論文とブログの文章はまったく違う
稀代のワルクチホンというのが存在する。大月某センセのホンである。いろいろ問題があるようなので、書名はあえて明らかにできない。某女流作家のワルクチが思う存分書いてある。実は、その作家センセのホンは愛読してきたので、へぇそうか、そうなんだという程度のものしか感じなかったのだ。だから、あえて書名は伏す。
その中に、作家センセの文体について指摘してある部分が非常に参考になる。
最初に、「あまりにも凡庸な書き出しに唖然呆然」とある。さらに、「中味がスカスカ。なめとんのか、オラ!」ともタイトルに書いてある。「ダラダラとだらしくなく文字が流れているだけで、構成っちゅうもんがまるでないんだもん」とも。
もっと書いてある。
「プロは数字を確実に押さえる、登場人物の説明もできない、描写力もゼロ、文章の中身は重複や繰り返しばかり、テーマを決めずに文章を書いている、思いついたことをそのまま、その順序で書いて、うまく接続できないときは一行アキを使い、なんの脈絡もなく、また別の文章を書いているのだ」というように悪口雑言・罵詈雑言である。
これだけ書かれると実に愉快になる。云っている方も、云われて居る方も同じではないかと思うからである。まったくどうしようもないけど。
しかし、これをよく読むと、文章の書き方ということをよーく教えてくださっているような気がする。インターネット時代になって、ブログとかFBとか、Twitterとかいろいろと表現手段がそろってきている。だからありがたいし、いろいろな方が何を考え、どう行動しているのかということもよく分かる時代になってきたから感謝するしかない。こんなことは考えられなかったのである。さらに、学位論文も公開されるようになった。これもまたありがたいと思っている。
もっと面白うてならないのが、自撮りということをやっている美女達である。これはこれで毎日楽しい思いをしている。相当な自信がおありになるのだろう。美しさという点において。ま、それはそれでいいのだが。
元に戻ろう。
つまりインターネット時代になって、華々しくデビューした有名人がたくさんおられるのだということがよく分かったということである。内田樹センセの書く物もそうである。こちらも私は殆ど全部読破させていただいたし、年齢も一歳しか違わないから、同時代を生きていたっていうことがよく分かるからである。もっとも、能力はまったく違っているから比較したら怒られる。
このワルクチホンは昨日の晩に読了したのだが、あまり納得はできないとしても、文章読本にはなったということである。谷崎潤一郎の同種のホンよりはいい。谷崎先生のはなにが書いてあるのかよくわからないからである。もっとも、これも私の能力がないから理解できないのだろうと云われるとぎゃふんであるが。
そして最後に云いたいことがある。
それは、論文とブログの文章はまったく違うということである。
論文を、「あまりにも凡庸な書き出しに唖然呆然とある。中味がスカスカ。なめとんのか、オラ!ともタイトルに書いてある。ダラダラとだらしくなく文字が流れているだけで、構成っちゅうもんがまるでないんだもん、とも。さらに、プロは数字を確実に押さえる、登場人物の説明もできない、描写力もゼロ、文章の中身は重複や繰り返しばかり、テーマを決めずに文章を書いている、思いついたことをそのまま、その順序で書いて、うまく接続できないときは一行アキを使い、なんの脈絡もなく、また別の文章を書いているのだ」という指摘のように書いていたら、そりゃ師匠に叱られるというものである。
自戒したいことの一つである。
これまた、もう遅いけど。
(^-^)/