と~ま君の部屋

楽しい老後を送りたいとやっています。所詮人生回り道。修士(人間学、仏教学)。ぼけ防止・脳のリハビリでやってるブログです。

ジイジ グランパパよりとお年玉には書いてみた さ、今年もがんばりまっせ(^_^)

2020年01月01日 07時10分44秒 | とーま君の流儀2020
年賀状が来る。恐怖の数日が始まる。いただいたものには、返事を出すつもりだからだ。

中には、謹賀新年としか書いていないのもある。ナルホド。それでいいのだ。しかし、それだけしか書いていないのに、料金かけて、郵便局の方々の労働を経てボキンチに到着するのだが、なんの意味があるのだろうかと思っていた。近況報告をしてこその年賀状ではないか。謹賀新年しか書いていないのだったら、それほど親しくないという意思表示ではないのか。

他人でも二種類ある。つまり、①親しい人と②それほどでもない人である。ボキは、千葉県内に親戚は一人もいないから、全部他人である。だから、年賀状は区別して出している。決まり切った文面で出す人は、親しくない人でしかない。

ま、どうでも良いような話ではある。


今年一年もまた生涯学習ごっこで生きていくつもりである。バイトすら、ボキは生涯学習であると思っているからだ。塾も家庭教師もそうだ。教えるためには、勉強しないとできないからだ。しかも、こっちは年をくっている。勉強しないと次々と忘れてしまっているからだ。惚けたら辞めるという前提でバイトしないと、迷惑になっちまう。

冬休みの宿題で、孫のを面倒見ていた。ほぼ終わった。昨日で。感謝された。長女に。こんなことでも、ジジイの役が務まるのだ。ありがたいこったよん。できの良くない孫だと、こっちが苦労するが。それも、半世紀以上教えるということをやってきたから、わからない子供たちの苦しみがよくわかっている。だから、我ながらうまいもんだと思っている。教え方がである(^_^)。

そのうちに、ボキは死んじゃっていなくなるのだが、こんなことでもやっていれば記憶には残るジジイになるのかもしれない。

それでいいのだ。それで。

それしか出来ないのだから。


さ、これから新年の挨拶をする。家族全員で正座して、「昨年中はお世話になりました。本年もよろしくお願いします」とやるのである。どんなに小さくてもこのとおり発声してやるのだ。これは、亡くなった義母に教えていただいたことである。

お年玉はそれからである。裏に、「ジイジ」「グランパパ」と書いておいた。反応がタノシミである。


わははっはははっははっはははっはははっはははっははっはははっはは。


明日もよろしく!
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