徒然にっき'18

OCNブログから引っ越してきました。
文華の日常を綴った、プライベート日記です。

被災生活10日目~浜通りを思う

2011-03-20 20:45:00 | 日記・エッセイ・コラム
両親とも実家は浜通りにあり、親戚一同は各所(仙台、茨城、福島市、会津など)に離散した。
また数日前、この災害によって、父の母親が死亡したことを、ラジオ及び新聞で確認した。
訳あって、父の実家とは15年以上絶縁していた。
こんな結末を迎え、なんとも複雑な思いだ。


そんな私も、去年の3月まで浜通りに住んでいた。
もし、前回の移動で福島市に戻ることができなかったら、今頃風評被害を受け、苦しい思いをしていたにちがいない。
(まぁ、危険を感じた時点で、実家に避難をしていたとは思うが。)
向こうには、教え子や同僚を含め、心配な人がたくさんいる。
友人からの噂では、住民が関東や関西に避難している動きだと聞いた。
どうか、皆無事でいてほしい。


ふと、学生時代に原発周辺を巡回して回ったことを思い出し、アルバムを開いた。
(大学生の頃、絵本や紙芝居の読み聞かせをするサークルに所属していた。)
そこには、子ども達の笑顔が溢れていた。
その中には、町ごと移民した「双葉町」の姿もあった。
周辺の公共施設は、どこもかしこもぴかぴかで、原発で町が潤っているんだなぁって印象だった。
一方で、「浪江町公民館」なるものはぼろっちかった。
原発で潤っていた町は、「失敗したなぁ。」と思っているだろうし、ただ周辺なだけで全く恩恵を受けていなかった町は「とばっちりだなぁ。」と思っているに違いない。


実は原発事故が起きてすぐ、隣の部屋の両親が一時避難してきた。
犬2匹を連れて。
(10キロ避難区域の人)
しかし、定員オーバーになったのか、放射能を恐れたのかは知らないが、数日して別のところへ移動していった。
浜通りの人達は、きっとやるせない気持ちでいっぱいであろう。

今日、弟が出勤中の電車で、踏み切り事故があった。
ガソリン給油渋滞によるものだった。
車の運転手も電車の乗客も無事だったが、車は前の方がぺしゃんこになっていた。
(弟の写真による。)
運転手は南相馬市から避難してきた人のようだった。
危険を冒してまでガソリンを手に入れたかったということは、よほどせっぱ詰まっていたのだろう。


県外の人は、
「放射能怖い。遠くに逃げよう。福島県は人、物を含めすべて除外しよう。」
ぐらいにしか思っていないであろう。
福島県民は全域でそれ以上の不安と苦痛をかかえているのだ。
地震の災害で他の県も苦しいこと、頭では分かっている。
しかし、自分たちには他の県民を憂うほど余裕がない。
日々、暗い日記ばかりで申し訳ない。
自分に今できることは、日々の記録を克明に綴っておくことだと思う。
興味のない方は、日記の更新を非表示にすることをおすすめする。