二重人格で書くことだ
教育効果というものは恐ろしいものがある。
文章のことである。まだ小学校の高学年のときに、志賀直哉の文章がいいと教わってから、短文主義で通してきた。夏目漱石も素敵な文章であると思っていたので、密かに原稿用紙に書き写してみたりした。日記もそれでいった。つまり短文主義である。
これが、老年になって生涯学習日記なるものを書き始めてから習い性になっている。さらにいけないのは、ゴミ論文を書くのに、この短文主義が邪魔になっているのである。気がついていたことは気がついていた。論文と日記では違う。個性をあまりにも出し過ぎると、論理性に欠ける。あくまでしつこく、しつこくやらざるを得ない。
そもそも爺である。さらにアホときている。地位も名誉もない、一介の田舎教師であったし、今はただの年金生活者である。この4月から千葉県生涯大学の生徒になるというつまらない爺である。もっともこっちは、受験資格が厳しい。年齢の制限がある。55歳以上である。以上なのだ。
以上終わり。
あ、それではあんまりだ。
今日書きたいことは「二重人格」ということである。
つまり、ブログもそうだが、論文体ということでは、「二重の人格を意識して」書いていかなければならないということである。
言い切りの形も、現在形をよく用いるが、これも「~た」でやることにした。ブログではやらない。
さらに、よく考えなくてはならない。
思いつきをブログのように書いていたら、いけない。時間がかかっていないのである。ブログの方は。それこそ、打鍵する「指」が勝手に動いていくだけである。時々書きすぎて困ることもあるが、たいていはそのままブログはupする。
自分だけのメモという性格もあるから。
昨日、在籍大学でマンツーマンで師匠から講義をいただいていた。そして終わり頃に、師匠にかなりの美女を紹介していただいた。ハンガリーの女性である。留学してきて、源氏物語で論文を書きたいと言われた。
びっくりした。
源氏物語は、学部時代の専門であったからである。その奥深さ、膨大さに挫折して、とうとう卒論で書くことは諦めてしまった。
源氏も通して読んだことが3度ほどあった。学部時代である。そのまま母校の修士課程に進学したかったが、できなかった。あまりにも成績が悪かったからである。進学規定を満たさなかった。だから門前払いである。
かえってよかったのかもしれない。
オノレの能力を顧みずということである。若い時からそうだったのである。
こんなんで研究者とかなれるわけもない。
今日は、昨日の査読会議の結果を受けて、これから訂正作業に入る。
居住地の大図書館に行く。
深刻な顔をして。
わははっははははは。
(^_^)ノ””””