ミセハラとは、見たくも無いものを・・・
時々というか、しょっちゅうというか、見たくもない光景にうんざりしている。欧州旅行に行って、ますます見たくもない光景にでくわしてきた。なんだか知らないが、うんざりを通り越して怒りまでこみ上げてきたのだった。それは、女性の格好にである。「秘すれば花」と書いたのは我が日本の能楽の大成者である世阿弥であるが、そんな精神性はまったく感じてこなかったからである。つまり、アピール度が非常に高いのである。あちら系の方々は。男性も女性も、露出度が高い。男の足など見たくもねぇが、女性の目も当てられないミニスカートや、半裸のシャツなどあれはいかがなものかと思って帰国した。
香水などの臭いのも、嫌悪感を持つけれども(これはクサハラである)、見たくもねぇ足を、あるいは半裸状態のタンクトップとか、あれは何なのだねぇと感じている。
セクハラというものが、受け身の形で当人が不快と思うからそうなのだと随分指導されてきたが、オレのようなじじいでも不快に思う現象がたくさんあるのだから、これはじじいに対するセクハラと一緒ですなぁと思っている。なんか勘違いしていないのかね。セックスアピールだと思ってやっているんだったら、オレはそれは違うと申しあげたい。
こんなことを書いていると、禁欲主義者とか云われてしまうが、そうではない。ちなみに禁欲主義者というのは、中国語で金魚というのだそうだが、勘違いの文化を持っていると国が滅ぶと思っているからである。ヴェルサイユ宮殿で、これと真逆の文化を見せていただいてきたが、アレじゃぁフランスは革命の洗礼を受けると感じてきたからである。細かくは書かない。日本の貴族文化に憧憬しておられる方々も多くいるだろうからである。源氏物語を専攻されている方もおられるからだ。
部分でもって、美的アピールをしていると思っておられるのであろうか。それとも、全体的な調和の美をもって美的アピールとしているのだろうかと、現代の若い女性を見ているとどっちなのだ?と思うことがある。目玉になんだか知らないが、でかいまつげをつけてそれでアピールになっていると思っておられるのだろうか。あるいは、できるだけ短いスカートでもって、部分としての美的アピールをしておられるのであろうか。チャイナドレスも感心しない。足を見せてそれでなんなんだと思うからである。もっとも、チャイナドレスというのは、満州族の衣装であって、中国伝統の服装ではないと聞いたこともある。清代以前の漢服の方が、中国らしくてなかなかいい。
だから、部分的なものを見させるという考え方が不思議でならないのである。
部分的なもので、アピールできるのだとしたら、オレは、ピクピク動くオレの胸筋をもってしてアピールできるってわけである。わらっちまうなぁ。
確かに、オレはTシャツを着て、gymに行っている。そして、トレーニングをした後は、胸筋を動かしてその日の体調を確認している。しかしである。オレは、オレ自身が胸筋でできているとは思っていない。あたりまえである。オレは、全体としてのオレであって、調和のとれた個を目指しているだけであるからである。
長いこと女子教育にも関わってきたから、世阿弥の「秘すれば花」という考え方には非常に納得がいくし、教育の基本であると思うからである。
あ、こんなことを書いているとますます孤独になっちまうなぁ~。どうでもいいけど。
(^_^)ノ””””