飄(つむじ風)

純粋な理知をブログに注ぐ。

必死のパンデミック自作自演も下火!!

2009-12-27 18:31:31 | パンデミック・フルー

推定流行インフルがほとんど新型インフル??
季節性インフルは淘汰された??
検出は季節性インフルたった一件???
そんなバカなことが......???


 下記は、国立感染症研究所のサーベイランス情報である。現在、流行中のインフルは全て新型インフルとなっている。


 しかしながら、体験上ウィルスの分離検査は事実上していない。全て、簡易検査である。言うまでもなく、簡易検査は、ウィルスの型を判定するだけのものであって、新型か季節型かを見極めることはしない。


 このデーターは、推定による全くいい加減なものと考えることが出来る。それにもかかわらず、新型と推定することは為にする情報と言えなくもない。常識的に考えても季節性インフルが淘汰されたなど、都合のいい話がどうして受け入れられようか?


 新聞報道によると、新型インフルエンザワクチンも、厚生労働省と欧州の製薬会社2社(グラクソ、ノバルティス)と結んだ購入契約書には、副作用を理由に解約できないとある。のみならず、解約条項には同省が解約できる可能性は、企業側に契約義務違反があった場合に限られており、余剰が生じても解約は出来ない。


 つまり、全量を買い取らなければならないという訳である。


 おそらく、相当に余剰が生じるであろう。であるから、使い切らなくてはならない事情がある訳だ。この調子でいくと、ワクチン接種拒絶者も少なくはないであろうから、必ず余る。そのために、新型インフルをまだ煽りたいのであろうが、どうも『不都合な真実』が現出している。


 おそらく、これから例年の流行期を迎える季節性インフルも新型インフルとして統計されることは間違いがない。いい加減なものである。医は算術と言うが、正にパンデミックも算術であることが露呈した。


 再三に亘って、パンデミック・フルー騒動を糾弾してきたが、その事は事実上、証明される事態に至っている。ワクチンはビジネスであり、陰謀である。副作用とその損害賠償を製薬会社側に問わないと言うことは、ビジネスを越えた危険性を孕んでいる。副作用(副反応)を予見しての取り決めであることの自白でもある。


 だから、断じてワクチン接種は拒否しなければならないという論理は、正しい。心ある人々は、良く検証の上、決断を下すべきである。


 

Head_01

https://hasseidoko.mhlw.go.jp/Hasseidoko/Levelmap/flu/new_jmap.html  
 2009年第50週のインフルエンザの定点当たり報告数は27.39(患者報告数131,972)となり、2週連続で減少した。第28週より報告数は増 加傾向となり、第33週に定点当たり報告数が1.00を超えて始まった今回の秋季に大きな増加がみられた流行は、そのピークを過ぎつつあるものと考えられ る。
 定点医療機関からの報告数をもとに、定点以外を含む全国の医療機関を1週間に受診した患者数を推計すると約132万人(暫定値)となり、第28週以降これまでの累積の推計患者数は約1,546万人(95%信頼区間:1,528万人~1,564万人)(暫定値)である。
  定点当たり報告数は、都道府県別では宮崎県(55.51)、福井県(53.78)、徳島県(39.59)、長野県(38.56)、長崎県(38.51)、 青森県(38.43)、山口県(38.35)、福島県(38.05)、大分県(37.83)、愛媛県(37.26)の順となっている。定点当たり報告数 は、北海道、東京都、神奈川県、山梨県を除く43府県で20.00を上回り、26県で30.00を上回っているが、41都道府県では前週よりも減少した。
 警報レベルを超えている保健所地域は432箇所(47都道府県)となり、注意報レベルのみを超えている保健所地域は71箇所(28都道府県)となった。
  インフルエンザの報告数が増加し始めた第28週以降、検出されているインフルエンザウイルスの殆どが新型インフルエンザウイルスAH1pdmである状態が 続いており(感染症情報センターホームページ:http://idsc.nih.go.jp/iasr/prompt/graph/sinin1.gif 参照)、最近の発生患者の殆どが新型インフルエンザに罹患しているものと推定される。

 以下は、サーベイラスセンターより

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5001flu

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【政府】鳩山総理メッセージ 年末年始、生活にお困りの方へ!!

2009-12-27 16:28:41 | ニュース

長妻厚労相もメッセージ!!
こんな事は、自公政権では考えられない
議論はともかく、
こういう事は、率先実行に価値がある.....。
文句があったら、正々堂々と批判してみろ!!


