそうだが話にならない。

キリスト教のバイブルはこれまで、通読7回完了している。本当である。旧約も新約もである。遠距離通勤をした時もあったので、通勤時間中にやっていた。さらに、電子辞書にデジタルのバイブルもインストールして読んでいた。しかし、結局信仰を得ることはできなかった。楽しかったけれども。

そうなのである。どうしても神の規定、前提でひっかかることがあったのである。信仰するということは、無条件で受容することである。宗教の矛盾をである。不合理を受容できるか、できないかということである。

よく言われることで、高野山の空海が今でも千年の時を超えて生きていなさるから、食事を捧げている。あれも私は前提として、受容できない。不合理だからだ。空海は人間である。まだ生きているということは、人間としての前提から外れている。だからである。だから、受容できないのである。

バイブルでは、「神は偏在している」「全知全能である」「世界の創造主」であるとする。

「神は偏在している」ということではどうなのだろう。ここで、古女房ドノが登場してくる。古女房ドノも偏在している。家の中ばかりではない。世界に君臨している。なんでも知っている。ちょっと私が悪いことをたくらんでも、たちまちのうちにバレてしまう。小遣いが足りないからとちょろまかしていても、必ずバレる。バカみたいにバレる。へそくりができないからだ。参る。まったく参る。あ、この参るという言葉も古典語では、へりくだった語である。下から上へ参上するという意味である。反対が罷るである。上から下へいく語である。まったく参る。

「全知全能である」では、人の理解に関わる全部を包含していることを意味する。これもまた全知全能である古女房ドノと一緒である。彼女はなんでも知っている。食事、家事はいうに及ばず、私の貯金高も知っている。私のパンツのサイズまで知っている。暗記している。ちなみに私は、なんにも知らない。知る必要がない。しつこく古女房ドノにサイズを聞いていたら、そりゃ家庭内セクハラになっちまうからだ。そんな無意味なことはやらない、やれない。

「世界の創造主」ということではどうだろう。なるほど、私は母から産まれている。確からしい。というのは、記憶にないからである。記憶にないから、後から両親や、周囲の親戚に聞いてそう思ったのである。つまり、人間はオンナから産まれる。オンナがいなくちゃ、世界は産まれない。産まれた本人は記憶が無くても、産んだ母は覚えている。覚えているから、いつまでも、子どもであるこっちをガキ扱いして説教をしてくる。いつまでもガキだと思っているのだ。うっとうしいこと限りなし。しかしである。私の母はもういない。生きていたら、94歳である。残念ながら、還暦をとっくに過ぎたバカ息子に説教をたれることはできない。そういう意味では、私は世界の半分を喪ったことになる。亡母がいないからである。しかし、私の家庭は、古女房ドノによって維持されている。孫までいる。二人もいる。感謝感激である。最近は、孫までかわゆくてならない。さらに、その孫を産んだのが私の長女である。これもまたオンナだ。マイッタね。オトコは関係ねぇのだ。だから、世界の創造主はオンナなのである。

と、またまたくだらないことを書いていたら、もう2000字をオーバーしている。そろそろ止めましょう。

 

これから千葉市に行く。県立美術館に平山郁夫を見に。当然、一緒に行く人がいる。その名を「オカミさん」というのである。夜は、塾のアルバイトがある。毎日を楽しく生きていきたいものである。もう爺になったのだから。

 

(^_^)ノ””””

 

 

 

 

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