と~ま君の部屋

楽しい老後を送りたいとやっています。所詮人生回り道。修士(人間学、仏教学)。ぼけ防止・脳のリハビリでやってるブログです。

咒師のこと

2012年06月20日 23時53分31秒 | 大学院博士ごっこ2012年から2015年

 咒師(ジュシ)のことで、今日も相当時間を割いた。

 気がついたら、お昼に学食で冷やし梅そばを食べてから、ずっと休み無しで5時間たっていた。トイレに行くのも忘れていた。マジに。これじゃぁ健康を害するなぁ。イカンゾウ。胃と肝臓を悪くしたら、イカンゾウになっちまうですよ。

 15センチもある「能楽源流考」を読み解くのは容易ではない。慨嘆ばかりしている。所詮、鈍才と~ま君である。と~まの正式名は「とんま」である。だから「と~ま」にしたのだから。(^0^)/ウフフ

 それでも、めげずに、マインドマップ法でノートを作成中である。そして、今日はハタと気がついたことがある。

 それは興福寺の、興福寺衆徒記録の所伝であった。江戸時代の記録で、「衆徒記鑑古今一濫」である。奈良市の菊間某氏の所蔵である。目が釘付けになったのである。元来、咒師が行う行事の外想を、猿楽の徒をして代理せしめたということが、書いてあったからである。

 能勢碩学の、法咒師と猿楽咒師との関係という章を読んでいたのである。咒師というのは、密教的修法を行うもので、東大寺の修二会にも見られる。そもそも最初から愚生のターゲットは興福寺であるが、ちょっと東大寺に回りミチをすることを許されたい。

 咒師の母胎を、咒禁師(ジュコムシ)とすることから能勢碩学は説かれている。咒禁師は、陰陽道の方術者である。当時の医療の補助として存在していたのである。そもそも、その辺りから当時の祈りの世界というのは興味深いことである。そして彼らは最初陰陽師に帰属して咒文師とも呼ばれていたのだそうな。また、仏寺には、咒願師なるものもいたのだそうな。そこでである。仏寺の行事で、咒師が猿楽をなしたのである。なんのために。当然、仏寺には参拝をする観客があってしかるべきである。そのことをふまえてである。

 咒禁師が我が国に渡来したのは、日本書記によれば、敏達天皇の御代の六年、百済より寺院関係者としてである。加持祈祷のごときものであった。

 また、猿楽の咒師は、藤原道長の時代であって、大鏡の道長伝の治安二年法成寺落慶法要の記事にある。

 能勢碩学は、ここで、咒師は咒禁師から発生したものであるかは疑問であると書かれている。むしろ、唐猿楽を咒師の母胎であると見ることを有効であるとされている。相撲節会の猿楽の記事でも述べられていて、猿楽について、ここでは触れている暇がないが、さもありなんである。能の起源をさぐる上では、猿楽は見落とせないからである。

 そもそも修正月会は、国家的行事であって、毎年正月には、全国(と言ったら言い過ぎか・・)の国分寺で行うものであった。8日から14日にかけてである。修二月会は、東大寺が有名である。

 法咒師は、広義の猿楽の中に含まれて、僧侶の行うべきものであった。だから法+咒師という語句になっているわけである。猿楽を僧侶が行うのである。これは非常に重要である。任務は密教の行事であったのだろうが、非常に関心のあることである。

 最初、薬師寺において、発生がみられ、次に興福寺において貞観十一年始められたものであると能勢碩学は言われる。

(「能源流考 pp.101-110」)

 

 猿楽咒師と、僧侶が行った法咒師との間にはなんらかの交流関係があったと見るべきで、両者が同一であったとは考えにくい。何故なら、猿楽咒師は、特定の職業集団であったからである。この点で我が国で発生したものであるとするのが穏当であろう。

 そこでである。

 興福寺の能が非常に興味深いものに愚生には映ずるのだ。なぜか。興福寺の能は観客が多いからだ。そして、そこには人の集合離散がある。まだあまり書くわけにはいかないが、そこに謎があるのである。これは実におもしろい対処である。だから、8月に行くのだ。興福寺と、高野山と。ただの旅行ではナインである。(ホントかねぇ・・)

 子別れの物語が能には相当数ある。

 好きなのは「百萬」である。退職後の名刺に刷ってある。退職の挨拶にも写真を刷った。それくらい好きである。なぜか。子を喪った母性の物語がたまらないからである。そして、興福寺がキーワードとなるからである。

 これくらいにしよう。これからの愚生の勉強課題であるからである。

 最近、孫の顔を見に茨城の櫻川を通った。否、昔からあそこの土地は通っていた。そしたら、能の「櫻川」の土地であったそうな。知らなんだ。櫻川も母性の物語である。子掠いの被害にあった母子の物語である。なんという哀れな物語であろうか。

 先週の金曜日に見た能「葵上」のような恨みの能とは違う。愚生のような一般ピープルには、むしろこのような子別れのような物語の方が、無学であるがゆえに好ましいのである。それが愚生の限界であろうけれども。もしかしたら、オイラのお袋も、こうやってオイラを捜し訪ねてくれたのだろうなぁと思うことによる安心感や、いつまでもお袋を慕っている甘さがあるからなのかも知れないけれども。(そうなのだ・・無知で、目もくりくりとしてかわゆい童顔だった童子のと~ま君は、あらゆる場所で、たびたび迷子になっては亡母の逆鱗に触れていたからである・・お世話になりました、お袋さんよ)

 

 

 院生室(隠棲室)に座布団を持っていって、イスに置いて帰りには自分のロッカーに入れている。これで、やっとケツの痛いのが解消した。ありがたや、ありがたや。温泉の効果もあったかとは思うが。

 クラスメィトも相当頑張っておられる。ある意味、愚生なんかとは違うから真剣度において差がある。しかし、オイラは周囲の方々に恵まれているなぁと思う。今日はクラスメィトのお一人から、中国語の勉強していますか、と聞かれた。相談したからである。赤面した。NHKの講座もいいなぁとは思うが、あれ長続きしたことはただの一回もないのだ。(^0^)/ウフフ やってみたいけれど、師匠がいない。まさか、研究活動で忙しいクラスメイィトに教えてくださいと言えるほと厚顔無恥ではない。第一、クラスメィトと思っているのはアッシだけでしょうから。こんなじじぃにクラスメィトなんて死んでも言われたくないでしょうからねぇ。

 どっか他所で勉強したいが、時間がない。今は、行き帰りの電車では英語をやっているから・・・完全に言い訳ですな。

 あ、そうだ。今日は夏季集中講座を予約してきた。6月の最終土曜日と日曜日、そして月曜日。あけて、もう7月になるが、3日間一限目から五限目まで、つまり9時から6時まで東京で缶詰で連続講義をうけさせていただく。美学史だ。クラスメィトも一緒だそうだ。ご迷惑にならんようにしよう。大学院事務室に宿泊先はどうするんですか?と聞かれた。ご心配をおかけしている。本当に申し訳無いです。なんとかなるでしょうとお答えした。まさか、野宿はしませんから。(^0^)/ウフフ

 今日は唯識についても新発見があった。これはもう書いている暇がない。なぜなら、明日銚子の大学で授業を行うからである。もっとも、もう教材研究は終わったケド。その後、夕方7:40から9:10まで塾もある。こちらの方が心配である。先週宿題を出した子どもたち、できたかな?って思っているからである。

 

 じゃぁ、また明日の晩お会いしましょう。

 

 

 

 

コメント
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光こそ、すべての源という気がするのだが

柔道をやると~ま君

サンスクリット般若心経

高齢\(^_^)/