住吉台の東端にある家を訪ねていくと、どんどん下方へ道が続くので、何処まで行くのかと思い歩いていきました。
するとこんな案内板がありましたが、辺りを探しても水車小屋などはありません。
このような車1台分ぐらいの道が何処まで続いているのか分かりませんが・・・
水車小屋の案内板のあったところに、この標識があったので、来た道と繋がってるんやと思い、どんどん歩いていきました。
この辺りは所々にコンクリートの堰がありますが、まだまだ自然のままの流れが残っているようです。このような状態なので下流の水もきれいなんですね。
たまには枝を払ってよと頼みたくなるような状態です。
元来た道と交わる手前に『水災紀念』と刻まれた碑が鎮座しており、案内板も見えています。
昭和13年となれば私などまだまだ生まれてない年代、燻ぶる戦争の息吹に水の神様が怒ったのかも知れません。だけど、この川は谷のようになっていて、道まででもかなりの高さがあります。
刻まれた水位の線はこれですが、立ってるところからはそんなに高くはありませんが、この辺りの川の底から測れば7~8mは水位が上がったのではなかろうかと思う次第であります。
するとこんな案内板がありましたが、辺りを探しても水車小屋などはありません。
このような車1台分ぐらいの道が何処まで続いているのか分かりませんが・・・
水車小屋の案内板のあったところに、この標識があったので、来た道と繋がってるんやと思い、どんどん歩いていきました。
この辺りは所々にコンクリートの堰がありますが、まだまだ自然のままの流れが残っているようです。このような状態なので下流の水もきれいなんですね。
たまには枝を払ってよと頼みたくなるような状態です。
元来た道と交わる手前に『水災紀念』と刻まれた碑が鎮座しており、案内板も見えています。
昭和13年となれば私などまだまだ生まれてない年代、燻ぶる戦争の息吹に水の神様が怒ったのかも知れません。だけど、この川は谷のようになっていて、道まででもかなりの高さがあります。
刻まれた水位の線はこれですが、立ってるところからはそんなに高くはありませんが、この辺りの川の底から測れば7~8mは水位が上がったのではなかろうかと思う次第であります。
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