goo blog サービス終了のお知らせ 

四季おりおり

自然散策そして音楽のことなど・・・ 
2010年秋より里山・谷戸歩きで見た風景や蝶・花の紹介が増えてきました。

京都へ(2)大原を歩く

2012-11-21 22:26:00 | 
地下鉄烏丸線終点の国際会館からバスで大原に向い、終点より4つ手前の戸寺バス停で下車して東側の丘を歩き、三千院へ向かいました。

戸寺バス停→惟喬親王の墓→浄楽堂の一本杉→大原駐在所手前を右へ→三千院 (大原の里・秋の花マップ参照)


大原の風景

戸寺バス停からは丘に上る道になり、一旦森に入り、小川を亘って少し下ると、西方向の視界が開けます。この風景は、NHK-BSプレミアムの「猫のしっぽ カエル手」(ベニシアさん出演)の冒頭で出てきた大原の風景を思い起こさせます。


ウラギンシジミ♂

小さい集落を抜けた斜面にあるツバキを見ると、ウラギンシジミの雄が葉裏に逆さに止まっていました。大原は、京都の北の谷間にあり気温が低いため、もう完全に越冬態勢に入っており、翅に触れても微動だにしませんでした。
※京都の旅で見た蝶は、このウラギンシジミだけでした。


集落にて


寂光院方面

西の方に寂光院方面の集落が見えます。


三千院付近

三千院に近付くと、大勢の参拝者の姿が見られました。

                                (続く)


京都へ(1) 東福寺・泉涌寺

2012-11-20 20:30:00 | 
晩秋の京都を訪れました。最初に東福寺へ。

東福寺


通天橋

東福寺の臥雲橋からの紅葉と通天橋の風景は一番の見所とあって、大勢の人が記念写真を撮っていました。


愛染堂



境内の紅葉は、五分くらいでした。


八相の庭


本堂(仏殿)

※東福寺は、1,236年に完成。その後そのほとんどを消失。1,347年、仏殿が再建され、禅宗寺院となる。明治14年にも火災にあいその後再建。

泉涌寺


楊貴妃観音堂

楊貴妃観音像の美しさにあやかりたいといって、女性の方たちが熱心に拝んでいました。


泉涌水屋形

この寺は月輪山の麓にあり、泉から水が湧き出ることから泉涌寺と呼ばれるようになりました。この屋形は、泉の畔にあります。


御座所庭園

※泉涌寺の主要な大伽藍は、1,226年に完成した。四条天皇以降の歴代天皇の山陵がここに営まれたことから、御寺と称される。

※東福寺・泉涌寺の資料より

11月13日の天気: 曇り、最高気温17℃、最低気温7℃(京都)

雨の平戸を歩く

2012-04-29 20:56:00 | 
あいにくの雨でしたが、平戸城からザビエル教会を経て平戸オランダ商館まで歩きました。



平戸城。この地には、徳川家康の時代に松浦鎮信が日の出城を築きましたが、のちに焼却され、1718年に松浦家が平戸城を再築しました。現在あるのは、1962年に復元されたものです。



平戸城の天守閣から見た平戸湾と市街地の風景。平戸城から画面左端にあるザビエル記念教会に行き、そこから湾の向こう側の斜面の小径を西(右方向)に向かって歩きました。



平戸ザビエル記念教会。聖フランシスコ・ザビエル師の三度の平戸訪問を記念して1931年に建てられたものです。自然に跪きたくなる厳かな雰囲気でした。



教会からの静かな道を南東方向に向かって歩く。写真は、松浦史料博物館に登る階段。



八重桜の咲く御部屋の坂庭園付近の歩道。



ジャガタラの坂付近より見おろす満開の藤と街並み。家々の黒い瓦が印象的でした。向こうに平戸湾が見えています。



オランダ塀。この東にあったオランダ商館が覗かれないためと延焼を食い止めるため設けられた、高さ2m、幅70cm程の塀です。



2011年に復元された平戸オランダ商館。

オランダ商館は1609年に設置され、1639年に石造倉庫が築造されました。しかし、江戸幕府により、西暦年号(キリスト紀元)を建物に使用していることを理由に破壊を命じられました。370年余の時を経て復元されたのが写真の石造倉庫です(平戸オランダ商館のパンフレットより)。



徳川家康朱印状(複製)

徳川家康が1609年に来航したオランダ使節に発給した渡航許可証です。日本のどこの港にも寄港してもよいことが記されています(平戸オランダ商館説明書きより)。

当時の歴史を感じながら、風情ある市街地の散策を楽しむことができました。

富士山と宝永山

2007-12-07 19:02:00 | 
12月3日に雨が降り、4日、5日とも快晴。富士川町から雪を被った富士山がくっきりと見えました。


富士川町より(12月4日8:39)

富士川沿いの道の駅から見た富士山です。この辺の子供たちは、富士山の絵を描くと、右端に必ず出っ張り(宝永山)を描くのだそうです。


富士川町より(12月5日8:37)

宝永山辺りは前日に比べて新たに雪に覆われています。富士山腹の上の方は、前日の雪が飛ばされています。宝永山辺りに飛んだ雪が積もったのかもしれません。1日で様子が随分変わっているのに気づかされます。

<宝永山の爆裂火口>
宝永年間の1707年12月16日に富士山の中腹をえぐり取るように噴火してできたのが宝永火口です。その火山灰は、上空の偏西風に乗って西に流れ、小田原、藤沢、横浜、相模原辺りは15cmもの灰が降り積もったことが分かっています。


三島通過後の富士山(12月5日)

三島付近では、その爆裂火口がほぼ正面を向いています。


新幹線新富士手前より 12月5日 

冨士市に入ると、宝永火口が右端に寄り、宝永山の出っ張りが見えるようになります。
富士山は活火山。その後300年、富士山は不気味な沈黙を保っています。11月26日、朝日新聞に「活火山『富士』はいま 沈黙の300年」という記事が掲載されました。

雪雲の流れる季節に

2007-11-23 12:39:00 | 
11月18日、新幹線で小田原から京都まで快晴の中を移動しましたが、名古屋から西の方を見ると灰色の雪雲が山々(養老山脈、鈴鹿山脈)の手前を覆っていました。岐阜羽島より雲の中に突入し、米原近くまで雨となる。米原で停車する間、西から日が射してきました。本州のくびれた部分、若狭湾から琵琶湖の北をかすめて今年も雪雲が伊勢湾に流れ始める季節になったわけです。
米原を出ると、七色の虹が東側の山の手前の民家の上に。普段見る虹よりも近く大きく見えたのは錯覚なのでしょうか。



翌日、伊吹山はうっすらと雪化粧していました。初雪だったそうです。



関東地方では18日に木枯らし一番が吹いたと報道されていました。そのころから、コートが手放せなくなりました。