江戸時代後期頃には金魚の初売りがひな人形と同じ日だったので雛市で金魚が売られたことと、ひな祭りのひな壇に金魚を一緒に飾る風習があったことから、ひな祭りの3月3日を「金魚の日」に日本鑑賞魚振興会が1990年(平成2年)に制定したそうです。
金魚ができたのは、今から約1500年以上も前のことだと伝えられています。
中国でフナから突然異変によって出てきたヒブナを原種として、現在の金魚が作られたそうです。
その後、10世紀後半から宋時代には、本格的に飼育や品種改良が行われるようになりました。
初期には金魚は池で飼われていました。しかし、13~16世紀にかけて次第の陶製の鉢や水槽で飼う飼育法がさかんになっていったため、さらに観賞魚としてとして普及したのです。
中国から日本に金魚がきたのは、約500年前、室町時代(1336年-1573年)の末期とされています。貿易港として栄えていた堺(大阪府堺市)に持ち込まれた金魚は、貴重品として扱われました。しかし、当時の日本は戦乱の時代にあり、養殖技術もありませんでしたので金魚は普及しませんでした。
その後、世の中が平穏になった江戸時代に再び中国から金魚が渡来し、江戸文化のひとつとして広まったようです。
当初は武家や上流階級だけの贅沢品でしたが、江戸後期には養殖も盛んに行なわれるようになりました。庶民も買えるようになり、金魚ブームが訪れます。金魚は絵に描かれたり、家具や着物の柄にも登場したりするようになりました。
金魚をタライに入れて売り歩く金魚屋は、夏の風物詩になりました。
法住寺の書院で3間にわたり雛飾りが飾られます。つり雛とよばれる、布で作った人形・花・金魚などの飾りをひもにつるす手作りの雛飾りをはじめ、法住寺に伝わる7段飾りの雛人形や貝あわせなどの道具もあわせて展示されます。
「法住寺(京都市東山区三十三間堂廻り町)」では、2月下旬~3月3日まで「つり雛展」が行われるそうです。
これは、布で作った小さな人形・花・財布・金魚などの飾りを、ひもに付けて天井からぶら下げるそうです。
飾りは、ちりめんや古い着物地で作られ、 花は美しい娘になるように、金魚は目(芽)が出るように、唐辛子は虫が付かないように、との願いがこもっているのだそうです。
伊豆の小さな海辺の町、稲取温泉。
この稲取温泉に伝わる雛祭りには、古く江戸時代後期の頃より、娘の成長を願う母や祖母手作りの「つるし飾り」が飾られる風習がありました。
江戸時代においては、お雛様を購入できる裕福な家庭はまれで、せめて、お雛様の代わりに、愛する子供や孫のために手作りで、初節句を祝おうという、切ない親心から生まれたのが稲取の雛のつるし飾りです。
稲取温泉HPより
「雛のつるし飾り(ひなのつるしかざり)」とは、江戸時代後期から伝わる伊豆稲取地方の風習、「吊るし飾り」のこと。長女の初節句に、無病息災、良縁を祈願して、雛壇の両脇に細工を吊すもの。過去においては庶民の雛壇代りでもあったそうです。
私はひな祭りと金魚がどうしても結びつかなかったのです。たぶん高価であったと思われる金魚、ましてガラスの金魚鉢など庶民が飾ったのだろうか・・・。
この、「雛のつるし飾り」をみつけて、これだと思いました。これなら、庶民も飾れます。
「端午の節句」と言えばすぐにコイが思い浮かびます。「金魚の日」が広く定着すれば、桃の節句(ひな祭り)と金魚の組み合わせも復活するかもしれません。
金魚のよちよち泳ぎと赤い色は女の子らしくてかわいいですね。
したっけ。
中国の人だったら食べそう(^。^;)
大分もつるし雛で有名ですね^^
子供の成長を願って毎年作られるのだとか。
以前雨の日に訪れた
大分の古い街並みに飾られた
つるし雛が可愛く華やかでした(*^_^*)
金魚を食べた話を読んだことがありますが、とても不味いそうです。
したっけ。
そうなのですか。
通販のカタログでは見たことがありますが・・・。
九州にも古い習慣が残っているのですね^^
したっけ。
いつもありがとうございます♪
伊豆のつるし飾りは有名ですね。
つるし飾りはお雛様を引き立てて
賑やかで良いですね。
OKっていう家、けっこうありますよね。
江戸時代から、金魚は長く親しまれているんですね。
うちも子供の時金魚を飼っていましたが、
今も飼っています~。 (^∀^)ノ*
さいきん飼ってないけど、
子供の時飼ってた金魚がどんどん大きくなって、
フナみたいになっちゃって、全然可愛くなくなった思い出があります。むしろ怖かったよ。
そうですね。金魚は飼ったことがない人はいないくらい身近ですね^^
したっけ。
金魚も大きくなりますからね。
水槽いっぱいになってUターンも大変になると、恐いよね^^
したっけ。
そうですね。昔の人はいろいろ考えて楽しんだようですね^^
したっけ。