と~ま君の部屋

楽しい老後を送りたいとやっています。所詮人生回り道。修士(人間学、仏教学)。ぼけ防止・脳のリハビリでやってるブログです。

生き方について悩むとは

2012年04月01日 16時29分02秒 | 大学院博士ごっこ2012年から2015年

生き方について悩むとは

「生き方と哲学 生き方を変えるとはどういうことか」(喜界彰夫著 2011年 講談社)を読む


・ウィトゲンシュタインの入門書(「ウィトゲンシュタインはこう考えた」喜界彰夫先生著 講談社現代新書)を読んでから、単行本の方の喜界先生の著書を買ってずいぶんあたためておいた。

・しかし、こうして***について読むという形で、ブログに書いてみることを思い立ったのは、まさに武蔵野大学大学院での厳しいレポート学習で同じようなことをしていたからである。毎回、ひとつの問題設定がなされて、それに2500字を書いて提出するのだ。さらに添削されて、再度報告をする。それを5回繰り返す。あまり、詳細に書くと母校にしかられてしまうからこれくらいにする。

・それが一番力がついた気がする。かなり厳しい先生もおられて、難渋した。私の才能がないからである。

・恩師に愚問を呈したこともいくたびかある。質問という形にはなっていたが、わかっていないで質問するから、顔から火のでるような思いとはこのことである。まったく不肖の弟子である。

・そんなつまらない弟子でも恩師の先生方は丁寧に導いてくださったのだ。

・だからこのブログを武蔵野の学びのように、自分で問題設定をして、自分で回答を試みるという形式にしたのである。もうそれに気がついておられる方々もいる。さすがに我以外皆碩学である。

・学問にとって問いこそ重要である。そんなことを聞いたことがある。自己とは何かとか、そういうたぐいの問いを重ねていくと、実にしみじみとした読書体験と思索が可能となる。

・あくまで自分のためにやっているのだから、上から目線で説教を垂れているんではない。自分のためである。

・あるいは、これからの学びのためである。この文章をポメラという愛用の機械で打っているが、これは3日からの院生生活にも持っていく。どんな時でも、文章を作っていることができるんだから、便利である。

・修学旅行の時も京都に持っていった。寺院を見学しながら、感想を書いていくのである。便利な世の中になったもんである。

・あぃや、前置きが長すぎた。




・喜界先生の本である。

・生き方について悩むということは、その前提として、正しい生き方、誰も否定できない生き方があるというものがあるのではないか。

・喜界先生は「我々が生き方について悩むのは、人間には種として固定された生き方が存在せず、その代わりに個々の人間が自分の生き方を持たなければならないという人間の元来のあり方に起因している」と書かれる。(同書 p.29)

・バイブルにも言及されているが、人間は鳥や自然界の生き物のように生きているわけではない。うらやましく思うことも一度や二度ではないが、やはり若干人間は違うようである。

・一気に集団で同じような生き方を志向するわけではないからである。個々によって違っているのである。だから苦しくなる。

・されど我が日本人は、他人と同じように生きるという点でこのあたりを上手に立ち回っている。みんなと同じような服を着て、化粧まで誰だかわからないような化粧をしている。(おかげで私は、若い女性の区別がほとんどつかない。誰が誰だかわからんのだ)

・なぜ日本人はこうまで他者同一性を志向するのであろうか。他に笑われないということを唯一の価値基準にしているのではないかと思う時がしばしばあるからである。私のように勝手きままに生きていると速攻で批判される。

・喜界先生の本を2500字で説明できるとは思っていない。故に、このブログで数回チャレンジしてみたいことの一つである。

・しかしである。この本の「他者と生きる倫理的知へ」(pp.190_219)の章はおもしろい。誤解かもしれないが、(たぶんそうだろう・・喜界先生すみません)構造主義的な興味がわく。

・我々は自由な社会で生きている。それ故にこそ、我々の生きていく上での困難が、社会的自由と経済的自由から招来するというのが、実におもしろい。自由であるから、自分の社会的生を構築するときに、我々は常に自分にとってなにがより良いのか、何がもっとも重要なのかを考えているのである。だから困難が生じるのである。その喜界先生のご指摘はそのものずばりである。(同書 p.192)

・何かを見失っていたということに気がつくからである。それが生きることの困難さをもたらすのである。

・それでは本来の自分を取り戻すためにはどうすべきか。これもまた喜界先生の明快な回答がある。

 ①本来の自己を取り戻すことを断念すること
 ②自分の中の何かを、根本的な何かを変えること

・しかしながら、我々の生の領域は難しい。なぜなら、それは「他者と共に生きる」という人間の生の領域が存在するからである。

・拙ブログでもこれから何度でも取り上げる予定の、中世日本文学の隠者たちもまたこの困難さに耐えきれない者であったのかもしれない。

・我々人間は、私とあなたという人称的な世界で生きている。こういう世界で生きていることを否定することはできない。問題なのは「他者とうまく生きられるか」ということである。だから、うまく生きられないから「悩む」ことになる。