 『いのちを守る政権』と公言した以上、当然である。こう言うと、すぐに『売名行為』だとか、『人気政策』だとか、『集票政策』だとか騒ぎ立てる者が多く出る。そういう前に、昨年の暮れを見よ。


 自公政権は、派遣切りに路頭にさまよう人々を尻目に、民間による『年越し派遣村』を卑劣にも揶揄し、無策の体をあからさまにした。それで済む話ではない。かくて政権交代が為されたのだ。時の閣僚の一人は、責任内閣の一員でありながら、『ホームレスのたまり場』発言をし、顰蹙を買った。翻って、盛大な新年会を催した自民党代議士の多くは、野に下ることとなったのである。これは当然の報いである。


 国民の経世を憂えることにこそ、為政者の努めである。それが、売名、人気、集票と呼ばれようとも、行為が重要である。愛には行為が伴ってこそ力を発揮する。それ以外は無意味である。


 よって、拡散する。残念ながら、タグがないのでリンクのみを貼る。


【政府】鳩山総理メッセージ 年末年始、生活にお困りの方へ

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http://www.youtube.com/watch?v=gprYFxPjTEc

「hatoyamam.flv」をダウンロード

【政府】長妻大臣メッセージ 年末年始、生活にお困りの方へ

http://www.youtube.com/watch?v=HWGq4ZwXqxE

「nagatumam.flv」をダウンロード


不思議な少年!! その69

2009-12-27 12:09:47 | 物語

イエス、ベタニヤで民衆に語る


 

 聖書であれ、何であれ、その本意を知るには生命(いのち)はどこから来るか、肉体と生命(いのち)の関係性を洞察しなければ、おそらく理解できない。肉体と霊と言っても良い。イエスは、常に霊について語っているのである。


 人々は、現状の苦しみや悩みのなかで、肉体がそうなっていると思うけれども、実はそうではない。肉体に宿る霊の棲み処の心が病んでいるのである。

20091225_016

<?! :記事に無関係>  

20091225_024

<長寿:記事に無関係


 心は霊の窓であるので、肉体の影響を直接に受ける。また、その事により心の受信・発信が影響を受けると、間違った考え方や想い方が生まれ、懊悩するのである。それを罪(積み)という。その(積み)汚れを祓わない限り、心は晴れない。


 心が晴れてこそ、心の王国が開けるのである。その王がキリストであると言うことなのだ。キリストは誰の心にもある、普遍的な愛だという。それ故にキリストは王である。このことは生命(いのち)=霊の事であって、肉体=現実物質世界のことではない。


 霊と肉体は表裏一体であって、この世の世界から観ると肉体が表であるが、生命(いのち)の世界から言うと、霊が表である。実在は生命(いのち)であって、肉体は仮の姿である。肉体は必ず、滅びる。生命(いのち)は永遠である。肉体を縁にして、永遠の生命(いのち)も永き嘆きと永遠の歓びに分かれる。


 永遠の歓びが天国である。そのためのはキリスト(普遍的な愛)が不可欠であるという。

 

 

イエス、ベタニヤで民衆に語る。心を清くすろ方法を告げる。エルサレムの宮で予言書を読む。ナザレに行く。


 「イスラエルの王イエス」がベタニヤに来たというニュースが伝えられたから、町中の人々はこぞって「王」に挨拶しようとして出て来た。


 イエスはそのなかに立って叫んで言う、「見よ、まことに王は来た。しかし、イエスは王ではない。まことに、神の国は近づいている。しかし人々は肉眼でこれを見ることはできない。王座にある王を見ることはできない。

 これは魂の王国で、その王座は地上の王座ではない。その王は人ではない。人間の王がこの世に王国を建てれば、武力によって他の王国を征服し、一つの王国は他の王国の廃墟の上に建てられる。

 しかし、われらの父神が魂の王国を打ち建てる時は、神は正義で支配する地上の王たちの王座に、雨の如く祝福を注ぎ給う。神が滅ぼそうとするものは支配権ではなく、その剣は不正、放縦、罪悪に向って振う。

 さてローマの王たちが正義を行い、慈悲を重んじ、うやうやしく神と共に歩む間は、三位一体の神の祝福は彼らすべてに留まろう。彼らは神が地上に送った使者を恐るるに及ばない。


 わたしが遣わされたのは、カイザルが世を支配するように、王位につくためではない。あなたがたはユダヤの支配者に向かって、わたしがカイザルの王位の要求者でないことを告げてほしい。

 人々はわたしをキリストと呼ぶ。神はこの名を認めた。しかし、キリストは人間ではない。キリストは普遍愛であり、愛が王である。このイエスは人間に過ぎないが、誘惑に打ち勝ち、種々の試練を経て、キリストが人々に現われることの出来る神の宮たるにふさわしい者である。


