そもそも私自身が怪しい爺である
長い間、学校教育でいわゆる教育を受けてきた。
思うにできの悪い懶惰なバカであった。そして、それもまもなく終止符を打つ予定である。三月の病院再検査で結果がよくないならば、拙ブログの還暦老学生日記というカテゴリもお仕舞いにする予定である。さよならである。新たに、老人大学日記というカテゴリはスタートする予定だ。4月から。なにしろこっちは、受験資格が高い。55歳以上でないと志願できないのである。老人でないと入学できない。
以上終わり。
それではあんまりだから、もうちょっと書く。
そろそろゆっくりしないと、死んじまう。いつまでも、勘違いして還暦老学生日記ではあるまいに。4月から入学する老人大学は、お友達をつくるためだけに行くのだから、気楽である。在籍大学のような若くて素敵な美男美女は、まったくいないだろうから、こころときめくこともない。
さらに、ゴミ論文を書いていたら、体調を悪くするというんじゃ、洒落にもならない。そもそも、洒落は大好きで「日々是ユーモア」をモットーとして生きてきた。それができない。できないなら、方針を変えるしかない。
理由は簡単である。
まだ生きていたいからだ。幸い、11月の入院騒ぎから体調は回復しているが、問題は気力だ。
論文を訂正せよ、ここをこうやって書き直せ、あそこのところはまずい、こんなもんしか書けないのか等々のご指導をいただいても、長続きしなくなった。郷土史の論文も、今月中に提出しなくてはならない。こっちも、日々アップアップしているのだ。文は書ける。しかし、気力がもたない。一応、論文らしきものは書いてみた。昨日、おわりにかえてという終章の部分を書き上げたが、以前に比べて、速度が遅い。ま、歴史分野も郷土史も文学分野も全部素人の手慰みである。才能と実力が無い。無い上に気力までなくなったのでは、そろそろ退場である。退場。強制退場である。
長時間机にしがみついていると古女房ドノが怒る。これが一番しょうもない。そうなのである。私は、エコノミークラス症候群で入院したからだ。
長時間机にしがみついていると病気になるというまったく都合の良い病気だ。怠けものの病気だ。
洒落にならないというのはこのことである。
だったら、運動をしていれば良かったじゃぁねぇかと言われた。周囲のいろいろな人に。
やっていたのである。Gymの会員でもあった。
要するにその運動自体が不足していたのだろうとも言われた。そんなことはない。かなりやっていたのである。マジに。
じゃぁなんでエコノミークラス症候群なんかになったか。
それは勉強に適性が無かったということである。
バカだということである。
だから、どんなに長い間学校教育を受けても、なんにもならなかったというワケである。
もっと言えば、私が学校教育について語ることができるとすれば、「学校教育を受けて、何を学ばなかったか」ということだけだ。
そうなのだ。
学べなかったことは多く、それを「独学」で学ぶしかない、なかったということだ。
私が関わった大学は全部名前が違うが、学部生の時はまるっきり独学であった。新聞配達して昼間の学校に行っていたが、まもなくそれも全国に吹き荒れた大学紛争というもので、ロックアウトされた。だから、学部生時代の4年間は独学である。ほんとうにそうである。こいつも洒落にならないのだ。
学部生の時にお世話になった大学には、だから母校という意識が殆ど無い。だって独学したという意識しかないからである。
私に欠けているのは、能力と気力である。さらに、古典教育である。中世が好きで勉強しているが、まだまだである。語学も怪しい。哲学も怪しい。仏教思想というのも怪しい。
そもそも私自身が怪しい爺である。
道ですれ違ったら、「キャァ~」って言われるのは間違いない。あ、すれ違うのはおばさんではない。もっと若い女性である。歩き方も悪い。まるっきり、チンピラである。がに股で両手を振って歩いている。治らないのだ。柔道のせいである。
こういうことも学校教育で教えて欲しかったなぁ~と思う。
もう遅いけど。
(^_^)ノ””””