開高健のエッセーを読みながら、gymに行ってwalkingしていた。machineである。これでけっこう時間が持つから、ありがたいもんである。
開高健のエッセーというのは、gymに行く前に古本チェーンで108円で買った「知的な痴的な教養講座」(集英社文庫)である。さすが開高健である。エッチな話題もすこぶる楽しいし、作家としての教養の深みもあるからたまらんのである。もっともボキのような庶民はエッチな話の方がかなり楽しかったのだが。
で、本日のお題である。
世界で一番美しいのはなんのドレスか?ってぇことである。
チャイナドレスか。うううううううむ。実はボキ、チャイナドレスを見たことがないのである。ホンモノをである。退学した某大学には中国人留学生がたくさんいたが、まさか普段の授業中からチャイナドレスで大学に来るバカはいない。だから見ることがなかったのである。学問優先であるからだ。
しかしである。
そういう拙い体験でしかないけど、チャイナドレスもまた美しいのだろうと想像している。すなわち、実際に目で見たことがないのだから、想像するしかない。これが一番美しさを考えるときには効果的である。映像で見せられても、感受性の乏しいボキにはその美しさがよくわからないのだ。
これはいわゆる発禁本であってもそうだろう。字面から想像してあれこれ楽しむから、楽しいのである。だから現物は見たいけれども、見ない方がいい。そういうひねくれた考えを持っているから、じっさいに体験したことがないというだらしなさに陥るわけである。
文学っていうのは、そういうもんであろう。字面から想像してみるからいいのである。源氏物語だって、映像であれを見せられたらゲンナリである。ややこしい原文を四苦八苦しながら読解していくから楽しいのである。想像をたくましくしていくからである。桐壺なんかどったけ美人で妖艶だったろうかとか思ってしまうのである。
インドにも素敵なドレスがたくさんある。しかし、インドのドレスはつつましい。ズボンをはいていて、その上にスカートのようなものを着用している。扇情的ではないのである。こっちは実際に劇場でも見たし、インドの女性は目鼻立ちがはっきりしている。だから、いい。なかなかである。タレントでもそうなのだから、いかにインドの文化が優れているかが理解できる。サリーは、確かに美しいと思う。見たからである。
ヨーロッパ系の国々ではどうか。どうも、体力勝負的な立ち位置が見えてきてゲンナリする。夏は、特にそうだ。今のうちに日光浴をしてしまおうと考えているとのことで(現地ガイドに聞いたこと)、短い短パン姿やランニングみたいな半裸が多い。もっともボキは、6月・7月しかヨーロッパに行ったことがないからそう感じるのだろうけれども。さらに、あのパリの女性達が好んで着ているふわっとしたドレスは、いろんな隠し事があるらしいと聞いてから、これまたゲンナリしたっけ。ヨーロッパ人は風呂に入る習慣がないから体臭がきつい。シャワーはあびるのだけれども。それに、ヨーロッパに行くと、必ずホテルにビデがくっついているのは、そういう現実をふまえて作られていると聞いてなるほどと思ったっけ。そうすると、あまり興味がわかない。ううううううううううううむと唸っているしかない。
じゃぁどこがいいんじゃ?
と聞かれても困る。
どこでもいいからである(^0^)。
でも、ロシアの美女はいいらしい。
これまた実際にロシアに行って見るしかないですな。来年。夏に。美しいだろうなぁ。それとも・・・・・トホホなのかな。どっちでもいいようなもんだが。
*
相撲で稀勢の里がまた優勝できなかったから、今日は実におもしろくない。
どれだけ応援しても、彼はボキの期待に応えてくれない。
まるで世の中の多くの美女たちのようである。
ああああああああああああああああああああああああああああ。
今日は、千秋楽であったから、飲めない酒を一合だけ飲むことにした。
稀勢の里に捧げるつもりじゃ。
泣きたいよん。
南無阿弥陀仏 南無阿弥陀仏・・・・・・・・・・・・チーン!