 されば聞け、あなたがたイスラエルの人々よ、肉を見てはならない。それは王ではない。キリストがわたしの中に作られたように、あなだがたすべてにも作られるべきその内なるキリストを見るがよい。

 あなたがたが信仰によって心を清めた時に、王は入って来て、あなたがたはその聖顔(みかお)を見るだろう。」

 

 その時、人々は尋ねた、「わたしたちの体を王にふさわしい棲家(すみか)とするために、どうすべきでしょうか。」


 イエス、「何事でもあれ、思想、言葉、行動を清める肋けとなるものは、肉の宮を清める。万人に適するような規則は一つもない。人々はめいめい罪の専門家で、ひとりびとり特別に身につきまとう罪がある。

 人々はめいめいどうすれぱ悪に傾く性質を、正義と愛の性質に変えさせることができるかを研究せねぱならぬ。人々が一層高い段階に達して利己心からのがれるまで、次ぎのおきてが最も善い結果を生み出す。即ち、

 自分が人にしてもらいたいように人にせよ。」


 すると多くの人々は言う、「われわれはイエスがキりスト、来るぺき王なることを知る。その聖名(みな)は祝すべき哉。」


 イエスと六人の弟子たちはエルサレムに顔を向け、多くの人々はこれに従って行った。しかし、アルパヨの子マタイが先きに走り、エルサレムに近づいて言った、「見よ、キリスト者たちが来た。」すると民衆は王に逢おうとして出て来た。


 イエスは宮の庭に来るまで誰にも口を開かず、そこに来て初めて一冊の書を開いて言った、「見よ、われわが使者を遣わす。彼は道を備えん。また汝らが求むるところのキリスト、即ち汝らの待ちのぞむキリストは招かずしてその宮に来らんと万軍のエホバに言いたもう。」(マラキ3・1)


 それから、彼は書を閉じて一言も発せず宮を去り、六人の弟子たちと共にナザレに行き、イエスの母マリヤと妹ミリアムと共に住まった。

     
 

【宝瓶宮福音書:栗原 基訳】  

            

  第十四部 イエスのキリスト者たる奉仕-準備期 


第六十八章 イエス、ベタニヤで民衆に語る。心を清くすろ方法を告げる。エルサレムの宮で予言書を読む。ナザレに行く。

1)「イスラエルの王イエス」がベタニヤに来たというニュースが伝えられたから、町中の人々はこぞって「王」に挨拶しようとして出て来た。

2)イエスはそのなかに立って叫んで言う、「見よ、まことに王は来た。しかし、イエスは王ではない。

3)まことに、神の国は近づいている。しかし人々は肉眼でこれを見ることはできない。王座にある王を見ることはできない。

4)これは魂の王国で、その王座は地上の王座ではない。その王は人ではない。

5)人間の王がこの世に王国を建てれば、武力によって他の王国を征服し、一つの王国は他の王国の廃墟の上に建てられる。

6)しかし、われらの父神が魂の王国を打ち建てる時は、神は正義で支配する地上の王たちの王座に、雨の如く祝福を注ぎ給う。

7)神が滅ぼそうとするものは支配権ではなく、その剣は不正、放縦、罪悪に向って振う。

8)さてローマの王たちが正義を行い、慈悲を重んじ、うやうやしく神と共に歩む間は、三位一体の神の祝福は彼らすべてに留まろう。

9)彼らは神が地上に送った使者を恐るるに及ばない。

10)わたしが遣わされたのは、カイザルが世を支配するように、王位につくためではない。あなたがたはユダヤの支配者に向かって、わたしがカイザルの王位の要求者でないことを告げてほしい。

11)人々はわたしをキリストと呼ぶ。神はこの名を認めた。しかし、キリストは人間ではない。キリストは普遍愛であり、愛が王である。

12)このイエスは人間に過ぎないが、誘惑に打ち勝ち、種々の試練を経て、キリストが人々に現われることの出来る神の宮たるにふさわしい者である。

13)されば聞け、あなたがたイスラエルの人々よ、肉を見てはならない。それは王ではない。キリストがわたしの中に作られたように、あなだがたすべてにも作られるべきその内なるキリストを見るがよい。

14)あなたがたが信仰によって心を清めた時に、王は入って来て、あなたがたはその聖顔(みかお)を見るだろう。」

15)その時、人々は尋ねた、「わたしたちの体を王にふさわしい棲家(すみか)とするために、どうすべきでしょうか。」

16)イエス、「何事でもあれ、思想、言葉、行動を清める肋けとなるものは、肉の宮を清める。

17)万人に適するような規則は一つもない。人々はめいめい罪の専門家で、ひとりびとり特別に身につきまとう罪がある。

18)人々はめいめいどうすれぱ悪に傾く性質を、正義と愛の性質に変えさせることができるかを研究せねぱならぬ。
19)人々が一層高い段階に達して利己心からのがれるまで、次ぎのおきてが最も善い結果を生み出す。即ち、

