と~ま君の部屋

楽しい老後を送りたいとやっています。所詮人生回り道。修士(人間学、仏教学)。ぼけ防止・脳のリハビリでやってるブログです。

やたらとご多忙なようで、と~ま君じーさまは(*゜∀゜*)

2015年12月17日 14時40分46秒 | 老人大学ごっこ2015年から2016年

4月からのバイトで使う新たな資料を作成していた

 

 

やたらとエネルギッシュで、仕事も早く、スーパーエリートに多いのが、「躁状態」にある方々だという。

そういう本をあちこちとここのところ読んでいた。双極性障害である。一般的には、鬱状態の方が良く知られているが、問題が多いのは実は「躁状態」の方だそうである。

書いている精神科医の先生が、ご自分をそうやって疑っているというのだから事実なんだろう。

しかしである。

これだと、なにが正常で何が異常なのかというと、ワケがわからなくなる。ある意味、心理学のうさんくささと一緒であろう。あろうというのは、心理学もまた私は素人だからで。

なんのためにこんな本を読み始めたかというと、バイトでもって某大学で非常勤講師をしているので、4月から使う新たな資料を作成しているからである。

ありがたいものである。だから精一杯こっちも勉強させていただいている。

なにしろ、こっちは現場経験はたくさんある。あるから、後は一生懸命理論を勉強するしかない。

しかも、自分のことばで語れるくらいに、やらないと学生はついてこない。

当たり前でアル。

資料の紹介程度では、大学生は見抜く。講師の実力をである。

私は、豊富な資料を駆使して、語りかけるスタイルである。

退屈している暇がないだろう。そりゃそうである。指名もするし、映像教材も豊富である。手練手管は、かなりこちらは持っているからだ。

そもそも教え方を教えるのだから、それなりにやれなくては話にならない。

だから、バイト先の大学からかなり教員採用試験に合格している。

ありがたいものである。

こうやって、ドンドン後輩諸君が教育界に就職していってくださっていることがタノシミなのである。

そして、こういうことをさせていただいている某大学に感謝しているのである。

今日も、一冊読み終えてしまった。

さらに、NHKのテレビ英会話とやはりテレビの中国語講座を聞いて、それをBRDに落とした。さらにさらに、今日の夜は塾があるから教材研究もした。国数英である。

それでは、これから市営のgymに行って参ります。

健康第一ですので。

 

(^-^)/

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一年前に大きな「試練」に出会ったっけなぁ~

2015年12月17日 08時54分25秒 | 老人大学ごっこ2015年から2016年

試練は、条件であるということ。病気もそうだったし、万事がそうだったのである。それがしみじみ理解できたのが、この一年間であったのだ・・・・けふはちょっと真面目に書いてみたけど

 

 

病気をするってぇことは、ある意味「試練」であって、そこから得ることのできるものは実に多い。去年、病気になったからこそ立ち止まって、いろいろと来し方行く末を考えるきかっけになったからである。

そして一番大切なのは家族であったとしみじみ気がついたからである。病気もそうだが、人生って決して偶然の所作ではなかったということである。

私も例外ではない。去年の今頃は、退院して九十九里浜の南方にある一宮シーサイドオオツカというホテルに泊まっていたのだが、そこで朝風呂に入っていて、脱衣所で失神したっけ。二回。結論から言って薬があわなかったのであるが(その後薬を減量して失神は二度となかったが)、得たものは大きかった。

入院そのものも、収穫がたくさんあった。

何しろ健康過信であったのが、修正された。過信から、実に慎重な生き方に変更されていった。食べ物も、運動も自分なりに工夫していった。おかげで、現在は非常に快調である。

当然、体によくない飲酒もやめた。だからもっと快調である。

飲酒をやめると、おバカキャラのミニスカオネーチャンのいるような隠微な酒場にも行かないようになった。実に健康的である。

あまりにも健康的であるから、もしかしてオレはもともとこういう道学者のような、堅物であったのではないのかと思ったくらいである。

論文も書かなくなったから、なんにも焦ることがない。実に快調である。

しかし、一昨日だったが、老人大学のクラスメイトに言われた。

「酒も飲まず、遊びもせず、なにを気晴らしにしているのか?」って。

わはははっははははっはははっはははは。

気晴らしはいくらでもある。バイトがそうである。塾がそうである。若い人々と語りあうことができる。これが一番である。さらに、ささやかであってもお小遣いをいただける。

これを気晴らしと言わずしてなんというのだろうか。

老人大学もそうである。気晴らしができる。老人大学は、正式な学校ではないから、それでいいのである。まさか履歴書に書けるような学校ではないからだ。老人大学が母校であったら、さみしいものである。

 

さて、冒頭の「試練」にもどろう。

「試練」は「大切な意味」というものを運んでくる。さらに言えば、なぜ人は「病気」という「試練」にあわなければならないのであろうかということを考えさせてくれる。

「試練」があるから、人は成長できるし、深い出会いがあるというものである。それがほんとうに実感できた。病気も、「試練」も呼びかけであったのだ。私に対する。

病気は、苦痛や障害を与えるだけのものではなかった。病気をきっかけにして、人は(私も含む)本当に大切なものはなにかということに気がつくことができる。

病気という「試練」をきっかけにして、人間性を豊かにし、人間的な広がりや、包容力、強さを持つことができるようになる。まさに実感である。私の場合。

また、病気は、たいへんな苦悩や葛藤を人にもたらす。それはそれでたいへんなストレスになる。私もそうだった。しかも、もう少しで学位を取得できるかもしれないという段階にあった。焦ってしまったのだ。高い学費を払って、毎日10時間以上も論文を書いていてそれなりに努力していたからであった。