・二つの愚かな選択があるそうである。(p.205)
 ①野獣の選択 他人という者を全く視野に入れない選択である
 ②他人の要求や期待や望みに無制限に応じ、それに応じて自己の要求や望みを断念放棄していくことである。

・これは手厳しい。こういう手段で確かに対応をしてきたのかもしれない。他人を無視してきたというのは、この①の方である。

・②の方は、他人にとって「佳い人」になることである。こういう傾向の人も随分いた。

・実は、先ほども書いたが、日本人にとってこのような精神性をもって生きていた方々が確かに存在していたからこそ、喜界先生の労作に注目しているのである。




・この書籍はまた拙ブログで取り上げてみたい。時間がほしいからである。

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スタート

2012年04月01日 06時34分08秒 | 大学院博士ごっこ2012年から2015年

・退職した。とうとうである。今日は退職したその翌日である。4月1日である。エイプリルフールではない。ほんとうである。やっとここまできたのだ。

 「ごくろうさん。たいへんだったわね」

・そんな声が聞こえてきそうなことを期待しているのだが、昨日の続きは今日であって、なんにも変化は無い。昨日のままなのだ。これは何なのか。退職は人生の区切りだとか、言われてきた。あれは違うな。なんにも変わっていない。30日に退職辞令をうやうやしくいただいて、それっきりなのだ。

・どうでもいいのが一人、家の中に入り込んできたという感触だけである。これは困った。こんなふうに年をとっていくんじゃぁたまらん。結局濡れ落ち葉になっちまったじゃないか。

・(^0^)/ウフフ

・用意周到な私は、この日のあることを十分想定していたのだ。「古女房ドノの迷惑にならないこと」・・このことだけを、肝に銘じていたのである。そんなことになったら配偶者もたまったもんじゃないだろうと、こころやさしい私は思っていたのである。それよりなにより、古女房ドノとずっとにらめっこして24時間過ごしていたら、あっという間に落命してしまう。

・一休さんじゃぁないが、かねてより行く道とは聞いていたけど、昨日今日とは思わざるなりである。そんなんじゃお互い申し訳無いではないですか。

・ともかく、新しいブログスタートである。

・何故か?

・それは私が、新しい生活を始めたからである。

・60歳の還暦にして大学生活を始めてしまったのだ。入学式は4月の3日。楽しみである。実に楽しみ。

・私のようなものでも、入学してよろしいとご許可をいただいたのである。ただし、博士課程後期。これはちょっと重たい。否、ちょっとどころか大いに重たい。入るのにも、相当難関であった。お二人の教授に専門分野を90分も質問していただいた。なんとかしどろもどろではあったが、これまで学んできたことをフル回転させてお答えした。帰りのタクシーの中で、ふらふらになっていたのだ。最初電車で帰ろうとしたが、無理だった。運転手さんが、心配してくださったほどである。このまま病院に行きましょうかと言われたくらいであったから。

・ついていけるかどうか非常に心配しているのだ。しかし、やってみなくちゃわからない。人生、結果をあらかじめ想定してから行動に移していたら、全部成功しない。恐れず、前進すること。それが私の主義である。

・博士後期?

・あれ・・・だったら修士をどこでとったんだい?と不審に思われるかたがいるだろう。そうです。修士は取得済みである。得意の勤労学生である。学部も勤労学生であったし、その後学部の通信教育で教員免許を取ったから、通信は得意なのである。

・修士も通信教育で取得したのだ。働きながらである。この武蔵野大学大学院は実にいい。学費も安いし、なんといっても先生方が実に厳しい。学長先生の人間学特講は、単位がなかなか取れないので有名であった。

・よくよく勤労学生が好きなようである。こういう運命にあったと思うしか無い。

・そして通信教育ではなくて、そろそろ通学生になりたいと思っていたのだ。しかも、還暦だから家から通える大学がいい。今更アパートで一人暮らしもきつい。・・・・ま、それもありかなとは思ったけれど、年金では暮らせないし、やっぱりアルバイトもせにゃならん。

・家から通学できるというと、銚子の千葉科学大学と東金の城西国際大学がある。どちらも家から30キロ未満。これはありがたいのだ。学生だから通学定期の学割がきくのである。実にリーズナブルである。それに学食もある。もうじじぃだから、小食になっている。そんなに食わない。さらに、一日中大学の図書館にいても、忍耐力だけはある。

