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帰省中に配達してもらっていた新聞に“戦争遺跡を訪ねて”という連載があり、大阪市内の神社が紹介されていました。大阪に戻ったら行ってみようと思っていましたが、雨天続きでなかなか行く機会も無く、大阪に戻って1週間経った金曜日、少しは晴れ間が出たので、神社がある玉造まで自転車に乗って行ってみようと思ったのでした。ところが、三男が自転車を使ったまま、鍵を元に戻してないので鍵がありません。天気予報ではその後も晴れる日は無さそうで、自分としてもそろそろネタが無くなっていたので、どうしても行っておかないという思いが強く、仕方がないので嫌々ながら車に乗って行ってきました。
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三光神社と聞いてピンと来るのは先の戦争で日本軍が行った蛮行『燼滅掃討作戦』、三光とは中国の呼び名だからそんな作戦は日本軍には無かったと戦争翼賛者は言います。でも“殺し尽くす・焼き尽くす・奪い尽くす”という行為があったことは事実のようですから、慰安婦問題の橋下大阪市長と同じような屁理屈の捏ね方ですね。何故この神社にそのような中国語の名前が付いたのかというような考えは本末転倒、この神社は反正天皇の頃からのものだとか、ということは三光という言葉は昔から日本国で使われていたことになります。
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この神社、結構有名な神社のようでナビにも載っていました。このナビの案内は信用ならんものですが、途中までは自分の知っている道を走り、最後だけナビに頼りました。目的地に到着する手前にコイン駐車場があったので、そこに車を停めて神社まで歩きます。
先に鳥居を潜ったのは北の方、こちらが正式な入り口なのかどうか、今でも分かっていません。鳥居は東西何北至る所にあるのです。鳥居を潜るとすぐに右側に鳥居があり、右の柱には元分元年八月吉祥日の銘があるので、1736年のものです。案内札には矢印で示して、稲荷社、武内宿祢社、野見宿祢社があるようですが、祠は一つしかありませんでした。
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鳥居を抜けるとすぐに左側に階段、一番下の石段に天保11年再建の文字が見えます。
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階段を登ると拝殿に界隈の町名が入った提灯がズラリ、城南とあるのは大坂城の南に当たるからなのです。
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こちらが拝殿の正面、私は正面の鳥居を潜らず、末社の方から上がってきてしまったのでした。
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この拝殿に正対する鳥居が戦争遺跡の謂れ、よく見ると向かって左の柱が二本あるでしょ。表側の方柱が被災したもの、片方しかありません。元は北区の相撲の神社・野見宿祢神社のものとされています。明治19年にこの三光神社に移ったのだそうです。
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1945年6月1日の大阪大空襲で周辺地域とともに社殿と共に数基の鳥居が損傷、本殿前のこの鳥居の一方だけが残りました。残った方の柱には、陣幕久五郎、竹縄竜八、美保関井長八郎、葛城徳蔵、朝日山太郎右門、押尾川、藤島和一郎、不知火、岩友幸助などの名前が刻まれています。
反対側には片方であろう折れた鳥居が立っています。名前が刻まれていますが、途中から折れてしまっているので全体は読めません。
入ってきた鳥居の片隅にも折れた鳥居らしきものも有りました。拝殿の前の折れた部分の片割れかも知れません。“昭和20年6月戦災を蒙り倒壊 その方柱をここに留む 三光神社奉賛会”とあります。
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