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徒然にっき'18

OCNブログから引っ越してきました。
文華の日常を綴った、プライベート日記です。

被災生活11日目~もう疲れた

2011-03-21 21:47:00 | 日記・エッセイ・コラム
約60キロ先で何が起こっているのか、全く見えないよね。
唯一の頼りが、毎時発表される環境放射能測定値のみ。
放水でよい方向に向かっていると思っていたけれど、「灰色の煙」とか「白い煙」って報道を聞いて落胆した。
われわれは、どこに希望を見いだせばいいのさ…。


取りあえず、明日から出勤だから、洗濯と朝食の用意を済ませた。
てなわけで、日記の中身はないけれど、寝るのじゃ~zzz


被災生活10日目~浜通りを思う

2011-03-20 20:45:00 | 日記・エッセイ・コラム
両親とも実家は浜通りにあり、親戚一同は各所(仙台、茨城、福島市、会津など)に離散した。
また数日前、この災害によって、父の母親が死亡したことを、ラジオ及び新聞で確認した。
訳あって、父の実家とは15年以上絶縁していた。
こんな結末を迎え、なんとも複雑な思いだ。


そんな私も、去年の3月まで浜通りに住んでいた。
もし、前回の移動で福島市に戻ることができなかったら、今頃風評被害を受け、苦しい思いをしていたにちがいない。
(まぁ、危険を感じた時点で、実家に避難をしていたとは思うが。)
向こうには、教え子や同僚を含め、心配な人がたくさんいる。
友人からの噂では、住民が関東や関西に避難している動きだと聞いた。
どうか、皆無事でいてほしい。


ふと、学生時代に原発周辺を巡回して回ったことを思い出し、アルバムを開いた。
(大学生の頃、絵本や紙芝居の読み聞かせをするサークルに所属していた。)
そこには、子ども達の笑顔が溢れていた。
その中には、町ごと移民した「双葉町」の姿もあった。
周辺の公共施設は、どこもかしこもぴかぴかで、原発で町が潤っているんだなぁって印象だった。
一方で、「浪江町公民館」なるものはぼろっちかった。
原発で潤っていた町は、「失敗したなぁ。」と思っているだろうし、ただ周辺なだけで全く恩恵を受けていなかった町は「とばっちりだなぁ。」と思っているに違いない。


実は原発事故が起きてすぐ、隣の部屋の両親が一時避難してきた。
犬2匹を連れて。
(10キロ避難区域の人)
しかし、定員オーバーになったのか、放射能を恐れたのかは知らないが、数日して別のところへ移動していった。
浜通りの人達は、きっとやるせない気持ちでいっぱいであろう。

今日、弟が出勤中の電車で、踏み切り事故があった。
ガソリン給油渋滞によるものだった。
車の運転手も電車の乗客も無事だったが、車は前の方がぺしゃんこになっていた。
(弟の写真による。)
運転手は南相馬市から避難してきた人のようだった。
危険を冒してまでガソリンを手に入れたかったということは、よほどせっぱ詰まっていたのだろう。


県外の人は、
「放射能怖い。遠くに逃げよう。福島県は人、物を含めすべて除外しよう。」
ぐらいにしか思っていないであろう。
福島県民は全域でそれ以上の不安と苦痛をかかえているのだ。
地震の災害で他の県も苦しいこと、頭では分かっている。
しかし、自分たちには他の県民を憂うほど余裕がない。
日々、暗い日記ばかりで申し訳ない。
自分に今できることは、日々の記録を克明に綴っておくことだと思う。
興味のない方は、日記の更新を非表示にすることをおすすめする。


被災生活9日目~給油渋滞など

2011-03-19 20:24:55 | 日記・エッセイ・コラム
弟のアパートへ行き、必要なものを運び出す。
弟の衣類、ネットブック、除湿器、灯油だ。
洗濯物が外に干せない、浴室乾燥機も使えない状態なので、除湿器(もともとは私が使用していた物を弟にあげた。)は非常に助かる。


途中、給油渋滞に何度もあった。
どこもかしこもありえないぐらいの行列だ。
いかに車社会なのかが分かる。
この人達は、今すぐガス欠になるんだろうか?
それとも、これから県外にでも避難するんだろうか??
自分はガソリンが四分の三は残っているので、まだまだ給油するつもりはない。


また、徒歩や自転車で買い出しに出かける人も多く見かけた。
その多くが、マスクをし、帽子をかぶり、全身を覆っている。
あまりに異様な光景に、とても悲しくなった。
そういう自分も、かなり異様な格好をしていたのだがw


帰路では、ドラッグストア&100円ショップ、酒店、ホームセンターに寄り、食材と酒、空気洗浄機なるものを購入した。
地震が発生してから、家は一度も換気していない。
台所の換気扇以外は、ほぼガムテープでふさいでいる。
この生活が、いったいいつまで可能なのだろうか。
今日は被災後初めて風呂を沸かしたが、蒸気がこもるというリスクも高い。
すごーくさっぱりしたけれど、当分お風呂は、1週間に1度ぐらいしか沸かせないな。


前の学校で担任した子達が今年卒業するので、祝電を郵便で送った。
「いつ届くか分かりません。」
と言われたので、速達にした。
しかし、その後地元ラジオ局のTwitterにより、自分が送信した地区の郵便局が、当面休業することが分かった。
うう、残念だ。
ダメ元で、職場からメールで送ってみることにしよう。


