Pranava. Yoga+Ayurveda.

ゆるりヨーガとアーユルヴェーダな暮らし

2013-12-03 | いつものこととか
ブログのタイトルに 愛 なんておこがましいにもほどがあるけれど…




最近の私は贅沢にも 自分と深く向き合う機会を与えられました




自分と向き合うということは必ずしも愉快な作業ではありません




むしろ私のように未熟な者にとっては苦しさを伴います




心の奥底から次々と傷口からウミのようなものが浮き上がっては拭き取る…延々と続く作業です




アシュタンガヨーガの段階をヤマ・ニヤマそしてアーサナ アーサナよりも微細なプラーナヤーマと進んで行くと この傷口 未消化の感情というか記憶サムスカーラが否応でも現れてきます




それも様々なかたちで




ウミを出しきるには傷そのものを治さなければなりません




時には傷口を開かなければならない




何故その傷が いつまでも癒えることがないのだろうか?




そもそも何故そんな傷をうけてしまったのだろうか?






私がずっと求めて来たこと




それは 絶対的な安心感 絶対的な愛




でも 絶対的な安心感や愛が どこにあるんだろう?




変わらないものなどない 真理の世界で それを人や環境に求めても どうしようもならない




私自身だって変わり続けてる




聖典には 愛は本当は既にあなたと共にあり あなたの中にある あなたそのものが愛である とあるし私も感銘を受けていました




でも 沢山の愛を周りから与え続けられてもいるのに何故 私は同じ事を繰り返してしまうんだろう?



先日 ヨガ友のえりちゃんのキールタンと敬愛する たまき先生のアーサナクラスに参加して 2人の存在そのものから気づきを貰えました







ブラフマンとアートマンは同一である




アートマンは私である




よってブラフマンと私は同一である




ブラフマンはかたちをもたず




産まれることもなければ死ぬこともない




与えることもなければ奪うこともない






本当のところ ブラフマンだとかアートマンだとか神様だとか どうでもいいだけど




聖典の言葉が私の体験となった 日曜日




私にとって 2人が2人であること それが私の愛だと気づいた瞬間




私が今 ここに存在していること それが愛だと気づいた瞬間でもありました




全ては同じ世界に存在していること




そのままでいいのだということ




そこへ導いてくれた えりちゃんとたまき先生に そして そんな気づきの道中いつも側にいてくれる ヨガ姉妹ゆみちゃんに感謝です






一度出来てしまった傷は消えることはないと想う




そして日々 なにかしらの傷は受けたり 人に与えてしまったりする




でも 消えようのない傷や 昨日まではなかった 小さな傷を見つめながら想うのです




時々 愛を見失うくらい 痛い想いをするけれど




きっと 大丈夫
















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