20)自分が人にしてもらいたいように人にせよ。」

21)すると多くの人々は言う、「われわれはイエスがキりスト、来るぺき王なることを知る。その聖名(みな)は祝すべき哉。」

22)イエスと六人の弟子たちはエルサレムに顔を向け、多くの人々はこれに従って行った。

23)しかし、アルパヨの子マタイが先きに走り、エルサレムに近づいて言った、「見よ、キリスト者たちが来た。」すると民衆は王に逢おうとして出て来た。

24)イエスは宮の庭に来るまで誰にも口を開かず、そこに来て初めて一冊の書を開いて言った、

25)「見よ、われわが使者を遣わす。彼は道を備えん。また汝らが求むるところのキリスト、即ち汝らの待ちのぞむキリストは招かずしてその宮に来らんと万軍のエホバに言いたもう。」(マラキ3・1)

26)それから、彼は書を閉じて一言も発せず宮を去り、六人の弟子たちと共にナザレに行き、

27)イエスの母マリヤと妹ミリアムと共に住まった。


【原文:The Aquarian Gospel of Jesus by Levi H. Dowling  

SECTION XIV<o:p></o:p>

NUN<o:p></o:p>

The Christine Ministry of Jesus ? Introductory Epoch<o:p></o:p>

<o:p> </o:p>

CHAPTER 68<o:p></o:p>

Jesus speaks to the people in Bethany. Tells them how to become pure in heart.
Goes to Jerusalem and in the temple reads from a prophetic book. Goes to Nazareth.
<o:p></o:p>

THE news soon spread abroad that Jesus, king of Israel, had come to Bethany, and all the people of the town came forth to greet the king.
2) And Jesus, standing in the midst of them, exclaimed,
Behold, indeed, the king has come, but Jesus is not king.
3) The kingdom truly is at hand; but men can see it not with carnal eyes; they cannot see the king upon the throne.
4) This is the kingdom of the soul; its throne is not an earthly throne; its king is not a man.
5) When human kings found kingdoms here, they conquer other kings by force of arms; one kingdom rises on the ruins of another one.
6) But when our Father-God sets up the kingdom of the soul, he pours his blessings forth, like rain, upon the thrones of earthly kings who rule in righteousness.
7) It is not rule that God would overthrow; his sword is raised against injustice, wantonness and crime.
8) Now, while the kings of Rome do justice, and love mercy and walk humbly with their God, the benediction of the Triune God will rest upon them all.
9) They need not fear a messenger whom God sends forth to earth.
10) I am not sent to sit upon a throne to rule as Caesar rules; and you may tell the ruler of the Jews that I am not a claimant for his throne.
11) Men call me Christ, and God has recognized the name; but Christ is not a man. The Christ is universal love, and Love is king.
12) This Jesus is but man who has been fitted by temptations overcome, by trials multiform, to be the temple through which Christ can manifest to men.
13) Then hear, you men of Israel, hear! Look not upon the flesh; it is not king. Look to the Christ within, who shall be formed in every one of you, as he is formed in me.
14) When you have purified your hearts by faith, the king will enter in, and you will see his face.
15) And then the people asked, What must we do that we may make our bodies fit abiding places for the king?
16) And Jesus said, Whatever tends to purity in thought, and word, and deed will cleanse the temple of the flesh.
17) There are no rules that can apply to all, for men are specialists in sin; each has his own besetting sin,
18) And each must study for himself how he can best transmute his tendency to evil things to that of righteousness and love.
19) Until men reach the higher plane, and get away from selfishness, this rule will give the best results:
20) Do unto other men what you would have them do to you.

21) And many of the people said,
We know that Jesus is the Christ, the king who was to come, and blessed be his name.
22) Now, Jesus and his six disciples turned their faces toward Jerusalem, and many people followed them.
23) But Matthew, son of Alpheus, ran on before, and when he reached Jerusalem, he said,
Behold the Christines come!
The multitudes came forth to see the king.
24) But Jesus did not speak to any one until he reached the temple court, and then he opened up a book and read:
25) Behold, I send my messenger, and he will pave the way, and Christ, for whom you wait, will come unto his temple unannounced. Behold, for he will come, says God, the Lord of hosts.
26) And then he closed the book; he said no more; he left the temple halls, and with his six disciples, went his way to Nazareth,
27) And they abode with Mary, Jesus' mother, and her sister, Miriam.

【続く】