と~ま君の部屋

楽しい老後を送りたいとやっています。所詮人生回り道。修士(人間学、仏教学)。ぼけ防止・脳のリハビリでやってるブログです。

通信制大学で仏教学をやろうと思っていたが、歩く聖である尾畠春夫さんに、実践と行動こそが大事だと教えていただいた。

2019年02月17日 08時24分29秒 | とーま君の流儀2019

今日はこれから出かけなくてはならない。旭いいおか文芸賞というイベントがあるからだ。ボキは、無学なのにその審査員をさせていただいている。ありがたいものである。世間様のお役に立てているからである。おとなしくして生きていれば、お声がかかるからだ。感謝である。

尾畠春夫さんの生き方におおいに左右されてからは、ボキ、実に毎日がタノシイ。明るく元気に生きていられる。そうなのだ。自分だけで生きているのではないと、尾畠春夫さんに教えていただいたからである。世間への恩返しである。ここまで生きてこられたのも、定年まで仕事をさせていただいたのもミンナ世間様のおかげであるからだ。

それに、尾畠春夫さんの謙虚な生き方にも学んだ。中学しか出ていない、しかもまともに通ったのは4ヶ月だったと言われる。しかし、発する言葉はものすごく重みのある言葉である。ここに学んだのだ、ボキは。さらにある。大分に帰ったら定時制高校に行きたいと言われている。

ボキもそうだった。まともに大学学部(最初の大学)に行っていない。学園紛争で学校がやっていなかった。封鎖されていたのだ。ゲバ学生が封鎖していたのだ。こっちは苦学して、毎日の労働の対価としてやっとのことで学費と生活費を稼いでいたのに、あいつらはキタネェと思っていたのである。革命はけっきょく起きなかったし、あいつらはその後クチをぬぐって知らんぷりをしていたではないか。サラリーマンや公務員になって、転向してしまったのである。

こういう体験が、ボキの生涯学習ごっこに拍車をかけたのだ。まもとに勉強していないからである。こっちは。

今でもそうだけどねぇ。

塾の講師台帳に履歴を書く欄があって、これは毎年提出しなくちゃならない。それでもって、最終学歴を書く。そしたら、某大学大学院を中退したことも書かなくちゃならない。これに実にがっかりしてしまう。経営陣に聞いたら中退も書かなくちゃならないのだそうだ。

そんな程度の講師サマである(^0^)。

学があるわけがない。

無学である。

無学。

だから生涯学習をやっているのである。それで良し、それで。謙虚な気持ちを忘れてしまったら、もうオシマイである。

尾畠春夫さんは宗教家でもなんでもない。しかし、行動のヒトである。生き方がまさに現代の聖である。歩く聖である。高野聖もこうだったのではないのかと思っている。だから、ついて歩くヒトもいるのだ。静岡のローカルテレビが、毎日おっかけている。ボキも楽しみにして見ている。youtubeである。

尾畠春夫さんの場合は、歩くことが人々に感動を与えてくださる。一遍や、空也のようだ。

無欲であることが、こんなにさわやかで似合う方はいない。

学ぶべしである。

知識を信仰と勘違いしていたボキである。間違った方向に向かわなくて良かった。今頃は、通信制大学で仏教学科に入学して、知識こそ信仰と勘違いしていたかもしれないからである。

信仰とは、実践であり、行動である。

そう尾畠春夫さんに教えていただいたからである。


(^o^)/~~~

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