・問題は学力である。

・国文学と死生学をやってきたから、典型的な文系である。だから千葉科学大学は断念した。理系だからである。

・城西国際大学には比較文化がある。死生学と国文学の比較文化である。やってみたくなった。これまでもそちら系でずっと追求して来た課題である。ここでやらなきゃ後悔する。あと何年生きられるかわからんが、こちらの大学にお世話になることにした。学費も安価であった。これは助かる。通信制大学大学院でも巨大な大学だと100万以上かかる大学院があるのだから。城西国際は50%くらいの学費である。軽自動車一台にもならないのだ。

・で、問題は学力である。しかし、悩んでばかりもいられない。受験を決意してから、ずっと勉強をしていた。大学受験は42年前。これはこたえた。専門と、外国語の復習をである。

・さらに受験勉強をしながら、同時並行で修士論文を書かなくてはならない。これも仕事をしながらであるから、なかなか困難である。ただし、私はずっと勤労学生をやってきたので、週末の使い方には自信があった。問題は、学力と記憶力である。ノートをとるしかない。分厚いB5の100ページノートを使って、一ページ一項目でやってきた。不安はある。当たり前である。孫の面倒でもみながら、ひなたぼっこして、うつらうつら眠っていてもいい年齢である。でも、ご同輩。それじゃぁ健康に良くないです。

・アルバイトも明日から始める。大手の予備校である。入社試験に4時間もかかった。英数国と一般常識。これもハードである。塾の先生の方も非常に難しいではないか、これでは。世の中甘くはありません。よく受かったもんです。大学も、予備校の先生も。体力と忍耐力のおかげでしょう。予備校の方は夜である。昼は大学である。先行研究をおおいに学ばなくてはならない。これもまた楽しみである。

・ローンはない。だから返済のために働くのではない。楽しみで働きたいのである。授業をやりたかったからである。44才で管理職になって、16年間にわたって授業をやれなかったのである。これは残念であった。学校を管理するのが仕事というのは相当にストレスがある。いつ事件事故がおきるかわからないからである。

・そんな生活からも離れた。毎日が日曜日であると思ったが、それだと私の場合はぼける。確実にぼける。

・なんといっても武蔵野大学大学院で、スクーリングを受けた時に、当時85才の同級生と出会ったことが大きかった。インド思想特講という講義を受講したのである。いくつかあるスクーリングでは、この科目だけを受講した。なぜか。とてつもなく難しいと思ったからである。

・その時にお会いした85才の同級生からかなりの影響を受けた。生涯学習である。いつまでも学ぶしかない。すくなくとも、そういう意欲を捨ててはならないと、大先輩から教えていただいたのである。

・ありがたいかぎりであった。


・生きる意欲を教えていただいた。生きた手本である。こういう年の取り方をしていきたいと本当に思ったのである。





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3月31日(土)のつぶやき

2012年04月01日 04時02分16秒 | 先公ごっこ2008年から2012年
09:19 from web
①今日孫が長女と共に家に帰ってくる。楽しみである。実に楽しみ。朝からそわそわしているんで、古女房ドノがあきれている。(^0^)/ウフフ

09:20 from web
②たわいもないじっちゃんである。名前はどうなるんだと言っていたら、ナント私の推薦した名前になるようだ。これからムコドノが家に来るんで、確認してみたいことである。

09:22 from web
③あ、ムコドノが来るんでは、お風呂に入れるのはじっちゃんの仕事ではなくなる。無念である。

09:25 from web
④今朝4時から仕事をしていたので、ちょっとふらっと町まで行ってこよう。いろいろと来週から忙しいんで。院生と、教職課程の非常勤講師とかねているから、講義資料も作らなくてはならんのです。さらに、予備校の講師も。

09:25 from web
⑤見た目はまったくのじぃさまですが、中身は実に若々しい(自分で言うか・・)

09:27 from web
⑥もうひとつ楽しみは、明日スポーツジムが移転してオープンする。こちらも相当楽しみである。運動することが、私の日課となっているから。柔道が弱いのが実に残念であるケド。

09:31 from web
⑦最初はクルマのディーラーに行くつもり。点検である。長いこと酷使してきたクルマである。ご苦労様であるから。新型車も来ているというので、そっちも試乗してきましょう。クルマもバイクも好きなんです。本当は。

09:31 from web
⑧では。。。。。お昼まで不在となりまする。

21:36 from gooBlog production
つまらない慚愧の話です goo.gl/39Nou

by tym943 on Twitter
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光こそ、すべての源という気がするのだが

柔道をやると~ま君

サンスクリット般若心経

高齢\(^_^)/