『双調 平家物語』の9巻も1月の半ばで読み終え、1月発行予定の10巻を待つ間、何か読むものはないかとジュンク堂を徘徊します。新潮文庫の前に立つと、何と待ちに待った宮本輝の『流転の海・第五巻』が発行されていました。新潮文庫は印字の線が細いので、目が見えんようになってきた私は少々敬遠気味にしていましたが、この本は印字も太く読み易かったです。
この『流転の海』1~4巻を読んだのはおそらくBlogを綴り出す以前であり、なかなかストーリーを思い起こすことが出来難く、感想文というものは「書いておくべきものやなぁ」とヒシヒシと感じています。
この本では、主人公=松坂熊吾が終戦直後、梅田の阪神百貨店裏のバラック街、一時住んでいた石屋川沿いや中之島の船津橋近辺から福島天満宮界隈等、私の仕事場での関連が多く扱われており、自分自身がここはああやった、あそこはこうやと現場を再現させながら読むことが出来るので、ストーリーを追うこと以外に楽しみがあるのです。
1~4巻は面白かったことを語っていたら、誰かが持って帰ってしまい、今は手元にはありません。5年以上も前のことでもあり、この『花の回廊』と題した第五巻は富山から引き上げてくることから始まるのですが、その富山時代のことはトンと思い出せないのです。
あまりにも間が空きすぎるので、次巻を楽しみにしながらも、もう読めなくなってしまった人も沢山おられるのでしょうね。
バス停や信号をしきりに載せていますが、富山から引き上げた松坂一家は、一人息子の伸仁をこの尼崎の『東難波』のバス停の真ん前の蘭月ビルというおんぼろ長屋に預けることから始まるのです。熊吾と妻・房江は電気も水道も無い船津橋のビルでそれぞれが働きながら住むことにしたので、10歳になる伸仁と一緒には暮らせなかったのです。
最初のバス停の写真は神戸方面へのもの、最近まで神戸税関前まで210円で走っていた路線は廃止され、今は阪神芦屋までしか走っていません。
次のバス停は大阪方面へのものですが、この本では大阪まで路線があったようですが、私の職場がこちらへ移転してきたころには、杭瀬までしか運行していませんでした。
迷路のような蘭月ビルがあったのは、丁度茶色っぽいビルが建っている辺りだと想像できます。熊吾によるとそこは貧民窟のようだったのですが、伸仁はそこで逞しく育っていきます。
このストーリーの中で近くに市場=三和市場の名前が度々登場します。尼崎の商店街といえば前述したタイガースの優勝を祈願した中央商店街を紹介しましたが、中央商店街は東西に長い商店街で、その西端を南北にクロスするようにこの三和本通という商店街が賑わいを見せています。この写真は南の入口のものですが、北の入口は国道2号線に面しています。
そして三和市場はこちら、三和本通の南の入口近く、中央商店街と並行するように入口があり、そして再び三和市場と並行するように店が並んでいました。
店が並んでいるといっても、殆どが閉店状態、三和市場の使命はもう終わっているのかも知れません。第5巻の舞台となるこの界隈も昭和33年から五十数年経つうちに随分と変わり果てたのでしょう。この古びた三和市場だけが当時の面影を残しているのかも知れません。
でも天井もこの様では、なかなかお客も来てはくれないのでしょう。
伸仁に栄養をつけさせようと度々通った明洋軒という洋食屋や名前の無いウナギ屋は何処にあったのか、何処をどう通っていったのかという記述がないので探しようもありません。
福島西通りに一家3人で住める家の段取りを終え、福島界隈が今後のストーリーの舞台になるのかも知れません。第6巻の発売を心して待つばかりです。
この『流転の海』1~4巻を読んだのはおそらくBlogを綴り出す以前であり、なかなかストーリーを思い起こすことが出来難く、感想文というものは「書いておくべきものやなぁ」とヒシヒシと感じています。
この本では、主人公=松坂熊吾が終戦直後、梅田の阪神百貨店裏のバラック街、一時住んでいた石屋川沿いや中之島の船津橋近辺から福島天満宮界隈等、私の仕事場での関連が多く扱われており、自分自身がここはああやった、あそこはこうやと現場を再現させながら読むことが出来るので、ストーリーを追うこと以外に楽しみがあるのです。
1~4巻は面白かったことを語っていたら、誰かが持って帰ってしまい、今は手元にはありません。5年以上も前のことでもあり、この『花の回廊』と題した第五巻は富山から引き上げてくることから始まるのですが、その富山時代のことはトンと思い出せないのです。
あまりにも間が空きすぎるので、次巻を楽しみにしながらも、もう読めなくなってしまった人も沢山おられるのでしょうね。
バス停や信号をしきりに載せていますが、富山から引き上げた松坂一家は、一人息子の伸仁をこの尼崎の『東難波』のバス停の真ん前の蘭月ビルというおんぼろ長屋に預けることから始まるのです。熊吾と妻・房江は電気も水道も無い船津橋のビルでそれぞれが働きながら住むことにしたので、10歳になる伸仁と一緒には暮らせなかったのです。
最初のバス停の写真は神戸方面へのもの、最近まで神戸税関前まで210円で走っていた路線は廃止され、今は阪神芦屋までしか走っていません。
次のバス停は大阪方面へのものですが、この本では大阪まで路線があったようですが、私の職場がこちらへ移転してきたころには、杭瀬までしか運行していませんでした。
迷路のような蘭月ビルがあったのは、丁度茶色っぽいビルが建っている辺りだと想像できます。熊吾によるとそこは貧民窟のようだったのですが、伸仁はそこで逞しく育っていきます。
このストーリーの中で近くに市場=三和市場の名前が度々登場します。尼崎の商店街といえば前述したタイガースの優勝を祈願した中央商店街を紹介しましたが、中央商店街は東西に長い商店街で、その西端を南北にクロスするようにこの三和本通という商店街が賑わいを見せています。この写真は南の入口のものですが、北の入口は国道2号線に面しています。
そして三和市場はこちら、三和本通の南の入口近く、中央商店街と並行するように入口があり、そして再び三和市場と並行するように店が並んでいました。
店が並んでいるといっても、殆どが閉店状態、三和市場の使命はもう終わっているのかも知れません。第5巻の舞台となるこの界隈も昭和33年から五十数年経つうちに随分と変わり果てたのでしょう。この古びた三和市場だけが当時の面影を残しているのかも知れません。
でも天井もこの様では、なかなかお客も来てはくれないのでしょう。
伸仁に栄養をつけさせようと度々通った明洋軒という洋食屋や名前の無いウナギ屋は何処にあったのか、何処をどう通っていったのかという記述がないので探しようもありません。
福島西通りに一家3人で住める家の段取りを終え、福島界隈が今後のストーリーの舞台になるのかも知れません。第6巻の発売を心して待つばかりです。