植草学園大学campus
「マイナス」からのアイデンティティ
今日は久しぶりに正規の大学に行ってくる。千葉市小倉台にある植草学園大学である。心理学の教授のお話を聞いてくる。生涯教育でやってくださる講座である。しかも老人大学在籍者だと、500円も割り引いてくれる(老人大学の指定管理者?だからかねぇ・・よくわかんないけど)。500円でっせ。500円。ありがたい話ではないか。これで昼食代になるってぇもんですな。何を喰おうか今から楽しみである(ワンコインだからたいしたもんは喰えないだろうけど)。
ところがである。
郷土史の講座もある。千葉市の文化センターで。受付だけをさせてもらって、13:30には文化センターをスタートして植草学園大学に愛車で行くつもりである。関係の方々にはその旨を電話であらかじめご連絡申し上げてある。どうしようもない。勝手ながらというわけである。
まさに「自己本位」である。
漱石もそんなことを言っていたような微かな記憶があるが、年齢を重ねてくると、「自己本位」そのものを自堕落に生きているしかないのだろう。
自分のことしか考えていない、「我」が強いというのは、これがますます増長するようだと周囲に対して危険である。つまり「プラス」の危険性である。
オレが、オレが、オノレが、オノレがというように自己肥大をしていってしまう。周囲のモノを睥睨して、つまり格下に見て、バカか基地外のように扱ってしまう。
ジジイになって、こういう輩がたまにいるのを見る。態度のでかいジジイである。100円ショップで買い物をしたのに、会計の店員さんに、上から目線でとんでもない暴言を吐いているジジイ(ババァもいる)がいるのだ。マジにいるのだ。中には代金を放り投げているようなバカもいる。オイオイ、そんなにゼニが要らねぇのなら、オレにくれよといいたくなるようなバカである。
何様のつもりでいるのだろうかと思う。
こういうのを、「テメェのことしか考えていない」と私は思っているのである。みっともない。実にみっともない。自己肥大の典型である。クレーマーチックである。クレーマーにも該当しないバカである。
ところがだ。
「自己本位」というのは、知的階級にもあるらしい。そういう事例が散見される。なにもバカだけがかかるビョーキでもないらしい。
オノレのやっている学問だけが世界で一番すばらしいとか、オノレが一番エライ、あるいは天才であるという類いのおめでたい種族である。そういうのはこれまで何度も見てきたから、まことにもってそう感じるのである。むろん、鈍才のアタクシは、該当しない。知的階級にいないからである。
そういう「プラス」の方向にふれた「自己本位」はいかがなものかと思う。「プラス」というのは、イヤミで書いている(わかっているぜと言われそうだな)。道徳的にちょっといかがなものかと、思う「プラス」である。他人迷惑であるからだ。
そんなんだったら、むしろ「マイナス」の「自己本位」の方がずっといい。だいいち、ウソでもなんでもいいから、オレはバカだ・基地外だとしていた方が、楽しみである。マイナスからスタートしているのだから、後は貯金と一緒で増える一方ではないか。
だから、アタクシは、「マイナス」から全部スタートするのである。その方が気楽である。ま、たまにかなりイヤミを言っている、不愉快だと叱責されることがあるが。しかたなし。若い時からそうだったのだから。
なんでこんなことを書いているか。
それは昨日東洋一の巨大病院で再検査があったからである。結果はかなり良好であった。まだ、血液サラサラ度が低いから薬は飲まなくちゃならない。糖尿病も、高血圧もまったく問題ない。
しかし、これは薬を飲むという前提条件つきである。薬を飲まないで、昨日のような結果だと健康人と変わりないのだが、そんな簡単に通院しなくてもいいというようにはならない。主治医が許してくれない。無罪放免とはならない。長い付き合いになる主治医である。昨日も、故郷に墓参りに行ってきたいのですがと申し上げた。そしたら、「カナダまで行ってきたのですから、大丈夫ですよ」と言われてしまった。心配しなくていいということである。さらに、米沢の出身です、そこに墓参りしてきますと申し上げた。そしたら「美味しそうな地名ですね」と言われた。大笑いをして帰ってきた。主治医も柔道経験者である。だからいろいろと話があうのだろう。
それはともかく、自分をマイナスの方から規定していると、ドクターから言い渡される結果は、全部プラスになる。それを言いたいのである。
そうした方が気楽である。
社会に認知されたいからという不純な動機でもって、ゴミ論文を書いてきたのではないし、健康もそうである。病院に認知されたくて病気になったわけではない。それこそバカでもあるめぇし、である。
「マイナスからのアイデンティティ」を持っておると、まったく気楽に生きることができる。
誰も相手にしてくれないし、オノレの時間を奪うやつらもいない。好き勝手にできるからである。オノレの時間も、人生もである。
こういうバカなジジイを、今日の植草学園大学でどう分析していただくのか。楽しみである。それならば、つまり納得できるならば、もしかして私の興味関心もますます増大するかもしれないからである。
心理学か。おもしろそうだなぁ。よだれが出ちゃうですな。まったく。
それではそろそろ行ってまいります。大都会千葉市へ。九十九里浜の僻村から。
(´∀`*)ノ