今日もなんだか暗いニュースばかりなので、最後に、今まで自重していた我が家の食事画像でも。
今夜はピザを作った。
うまかった~♪
食事が唯一の楽しみなのじゃ☆
Mentai_pizza


Tometo_pizza








避難所のみなさん、ごめんなさい…。



被災生活8日目~卒業式中止のお知らせ

2011-03-18 20:18:00 | 日記・エッセイ・コラム
震災から1週間が経った。
地震の起きた2時46分には、弟と二人で黙祷を捧げた。


ついに福島市も、卒業式及び修了式が中止となった。
浜通りの学校や中通りの学校の一部が中止を決定していたから、福島市もいずれそうなるだろうと思っていた。
放射能測定値が高い現在、子ども達を登校させるのは危険だからやむをえない。
しかし、卒業式ができないなんて、残念だ。
この日のために、2月から歌の練習を毎日せっせとしてきたのに。
「別れの言葉(いわゆる答辞&送辞)」だって覚えたのに。
ピアノだって、時間を見つけて練習したのに。


地震の災害だけだったら、もっと早く生活が復旧し、卒業式もできるはずだった。
すべては、原発事故のせいなのだ。
悔しい。
でも、怒りをぶつける場所はどこにもない。
現場でがんばっている人達に向けて、祈りをささげるしかない。


一件ずつ電話で安否を確認したところ、子ども達は全員元気だった。
外に出ることができず、ストレスが溜まっているとのことだが、特に具合を悪くしている児童はいないようだった。
ほっと一安心。
今後の連絡先を聞いたところ、どこの家庭も「自宅」とのこと。
慌てて避難する家庭はないようだ。
自分も、この子ども達が避難しない限り、どこかに逃げることはないだろう。


節電のため、今日からiMacを休止させることにした。
しばらくはノートPCから日記を投稿し、情報収集はできるだけ携帯で行うことにする。
ただ、換気ができないので、調理に使用する電気量は、以前と比べて大幅に増えている。
今日の夕食は、すべて電子レンジだけで調理を済ませた。
お陰様で、昨日は空気清浄機のクリーンモニターがレベル3だったのが、今日はレベル1に下がった。


節車のため、職員達とメールで相談。
22日もsuzu車で待ち合わせ場所から移動することになった。
自分は、まだガソリンが5分の4残っている。
燃費のいいFit君さまさまだ。
職場との往復だけなら3週間は持つはず。
しばらくはGSは行列が続くだろうから、自分は4月までもたせるつもりだ。


そんなこんなで、暗いニュースが続くけれど、なんとか知恵を絞り、助け合って生きている。
がんばろう福島! がんばろう東北!! がんばろう日本!!!


被災生活7日目~節約と風評被害と

2011-03-17 21:32:00 | 日記・エッセイ・コラム
午前9時50分頃、やっと水が出た。
何よりも嬉しかった。
これで、トイレのタンクに水を汲み入れる必要がない。
久しぶりに、水道水を使ってまともに洗濯をした。
外に干せない、浴室乾燥機も使えない(放射能汚染をふせぐため)ので、1日1回しか洗濯ができない。
寝室に、自分と弟の洗濯物を干した。


水道復旧の知らせを受けて、実家が洗濯をしに来た。
(実家の方はまだ断水中。)
だが、水圧が安定していなくて、洗濯の途中でエラーが出てしまった。
仕方なく、風呂に溜めておいた(水道復旧後、風呂に3分の1ほど溜めておいた。)水ですすぎをし、洗濯機で脱水をした。
この現象を見て、念のため水道からバケツに水を溜め、風呂に移しておいた。


福島市の放射能測定値が以前よりも下がってきたので、午後から買い出しに行く。
ホームセンターとスーパーを回り、生活用品、食料品をゲットした。
特に嬉しかったのが、電気ケトルと電子レンジ用パスタ容器をゲットできたこと。
換気扇とガスの使用をなるべく控えたいので、できるだけ電気で調理したいのだ。


ライフラインがすべてそろったところで、さらなる節約方法を考えた。
まず、水については今後も節水の方向でいくことにした。
3日ぶりの風呂は、洗面器にお湯を入れて、シャンプーや体の洗浄をした。
使用した水の量は、バケツ1.5杯分(15リットル)といったところか。


節電のために、リビングおよび寝室の照明を交換した。
リビングには、寝室で使用していた蛍光灯を。
寝室には、前の家のキッチンで使用していた白熱灯を。
これで大分節約になったはずだ。


トイレの水が流れるって、本当にありがたいね。
あとは、原発事故による放射線及び放射性物質の心配だけだ。
うちの父は、「おれは被爆者だ。」と言っていた。
胃のCTスキャンやレントゲンを撮りまくっているからだ。
今は1時間レベルでみれば大したことない数値だが、長期に渡ることを考えれば、なるべく防ぐのが賢明だ。


しかし、屋内退避区域では、風評被害を懸念して、物流が大変滞っているとのこと。
放射能測定値だけみれば、福島市の方が20~30キロ圏内の5倍の数値をたたき出しているのに。
(福島市では、ガスボンベを運ぶトラックやタンクローリー車見かけているので、物流復活の兆しがある。)
さらに、福島県から遠く離れた地域に住んでいる人が、関西への避難を始めているとのこと。
「福島県は国に見捨てられた。」
と思っている人もいるに違いない。


誰しもが、安全と安心を求めているのは解る。
だが、どうか地元で残って対応に当たる人達のことも考えて欲しい。
自分は公務員だから、私的事情で好き勝手に避難することはできない。
独自にデータを収集しつつ、対応にあたりたい。