と~ま君の独り言日記 

定年後を、いつまでも少年のような気持ちで過ごしています。九十九里浜で、年金+5つのバイトで気ままな暮らしを継続中。

中世のかおりだった・・・下総の東氏について

2016年08月08日 06時30分46秒 | 老人大学ごっこ2015年から2016年

九十九里浜内陸部にある東庄町に行ってきた

 

 

司馬遼太郎の「街道をゆく4『郡上・白川街道 堺・紀州街道ほか』」という作品がある(朝日文芸文庫)。

この文庫本の中に、「室町武家のこと」という一項目があって、そこに東氏のことが出てくる。東(とう)という珍しい名字の武家である。

九十九里浜から近い房総半島北東部の町である東庄町というところに縁がある武家である。銚子市と旧佐原市に挟まれた利根川沿いの風光明媚な町である。財政健全であって、銚子市からの合併話にもいっさいのらないという気骨ある町である。

歴史的にもかなり古いものがあって、以前から興味を持っていたのである。それが決定的になったのが司馬遼太郎の上記の本にまさに東氏のことが出てきてからである。

さすがに司馬遼太郎である。

まるで中世時代をそのまま生きているような錯覚におちいってしまった。楽しく読ませていただいた。それからである。東庄町に俄然興味を持ち始めたのは。

長良川上流にある郡上八幡城のことから司馬遼太郎は書き始める。

あの郡上八幡である。行ったことがないから、よけいである。行ってみたい旅行先の筆頭になっている。ボキには。

室町の時代に、この城に歌人の東常縁(とうのつねより)がいた。むろん城主である。室町風の山城をここに作ったのである。

そこから司馬遼太郎の文章で知ったのであるが、東氏という珍しい姓名の由来のことである。下総の豪族千葉氏から出ている東氏一族のことが書かれてあったのだ。

「下総に東庄(とうのしょう)という荘園があり、千葉氏の一族がここの荘官になった時期にその姓を称した」と書かれている。

荘園制度にルーツがあるわけである。中世時代に、下総にはたくさん荘園があって、いろいろな権力関係に支配されていたのは知っていたのであるが、荘園そのものが姓名の由来になっているというのは愉快である。へぇ~っていうような案配であったからである。

ちなみに、ボキの追いかけている鬼来迎もまた匝瑳南条庄という荘園の支配下にある。もっともこっちは九十九里浜の中間部にあるが、東庄は九十九里浜からかなり内陸部に入る。浜といっては誤解を生む。なだらかな丘陵地帯にあって、場所によっては山間部のような雰囲気もある。

石橋山の合戦で敗退した源頼朝に再起を促した東胤頼という人物がいて彼がなかなかの文学的素養のある人であった。そして東胤頼こそが、東氏の文学的才能の始祖になるのである。彼の子孫の一派が美濃国郡上に移ってから、文学的才能はむしろこちらに移動してしまったくらいだと司馬良太郎は評価しているくらいである。

それで、昨日のことである。

ボキは、東庄町公民館で行われている歴史講座に参加してきたのである。一般参加者として。無料である。

結論から言って実に面白かった。ボキのようなド素人にもわかるように、丁寧にご説明いただいたからである。ありがたいもんである。

講義が4つ。

真剣に聞かせていただいた。

西福院という寺院が講義の中で出てきたので、帰途、その寺院にも行ってみた。

江戸時代の歴史ばかりではないものが、この町にはたくさんある。だからありがたい。

楽しいことかぎりなし。

これからもお世話になりそうである。

感謝!

 

 

 

 

 

ジャンル:
きいて!きいて!
コメント (2)   この記事についてブログを書く
« 8月7日(日)のつぶやき | トップ | 8月8日(月)のつぶやき »
最近の画像もっと見る

2 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
東庄をよろしく (東庄郡上交流推進委員会)
2016-10-26 12:42:26
よもしろく 拝読しました。
また 東庄へ 訪問ください。
 (と~ま君)
2016-10-26 18:21:46
また講義を拝聴させていただきます。
感謝!

コメントを投稿

ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。

老人大学ごっこ2015年から2016年」カテゴリの最新記事