東洋一の巨大病院の病室で考えていたことは、これでもってもしかしたら「まったく新しい人生が生まれてくるのかもしれない」ということであった。新しい人格が生まれ、もしかしたら自らを深化させていくことができるのではないかと思っていた。

だったら、「試練」こそ人生の宝であり、贈り物なのかもしれないではないかとふと思ったのである。病室のベッドで。

ここで、私は「脱皮」してしまったのである。

それからとった行動は早かった。

退学したのである。大学院を。むろん古女房ドノのせつなる意向もあった。バカみたいな夢を見ていないで、おとなしくしてほしいというわけである。

なるほどと思った。

健康第一である。たしかにそうである。健康でなければ、生涯学習ごっこどころの騒ぎではない。

しかし、私は「試練」と受け止めたのである。だから健康第一というように考え方をシフトしたということもあるが、むしろ「脱皮」したという方があたっている。

病気になって、初めて「この世は天国ではない」と気がついたからでもある。そもそも非常にネアカであるから、もしかしたら「この世は天国」かもしれないと思っていたキライがある。

しかし、現実の世の中は、試練や葛藤に満ちた理不尽さと隣り合わせの非情な世界である。耐えがたきを耐えて生きている世界である。

病気や困難に襲われない人間は皆無である。生きるということは、ままならない現実に出会うことであり、悲しみに出会うことであり、苦しみに出会うことである。

しかしである。

生きるということは、現実世界でしかできないこと、経験すること、その中でしか味わえない喜びと出会うことである。だから、病気という「試練」は、オノレが変わることという視点から見たら、「ただの条件」でしかないということである。強く生きていくための「条件」である。

受け止め方次第であると思うのだ。

 

うううううむ。

 

今日は久しぶりにまじめに書いてしまったなぁ~。ま、たまにはいいか。

 

じゃぁね~。

 

さらばです。

 

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12月16日(水)のつぶやき

2015年12月17日 06時06分53秒 | 老人大学ごっこ2015年から2016年

AU回線故障!

平成27年12月14日(月)、AU光にトラブル発生して、インターネットならびに電話が使えない。よって、一日さみしい思いをしておりました。

こういう... goo.gl/MzBJkf


ダメだと思わないことこそ、もっとも重要ですなぁ~

どんな状況が訪れても、「もうダメだ」とは思わないで「やるだけのことはやりましょう」というのが、私の主義である。マジにそうである。
確... goo.gl/GT1Sol


こんな楽しい老後を送ることができるのも、「つきあい」というか「社交性」というか、そういうものを大切にしてきたおかげである。

生涯学習をやってきて、いつも思うことがある。... goo.gl/Q3PjlT


平成27年12月16日(水) 13:43

やっと回線復帰。

こんなこともあるんですなぁ~。

(*_*) マイッタね。
goo.gl/8CY2oZ


【秋田・光頭相撲】<1月最終日曜日>地域を明るく照らしたいという思いを持つ、頭髪が少ない男性たちが頭の光り具合や色つやなどを競う行事。行司がライトで照らしたり虫眼鏡を使って判定。頭に吸盤をつけて紐で引きあう「吸盤綱引き」も行われる。 pic.twitter.com/2uN7uPdaNI

Waishan Richunanさんがリツイート | 55 RT

鞍馬寺善膩師童子像:善膩師童子とは毘沙門天の子供で、手に持つのは経箱という経典を入れておく箱。毘沙門天の妃もしくは妹とされる吉祥天とともに毘沙門天の脇侍であることが多い。 pic.twitter.com/YzSQovkEL1

Waishan Richunanさんがリツイート | 9 RT

【各地・獅子舞】邪気が食べ物である獅子に子どもの頭を噛んでもらうと魔除けになり、御利益もあると信じられている。噛む真似をしてもらう事で人の持つ厄災を噛み取ってもらえる。地方によっては「神が憑く」と縁起が良いとされているところもある。 pic.twitter.com/UqUddZHCtY

Waishan Richunanさんがリツイート | 31 RT

【沖縄・ハジチ(針突)】かつて行われていた沖縄女性の風習。12、3歳ごろから大人の女性になった証、既婚の証として手の甲に刺青をほどこしていた。ハジチはオシャレであると同時に家族にとっては誇らしいことで、初めて入れた日はお祝いをした。 pic.twitter.com/Zw0VmZ4N5c

Waishan Richunanさんがリツイート | 58 RT

常に善良な言葉、人を勇気づける言葉、人に喜びを与える言葉のみを使っている人が増えれば増えるほど、この世の中っていうものは、グングン光を増してくるんだよ。そういう人が増えない限りは、どんなに社会改善を行おうと、国家改革を行ったってだめだよ。

Waishan Richunanさんがリツイート | 16 RT

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光こそ、すべての源という気がするのだが

柔道をやると~ま君

サンスクリット般若心経

高齢\(^_^)/